第1080話・美濃の人たち

Side:浅井久政


「今しかないのですぞ! 汚名をそそぐのは!!」


 ああ、わしもかつてはこのような目をしておったのであろうな。そう思うとため息が出そうになるのを堪えた。


 今こそ北近江三郡が立ち上がる時なのだと声高に叫ぶこの男は、ここが観音寺城の目前であるということを理解しておらぬのか?


「情けを仇で返す気はない。早々に立ち去れ」


 この愚か者はわかっておらぬ。織田が来るだと? まことに来るのか? 密約もないというのに。


 気持ちはわかる。浅井が敗れた相手は織田であって六角ではない。それが北近江の者らの根底にあるのだ。中には六角が卑怯にも漁夫の利を得たのだと考える者までおる。


「己は臆病者か!!」


「話しても無駄じゃ。帰らねば人を呼ぶぞ」


 大敗したわしでも、おらぬよりはマシだと考える者がおるらしいな。父上の武勇は未だに健在だということか。


 愚か者は腹を立てて帰っていった。あれで使者のつもりか?


「勝てば天下が揺れますなぁ」


 無言で控えておった幸次郎がようやく笑えると、堪えていた笑いを解き放つように笑うておるわ。


「ここで出てくるくらいならば、前の戦で無理をしても北近江三郡を切り取っておるわ」


 管領細川晴元と京極家の名で気が大きくなったのであろう。北伊勢にて六角が動けぬ間に織田が領地を得たことで、己らも六角から独立出来ると勝手なことを考えた。


 あやつらは知らんのか? 北伊勢では国人や土豪は土地を召し上げられてしまったことを。まだ六角のほうが所領を認めておるだけいいということが分からんらしい。


「殿、もし六角の御屋形様が出陣を命じればいかがするので?」


「命には背かぬ。情けで生かされておるのだ」


 家臣らの懸念はわしが北近江三郡の討伐を命じられることだ。新参者などいずこにいっても扱いは変わらぬ。織田は違うようだがな。


 北近江三郡の者らで争わせるというのはあり得る策であろう。わしはせぬが、中には御屋形様に出陣を願い出る者もいよう。


 いずれにしても織田と六角が争い、己らの領地がそのまま好きにやれるなどあり得ぬことだ。公方様に疎まれておる管領など信じられるか。


「誰ぞ、城にまた使者が来たと伝えてこい」


 戦か。果たして御屋形様はいかに動かれるのか。命と家を助けた恩を返せと言われるならば出ねばならん。


 はてさて、いかがなるのやら。




Side:久遠一馬


「春殿を見ておると、とても伊勢であれほどの武功を挙げたとは思えぬな」


「戦ったのは兵たちで従えたのは武士たちよ。女の身で将などをするから皆が守ってやらねばと思ったのでしょう」


 道三さんと義龍さんと共にさっそく視察に出かけるが、道三さんは一緒にきた春たちを見て興味深げにしていた。


 近頃だと武辺者の奥方として名が知れつつある。三河の野分の後始末はともかく、伊勢で大活躍しちゃったからね。興味があるようだ。


「いかなる形でもよいのだ。結果がすべてじゃからの。関家を即座に落とした采配は見事。あそこで手間取ると厄介なことになっておったであろう」


「山城守殿があの場にいればね」


「運も実力のうちじゃ。運のない将ほど要らぬ者はない」


 この世界に来て、春は遠慮なく本音を言うようになった。もともとさっぱりした性格ではあったけど、ここまで言うタイプでもないとオレは思っていたんだけど。


 伊勢はねぇ。仕方なかったんだと思う。関家に時間をかけると北畠と長野の戦にも影響したからな。おかげで春は武闘派だと思われているけど。


「温泉でござる!」


「賑わっているのです!」


 視察に来たのは二年ほど前に来た長良川温泉のところだ。冷泉で冬でも冷たくならず一定の温度を保つ温泉になる。


 温泉街というか温泉村か? 意外と人気なようで人がいる様子にすずとチェリーが駆けていってしまい家臣が後を追った。


 ここは冷泉なので温めないと駄目だが、この時代だと貴重な医療施設なんだよね。温泉って。泉質によって効能、効き目に差はあるけど。


 湯治宿が何軒か並び、遊女屋や飯屋などの店もあるようだ。運営は斎藤家がしている。領民には安く旅人からは相応の値段を取る。そんな仕組みのはず。


「内匠助殿いかがじゃ?」


「ええ、いいと思いますよ。民の様子もいいですし」


 斎藤家の人たちがオレの顔色を窺っているのを感じて少し居心地が悪い。道三さんはそんなオレの心境を察して少し楽しんでいるようにも見える。


 そんな立場になっちゃったんだなと改めて実感する。


 温泉村の中には露店の屋台もあった。川魚だろうか。焼いて売っているものや、蕎麦や小麦の水団のような汁物を売っている店などある。衛生管理もまずまずだ。


 こういう店があるということは、それなりにお金が回っているということだ。客層も地元の人が多いように見える。


 工業村や蟹江と比べてお風呂の値段は少し高いが、ここは冷泉を沸かす費用が掛かるからね。森林資源の保護の目的もあって、工業村のコークスを一部こちらに回して運営しているはず。


「東美濃では牧場とやらも造っておるとか」


「尾張で試していることは出来ることから広げていきますよ。なにか要望があればおっしゃってください」


 本当は東美濃に建設中の牧場の視察も行きたかったんだが、今回はちょっと日程の都合でいけない。あっちはこのあと春たちに視察をお願いする予定だ。


 ただ気になるのは、道三さんと義龍さんはいろいろと話をしてくれるが、他の家臣はやはり自発的に発言しないことは少し気になるなぁ。まあ余所者のオレがいるし仕方ないけど。あとで道三さんと義龍さんにそれとなく言っておこう。


「いいお湯だね」


「気を使われたわね」


 そのまま視察している長良川温泉に入ることになったが、当然貸し切りでありオレたちだけでゆっくりしてほしいと言われた。


 夏がそれを察して苦笑いを浮かべた。


 信長さんがいなくても接待される側になったんだなという実感と、斎藤家の皆さんの苦労がオレたちも分かるからね。


「警備兵も頑張っていたでござる」


「優秀なのです」


 姿が見えなかったすずとチェリーは警備兵の視察をしていたらしい。オレたちの目の届かないところでも機能していたことが嬉しい。


 細かく見ると、それなりに問題と改善点はある。やくざ者ではないようだが、実質的に温泉村を仕切る商人がいることとかいろいろとね。


 指摘はタイミングと実情を考えてする必要がある。今回は致命的な問題以外はスルーするべきだろう。みんな知恵を絞り頑張っているだけでいい。


 隣村や隣国が敵だった時代を生きる人たちが、力を合わせて頑張っている。今回はそれを褒めてあげるべきだ。


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