第1110話・婚礼の宴

Side:久遠一馬


 すっかり日も暮れたが、宴は続いていた。


「今日のケーキはソフィア殿の好物なんですよ」


 一通り食事も終わったようなので、皆さんが酔っぱらう前にケーキを出す。エルたちが切り分けるのは今までと同じだ。


 見た目は白いクリームのケーキになる。


「ほう、これは食うたことがない味だな」


 みんな生クリームのケーキを想像したのだろう。一口食べると驚きの表情を見せた。


「牛の乳を加工したものを使っています。当家では発酵と呼ぶ技を使っています」


 エルの説明聞いていない人もいるね。それだけ美味しいんだけど。これはヨーグルトクリームのケーキだね。オレもあまり馴染みない味だが、生クリームと比べると微かな酸味があってさっぱりしていて美味しい。


「初めてご本領を訪れた日に歓迎の宴でいただいたものなのです。とても美味しくて……」


 白無垢姿のソフィアさんは、少ししんみりとした様子でそう語るとケーキを口にした。どこまで本当の記憶なのかオレにもわからないが、彼女が家族同然に本領とオレたちのことを見ていることはわかる。


 あくまでも記憶操作しかしていない。思考誘導や洗脳はしていないんだ。寄せ集めの領民が本当の領民になった。島のみんなには感謝しかない。


 それと、今日は清洲城にも同じヨーグルトクリームのケーキを献上している。


 実は信秀さんと義統さんも婚礼に参加しようとしていたが、飛鳥井さんが来るというので来られなかったんだよね。それもあってそれなりの量を献上した。


 ちなみにお市ちゃんは信長さんと一緒に来ていて、孤児院の子供たちと一緒に合唱していたけど。同年代の子と比較しても要領がよく見えるのは気のせいなんだろうか?




 ケーキを食べると子供たちは一足先にお開きとなった。今日はウチの屋敷に泊まってもらうけど、結構幼い子もいるからね。みんなに見送られて広間を出ていった。


 大人だけになると、お酒メインの宴にシフトする。


 慶次とソフィアさんがお酌をして回り、特に慶次はいろいろとからかわれるように声をかけられていた。喧嘩をした話や逆に人助けをした話など、逸話には事欠かないからね。


「甲賀におった頃を思い出すな」


 甲賀出身の人たちは自然と昔の話をしていた。


「ああ、婚礼などあれば嬉しゅうてな。酒も飲めたしご馳走も食えた。これほどのご馳走ではなかったがな」


 この時代の例に漏れず、甲賀も米が主体だから平年並みだとそれなりに暮らせるらしいが、不作になると食べていくのも大変だったらしい。


 甲賀自体があまり農業に向く地域ではない。特にこの時代だと不作がよくあるからな。望月家や滝川家も一族や家臣を食わせるのが大変だったそうだ。


「慶次郎など尾張に来ておらねば、日の目を見ることはなかっただろう。六角家のしたで武功を挙げたとて甲賀衆ではたかが知れておる」


 慶次は関東の時の武功が有名だ。そのあとも人並み以上の働きをしてはいるが、それでも関東ほど目立ってはいない。とはいえ一度でも武功を挙げると、生涯誇れるような時代なんだよね。


 そもそも戦が頻繁にあるほうが珍しいんだ。小競り合いとかその程度の武力衝突はよくあるけどね。戦と言えるレベルで武功を挙げるのは、元の世界で戦国の世をイメージしていたよりも、思っている以上に難しい。


 素破は使い捨ての傭兵か敵陣後方への攪乱要員でしかないからな。素破として活躍して誰か身分のある人に召し抱えられでもしないとはしたな報酬を貰って終わりだ。


 尾張に来てよかったと言ってくれるとオレも嬉しく思うね。


「六角では甲賀を御家のやり方で変えると言うておるらしいが、いずこまで信じてよいのやら」


「左京大夫様と蒲生様あたりは本気らしい。されど他は己らと同格だとは思っておるまい。織田の大殿と我が殿を恐れて形だけであろう」


 また別のところのお年寄りの話に耳を傾けると、こちらは甲賀と六角家の話をしていた。


 甲賀衆からすると六角家は未だに半信半疑なのか。街道の治安維持とか結構うまく行っているんだけどね。もしかしてこっちのお願いだから聞いてくれているのか?


 地域や身分や待遇など、格差はいろいろとある。現状では旧浅井領の北近江三郡を六角は改革しようとして苦しんでいるようだが、甲賀もそこまでうまく行っていないのかもしれない。


 元の世界でも地域による意識の違いは二十一世紀ごろを過ぎてもあった。尾張と三河は愛知県となっていたが、オレの生きた時代でも壁があったと聞くしね。


 特効薬のような解決策はない。


「わしらはもう関わりないがの」


「そうじゃの。日ノ本の外に行けと命じられてもよい。御家のために尽くすのみ」


 お年寄りたちは故郷の今後を憂いつつ、もう過去のことだと割り切っていることに少し驚いた。


「さあさあ、飲まれよ。笑うて生きねば殿に申し訳が立たぬぞ」


「相も変わらず口が上手いの。慶次郎は」


 少ししんみりとしていたお年寄りたちを元気づけたのは慶次だった。


 時にはからかわれ、時には叱られたり説教をされながらも笑顔を絶やさずにみんなの席を回っていた。


 お年寄りたちも一本取られたと言いたげに笑っていた。


 苦労の上に今がある。若い慶次とソフィアさんにお年寄りたちはそれを忘れないでほしかったのだろうと思う。慶次もまたそれを理解して応えた。


 なんというか見ていてホッとする光景だね。




 それと、慶次の婚礼は明日もう一日だけ宴がある。今日はウチのみんなが中心だが、明日は織田家の皆さんを招いての宴になる。この辺りは信秀さんが求めたことだ。


 婚礼であると同時に、ウチの本領と尾張の誼を深めるという同盟的な側面があるためだろう。織田家中にそれを示すという意味がある。


 屋敷が広くなったことで一度に二百人以上で宴が出来るのと、資清さんがなるべく慎ましくと望んだこともあり、慶次とソフィアさんの宴は二日で終らせる予定だ。


 ただし、三日目はお披露目として市中を練り歩き、清洲城まで行くことになっている。これ義統さんと信秀さんの命で決まった。資清さんは畏れ多いと困っていたけど。


 清洲城にて義統さんと信秀さんに拝謁して、祝いの品を貰う手筈となっている。どうやらふたりがウチの島の風習を気に入ったらしい。


 これ尾張でやると、今後同様の婚礼があった時に斯波家と織田家が同じく拝謁を受ける受けないで、揉めることになるかもしれないので、大変になると教えたんだけどね。


 身分や立場で応対する人を変えるからいいということになった。織田一族や重臣は義統さんと信秀さんが、以下信長さんや信康さんたちが身分や血縁によって受ける側となるらしい。


 家中の誼を深めるにはちょうどいいと思ったみたい。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る