第1100話・近江の変化
Side:雪村
「雪村様! 出来ました!!」
「ほう、よく描けたの」
まさか遥か尾張の地で、幼子らに絵を教えることになるとはの。己の絵を描くことばかり考えておったわしには思いもよらぬ日々になる。
未熟な絵もあれば、わしも驚くような構図で描く者などもおる。勝手気ままにのびのびと描けるように教えてほしいと少し難しいことを頼まれたが、やってみるとこれほど面白きことだとは思わなんだ。
皆の絵を見ておると、わしも描きたくなるのだ。
「やっぱり留吉は巧いね!」
別格なのは留吉殿か。南蛮の絵ばかりかと思うたが、水墨画も少し教えると才気がある絵を描いておる。すでに元服しておるが、絵を学ぶことは許されてこうして来ておるとのこと。
これが孤児の描く絵とはとても思えぬ。絵師としても十分やっていけるが、当人が久遠家への仕官を望んで学んでおる。すぐにでも仕官させてやればよいと思うたが、もう少し学ばせたいらしい。
ここには物珍しいものが溢れておる。久遠殿が持ち込んだものだと聞くが、関東では手に入らぬような書物から雅なものまでさまざまなものがある。
驚きなのはそれらを皆に見せておることか。寺社が大切に隠し持つようなものもすべてな。
今は祭りを皆でやるのだと忙しく支度をする日々。信じられぬな。このような国があるとは夢にも思わなんだ。
関東ではやれ関東管領だ。やれ古河公方だと戦ばかりしておるというのに。
東夷だ鄙の地だと言われて当然ということか。
Side:六角義賢
織田の真似をするだけでこれほど苦労するとはな。
北近江の仕置きも終わった。俸禄でよいので一族を残らせてほしいと嘆願された。追放されても行く当てもない者らは帰農をと願い出た者もおったな。
俸禄と帰農を許したところもあれば、許さなかったところもある。家中からも嘆願をされては許さざるを得なかったというべきか。
織田の助言により、北近江三郡において検地と人の数を調べることにした。いかほどの人がいて、いかほどの収穫があるのか。それを知る必要があるという。もっともな意見だ。今まではそれすら出来なかったがな。
従わず蜂起する者もおるであろう。隠し田などもあろうからな。なんとも難しきことをせねばならんものだ。
「受けるしかないか」
「はっ、いかなる手法を選んでも後塵を拝すのは仕方なきこと。無論、御屋形様が望まぬというのならば別の策を考えねばなりませぬが」
織田からは以前からひとつの提案をされておる。織田から荒れておる領地を整える銭や知恵を得る対価として、対価に値する年月の間は田畑の収穫物を税以外すべて織田に売るというものだ。
正直、理解出来ず重臣らと幾度も話した。そのようなことをして織田にいかなる利があるのか分からぬ故、不気味だったのだ。
これの約を反故にすると、織田に攻める名分が与えられることはわかる。されど他国を豊かにする銭と知恵を出す対価としてはあまりに少ないように思えた。
「銭と収穫物を握られる恐ろしさか」
「はっ、久遠殿はそう生易しいものではないと申しておりました」
幾ら考えても我らには分からぬので、蒲生下野守に教えを請うてくるように命じた。
素直に教えるのかと疑念もあったが、分からぬのだ。致し方ない。織田方で教えてくれたのは久遠殿だったようだ。
銭を握り、物の流れを握ることの強み、収穫した品の値を織田が決められることの利を説かれて下野守は恐ろしゅうなったという。
「よかろう。北近江と甲賀でやってみるしかあるまい」
恐ろしい。なによりそのような己の利と策を他国に教えることが恐ろしい。されど久遠殿はこうも言うておったそうだ。
『争わず共に生きるには必要なことです。いつまでも争っていれば世は乱れるばかりなのですから』とな。
国を富ませる。そのために苦労をするのは当然だ。少なくとも管領よりは信じることが出来る。
あの南蛮船の上で、父上に祈りを捧げてくれた男なのだ。
「申し上げます。織田より京極高吉様、飛騨に逃げ込んだと知らせが届いております」
下野守と今後のことを話しておると、面倒な知らせが届いた。下野守と顔を見合わせてため息が出そうになった。
「若狭に逃げ帰らなんだのか」
「姉小路と三木は斯波と織田に助けを求めたようでございます。公方様にご裁断を仰ぐとのこと。いかがいたしますか?」
いかがと言われてもな。公方様にお任せするしかあるまい。こちらに送ってこられれば謀叛を扇動した罪で裁かねばならなくなる。だが、それではわしが恨まれるのみだ。
京極高吉め。よりによって織田の力の及ぶ所に逃げるとは運がない。飛騨で騒動を起こしても先などないというのに。
Side:今井定清
「近江における京極家は終わりか。だからお止めしたというのに」
公方様と管領様の争いに乗じて挙兵して旧領を取り戻す。悪い策とは思わぬが、今の北近江ではうまくいくとは思えぬ。
管領様の
されど先年の織田との戦の傷も癒えぬ現状で、六角相手に立ちあがる者がいかほどいようか考えるまでもない。
管領様も、せめて千人でもいいので兵を寄越してくれれば違ったのだがな。
六角はこれを北近江の国人の謀叛として兵を挙げた。我ら国人はすでに六角に臣従する身だ。謀叛と言える。されど京極家は六角の家臣ではない。管領様の命を受けたという名分もある。
結果から見ると六角は京極家を無視した。京極などいなかったとしたのだ。同じ佐々木源氏の一族だ。せめてもの情けであろうな。
ところが六角は、わしのようにいずれにも味方せぬ者からも所領を召し上げてしまった。わしの場合は六角のおかげで領地を取り戻したのだ。その恩を仇で返したと思われたのであろうな。
確かに京極様は我が城にきた。元は京極家の重臣であったからな。されど勝ち目がないと諭してお止めすると激怒して出ていかれただけなのだがな。
わしは城を明け渡して帰農することにした。人質として出しておった倅も戻り、貧しいながらもようやく落ち着いて暮らせる。
最早、京極も六角もいかようでもよい。いずれに味方しても、味方せぬほうから裏切り者呼ばわりされて攻められるのだからな。
もうたくさんだ。
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