第1077話・旅の絵師

Side:久遠一馬


 津島神社と熱田神社の懸念について信秀さんに報告して、義統さんを含めて相談した結果、織田家の中にこの問題を話し合う場を設けることになった。


 大橋さんや千秋さんは評定衆であるが、現時点では織田家の中に寺社を専門に担当する部署はない。守護使不入のように寺社は武家の干渉を好まないこともあるし、寺社のことをどこまで武家が決めてどうやって従えるか。デリケートな問題だ。


 史実の江戸幕府の寺社奉行のように担当部署を設けるのかどうかも決まっておらず、とりあえずは津島神社と熱田神社を中心に織田家に協力的な寺社を集めて話し合う場を設けることだけが決まった。


 現状では嘆願や相談を含めて窓口も決まっておらず話し合いの場もない。織田家と繋がりが深い津島神社と熱田神社が相談されて仲介した例も結構ある。まあ妥当なところだろう。


「今日は暑うございますな」


 屋敷で仕事を片付けていると、湊屋さんが姿を見せた。清洲城に報告書を提出した帰りらしい。硝石にて冷やした麦茶を出してあげると嬉しそうに飲んでいる。これも贅沢品扱いなんだよね。


 留守中の報告するまでもない雑談をしつつ、話は近江に移った。


「近江では織田と六角が戦をすると噂となり、あらゆる品物の値が上がりました。大湊には戦はないと明言しておきましたので、こちらはほぼ変わっておりませぬが」


 たいしたものだ。物価の安定をきちんとしてくれている。ただミレイとエミールから湊屋さんの負担軽減と、人員の増員を要求する報告が上がっているんだよね。


「湊屋殿、ちょうどいいから意見を聞きたかったんだ。蟹江は相変わらず人手が足りないし、丸屋殿を召し抱えてみようかと思うんだけどどうだろう?」


「丸屋殿は実直な男。されどあちこちの事情を考慮して動くことはあまり向きませぬな。ただ目付。久遠家の言葉で言えば監査役には向くかと存じます」


 商い関係も人は増やしている。湊屋さんなんか息子さんが三人いるが、とうとう大湊の店を親戚に譲って息子さんたちはウチの家臣として働いている。家臣や忍び衆の中からも志願者を募って増員しているが、はっきり言うと商い経済規模の拡大で人員が追い付いていない。


 織田家としても当然動いている。戦での怪我や病気などで隠居したり、家で養ってもらっている人を文官として働かせている。武士の場合は最低限読み書きが出来るので、プライドとかに拘らないと使えるんだ。


 家に居座るだけだと肩身が狭いが、これで禄を貰えばそんな思いをしなくて済むと喜ばれているらしい。


 ただ信用出来る人材がまだ足りないようで、ミレイから丸屋さんを召し抱えてもいいかという報告が上がっていたんだよね。


「監査か」


「商人としてはやりにくい役目でございますな。同じ商人を疑う故に。されど武士では気付かぬことも多く、難儀しておるところ」


「任せていいかな? 本人の意思を聞いて、望まないならそのままでいい。ただやってみたいなら召し抱える。オレが聞くと断れないだろうからさ」


「はっ、お任せください」


 こういうとき、オレの考えに沿って動いてくれる人って貴重なんだよね。禄もそうだが、珍しい食べ物や料理をあげると喜ぶんで、ミレイたちがよく一緒に宴会をしているって聞いている。


 この人がいないと、ほんとウチの妻たちが全部仕切っていないとダメな状態になっていただろう。




Side:雪村せっそん


 五十代に入り、まさか年端もいかぬ子に弟子入りを頼んでしまうとは。わしはこのまま弟子入りしてもよいと思うが、留吉殿は困ろうな。


 関東の北条家お抱えの前島宗裕殿から南蛮の絵師が尾張におると聞き、遥々会いに来たのだ。


 特に伝手もないので方々を探してみるものの、見られるのは武芸大会か清洲城であろうと言われた。秋まで待たねばならんかと思うておるところで、商家に飾られておった留吉殿の絵を見ることが出来た。


 なんでも留吉殿は久遠御家中の方と聞き及び、この御方ならあるいはと弟子入りを頼みに来たのだが……。留吉殿の歳まで聞いておらなかったからの。


「雪村様! 私の師が会っていただけるそうです!」


 急ぐ旅でもなく、また行先も決まっておらぬと言うと、わしは孤児院という孤児を養っておる所でしばらく世話になることになった。


 関東から奥州の話をすると皆喜んでくれてな。驚いたのは鹿島の塚原卜伝殿と会うたことがあるということだ。ここの子らに剣の手ほどきをしておるのだとか。


「そうか、わざわざすまぬの。留吉殿」


 留吉殿とは互いの絵を見せて、南蛮の絵を習いたいと教えると留吉殿が己の師に頼んでくれることになった。留吉殿の師は久遠様の奥方様である絵師の方様とのことで、会うのも無理かと思うたのだがな。




「雪村でございまする」


「久遠メルティよ。遠路はるばるよく来たわね」


 青い髪には驚いたが、氏素性の知れぬ者に目通りを許していただいたことに感謝しかない。このお方が絵師の方様か。関東の絵師でも名を知らぬ者はおるまい。


「凄いわね」


 絵を見たいというので持っておる絵を見ていただくが、少し驚かれた顔をされた。


「雪村殿、私、基本弟子入りは受けていないの。女の身ということもあって」


 やはり駄目か。北条家に頼んで書状でも書いてもらうべきだったか。


「ただ、これほどの絵を描く人をこのまま帰すのはあまりに惜しいわ。尾張ではね、学校という学び舎にて武士から民まで幅広く学問を教えているわ。どうかしら。そこで雪村殿が皆に絵を教えてくれるのなら、私も絵を教えることが出来るのだけど」


 駄目かと落胆したそのとき、絵師の方様は驚くべきことを口にされた。


「そのようなことでよいのでしたら、是非お願いいたします」


「そう、よかった。では当家の客人として迎えるわ」


 人に教えを請うのだ。己の技でよければ教えよう。とはいえまさかこのような形になるとは。


「よかったですね。雪村様」


「かたじけない、留吉殿のおかげだ」


 久遠家は新参ながら多くの知恵を持ち、才ある者も多く、習うのも難しいと関東では聞き及んでおった。まさかこのような形で願いが叶うとは。留吉殿のおかげだ。


「そういえば尾張では武芸大会なる場にて絵を披露しておると聞き及びましたが……」


「ええ、秋にやっているわ。身分を問わずみんなに見せているのよ。雪村殿もよかったら出してくれると嬉しいわ」


 尾張ではなんと面白きことをしておるのか。


 聞けば留吉殿も孤児だったのだとか。その才を見出されて今では絵師になるべく働いておるという。


 絵を描いて幾年。これほど心躍るのは初めてやもしれぬ。



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