第1139話・その道の行く先は
Side:無量寿院の高僧
「北畠め。やっと重い腰を上げたか」
北畠の大御所から文が届いた。織田との仲介をするというものだ。
条件は末寺と寺領の返還までに出た民は織田の民として扱うことと、以後斯波と織田と無量寿院は互いに一切の配慮をしないということだ。
言葉を選んでおるが、絶縁で事を収めよということであろう。
奴らは我らの末寺と寺領を奪った盗人なのだ。返して詫びを入れるのが筋であろうに。随分と斯波と織田に気を使うた条件であることは面白うないが、この辺りが落としどころであろう。
「我らを軽んじて伊勢を治められると思うな」
「織田などすぐに伊勢から叩き出してやるわ」
奴らはもともと返すのは構わぬが、末寺と寺領に与えた銭を返せとぬかしておった。何故、盗人に銭をくれてやらねばならぬのだ。然様なことをすれば各地にある末寺が同じような目に遭った時に、強欲な武士どもが同じく銭を寄越せと騒ぐのが目に見えておるではないか。
そのような先例など認めるわけにはいかぬわ。
「尭慧様と飛鳥井卿を使者として出せと言うておりますが?」
「飛鳥井卿に貸しでも作りたいのであろう。行かせてやればいい。此度のことで分かったわ。尭慧様も所詮は都のお公家様なのだ。武士とはいかに勝手で強欲か理解しておられぬ。今後は大人しく経を唱えるだけにしていてもらおうぞ」
北畠は織田と誼を深めておるが、あまりに強すぎる織田に困ってもおったのであろう。我らを味方にして飛鳥井卿に貸しを作ることで、織田と対抗したいという思惑が見え見えだ。
尭慧様にも失望させられたわ。この乱世では綺麗事を言うておるだけでは寺と信仰は守れぬのだ。
「されど寺領の民は減るでしょうな」
「構わぬ。食い詰め者などおらぬほうが我らの食い扶持が増えてよかろう」
わしはもともと仏などと呼ばれておる織田が許せぬのだ。今は力では勝てぬので我慢してやるが、ここ数年で織田は領地を広げ過ぎた。直に家中で不和が起きて近隣の者らが立ち上がるであろう。その時こそ、一気に叩いて積年の恨みを晴らしてやるわ。
Side:飛鳥井雅教
「よき酒じゃの」
吾の書いた文を勝手に処分するとはの。坊主の分際で随分と増長したものよ。弟の尭慧が信じる者に手渡したというのに織田に届いておらなんだとは。届いたのは目の前の商人に託した文だけ。世も末よの。
「お喜びいただき、恐悦至極に存じまする」
機嫌を伺うとやってきた怪しい男じゃ。信じすぎるのも危ういとは思うが、他に使える者がおらぬ。酒や魚などを頼み、それを届けると称して内匠助の文を隠し持ってきてくれた。
商人が下がると人払いをして内匠助の文を読む。
織田と北畠がわしと尭慧をここから助け出すために策を講じるとあり、詳細が書かれておる。ふむ、北畠が無量寿院と織田の間を取り持つことになったか。なかなか上手い策じゃの。
「兄上、北畠家が仲介を申し出ておるようでございます」
ちょうど読み終えた文を燃やしておると、尭慧が知らせを持ってきた。やはり弟は無量寿院の神輿にすぎぬようじゃの。知らせに来るのが遅すぎる。恐らく無量寿院の坊主どもの意思が決まるまで何も教えてもらえなんだのであろう。
「吾とそなたで霧山まで行かねばなるまいな。ちょうどよい、そなたはそのまま霧山で
弟はこのまま置いてはゆけぬ。年が離れておるゆえさほど親しいとは言えぬが、血を分けた肉親なのだ。父上も悲しまれよう。
もっともすべては織田と北畠で話が付いておること。このままわしと尭慧が北畠の霧山城まで行き、織田との一件が解決すると自ら責めを負うと言うて尭慧は還俗するのじゃ。
「なんじゃ? 残りたいのか?」
「いえ、己の不甲斐なさに申し訳なく……」
無言のまま俯く弟に声をかけるが、そこまで責めを感じる必要もないこと。二十代半ばの弟が血気盛んな破戒僧や年経た老獪な坊主どもを従えまとめるなど土台無理な話というものじゃ。
「よいよい。そなたはまだ若いのじゃ。これから新たな生きる道を見つければよかろう」
運もなかったの。織田のような新たな国をつくる者らの近くでなくば、これほど無量寿院が揺れることもなく、年月とともに無量寿院をまとめることも出来たはずじゃ。
とはいえ、他者が悪いと愚痴をこぼしただけでは何の解決もせぬまま生き長らえていくしかないはずじゃ。
まだひと安心というには早いが、大きな山を越えたことには安堵するわ。
side:久遠一馬
信安さんが北畠家の霧山御所に出発した。寺領の返還にともなう交渉のためだ。伊勢守家は元織田嫡流なのでこういう交渉の場には相応しい人だろう。信安さん自身も戦よりは外交に向く人ということもあるけどね。
それと伊勢織田領にある無量寿院の末寺には寺と寺領が無量寿院に返還されることを知らせて、織田領への移住に関して説明する使者を出した。
「どれくらい移住するかな?」
「少なくとも半数の民は土地を離れましょう。仮に末寺や寺領が空になったとしても某は驚きませぬな」
那古野の町は文化祭の支度で楽しげな雰囲気になっている。武士も職人も僧や神官も領民もみんなで準備している。尾張のいいところだよね。この時代だと縄張り意識が強いから他だとこうはならない。
清洲からの帰り道。エルに千代女さん、資清さんと一緒に、馬車の車窓からそんな町の景色を眺めつつ無量寿院のことを話す。
資清さんの大胆な予測に少し驚く。この時代の常識だと生まれた土地を捨てることは死を意味すると言っても過言ではない。特に一般の領民とかだとね。
ところが織田領はすでに統治方法が違うからな。末寺と領民には織田の行政サービスが受けられなくなることや、あらゆる物価が変わることも説明する。結果として少なくとも半分の人が移住すると、この時代の人である資清さんですら予測するのが実情だ。
「私はもっと離れると思います。すでに大殿は仏として信仰をされているところもあります。残るのは土地を多く持つ者くらいではないでしょうか?」
「それもありましたな。それとこれから冬になりまする。目端の利く者は田畑を奪われぬための人だけを残して、あとは一時的にでも寺領から出てしまうかもしれませぬ」
そんな資清さんの予測より更に人が離れると考えているのは千代女さんだ。根拠は仏の弾正忠という信秀さんの存在か。
資清さん自身もその根拠には少し驚きつつも納得の様子だ。無論、神仏を拝むことに変わりはない。ただ信秀さんが神仏の一柱だと本気で信じている人がこの世の中には少なからずいるんだよね。
一時的に出る人も含めると、本当に土地を捨てない僅かな人以外は末寺の住職ですら残らない可能性もありそうだ。
「どうせ一年も経たないうちに寺領も織田に戻ってきそうだしね」
「その可能性は十分あるでしょうね」
エルと顔を見合わせてため息が重なった。あまりに戻ってくるのが早いと陰謀論だとか勝手に噂されそうなんだよね。でもこの時代の人は決して弱者じゃなく、虐げる者に対しては大人しく我慢もしないし、みんなたくましい。
無量寿院とその寺領もこの交渉が終わり次第、敵国に準ずる扱いにする。寺領の入り口には関所を置き、一部の戦略物資の販売禁止は当然として、織田領から売られるあらゆる品が五倍から十倍の値段に上がる。
まあ、そうなったらみんな我慢しないだろうな。中にはこちらを恨む人もいるだろうけど、もともと織田圏の物価は他国より安く安定させているんだ。現時点で近隣で一番物価が高くなっているのは敵国の今川領くらいで、朝倉でさえ友好関係があるから少しはマシなんだよね。
実際、そうでもしないと物価の違いで領境の国人や土豪がみんな離反して織田家に臣従しちゃうからね。三河みたいにさ。
無量寿院は今川を超えて近隣で一番高い物価となるだろうな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます