第1071話・久遠諸島滞在中・その十四

Side:滝川秀益


「あら、あなたたち」


 島の町と村を歩いて挨拶をしておると、幼子らが駆け寄ってきた。ソフィアの顔見知りのようだ。


「あのね、あのね、これあげる!」


「いっぱい食べて赤子たくさん産んでね!」


 幼子らはオレとソフィアに箸を手渡してくれた。丁寧に削ってあるものだ。


「ソフィア、着物仕立てたから持っておいき。日ノ本はこっちより寒いからね」


 またある年寄りは自ら仕立てた着物をソフィアに手渡す。


「お武家様に嫁ぐとはね。これは私の母が持っていた守り刀だ。たいしたものじゃないけど持っていって。ここじゃ使わないからね」


 今生の別れだと次から次へと手渡されるもので、ソフィアとオレは両手がふさがる。涙を流して別れを惜しむ者もいる。


 争いの絶えぬ日ノ本に行くことを案じる者が多いことに、本領と尾張との違いを感じる。


 尾張は日ノ本の中では争いもなく食うに困ることもなかろう。されど、他国に嫁ぐ女や送り出す者らの思いを、オレは考えたことがなかったのだと思い知らされた。


「たくさんもらったね」


 最後に本邸に戻ると、殿が頂いた品の多さに驚かれた。ここではソフィアも新参者であると聞いておったが、別れを惜しむ姿に民の温かさを思い知らされる。


 まことによかったのか。迷いが生じる。オレはあまり迷うことなどないのだがな。


「この前も言ったけど、武士とかウチの仕来りとかは気にしなくていい。ふたりで考えてふたりで決めて暮らしてほしい。誰になにを言われてもいいから」


「はっ!」


「かしこまりました」


 殿はオレの葛藤を見抜いておられるのかもしれない。オレとソフィアを案じるように、そう命じられた。


 縁組で当人の心情をこれほど重んじるのは殿くらいであろう。そのせいもあって久遠家では縁組に苦労をしておる。


 ただ殿は、いずれそんな世が来るだろうと以前ちらりと言うておったことがある。


「いつか行ってみたいものだな。そなたの生まれ故郷とやらに」


「冬にはすべてが凍り付くところです」


「面白そうではないか。殿ならば、そんなところでも生きていけるようにしてくれよう」


 すべて終わり一息つく。本当に良いのかという問いが出そうになるのを飲み込むと、先日聞いた生まれ故郷の話をソフィアにした。


「私の故郷はこの島です。ここには領主様らの無事を祈る多くの者がおります。それだけはお忘れなきように」


「ああ、案ずるな。滝川家はたとえ朝敵となろうが久遠家に尽くす。それが定めだ」


 やはり強いな。ソフィアは。殿やお方様がたとも違う。


 だが、それがいい。




Side:久遠一馬


 最後の夜、夕食を早めに済ませると、宴もせずに早々に休んでもらうことにした。


 昨日の婚礼の宴で朝まで飲んでいたからね。


「不思議だね。ほんとうにここで生まれ育ったんだって気がする」


 寝酒にと少し島の果実酒を飲む。


「そうね。それは私も感じるわ」


「寄せ集めの領民がひとつの民となっています。皆、それぞれに考え、明日を見ていますよ」


 メルティとセレスは今回初めて完成したこの島に来ている。それが本当の故郷のようだとふたりも感じたということに驚きを感じる。


 無論、ここは創られた故郷だ。それを理解してもなおそう感じるんだ。


「記憶操作は最低限にしている。あとは思考誘導もなにもしていない。この島の人たちは人間の可能性を見せてくれた」


 ケティは島の名産であるフルーツを頬張ると、珍しく表情豊かにそう教えてくれた。記憶操作は医療部の仕事だ。正直、あまり気持ちのいい仕事じゃないんだろう。


 ただ、そんな中でも人々はたくましく、そしてオレたちが思う以上に変化を自ら望んでいる。その結果にはリアル世界の奥深さも感じるんだと思う。


「アイム、シェヘラザード、プリシアも、みんなもあとを頼むね」


 オレたちは明日、またこの島を離れて尾張に行く。もう物見遊山ではない。帰る場所がある有難さと守ってくれるみんなに心から感謝する。


「歴史はこの島をどう評価するのかしらね?」


「どうなのかしらね。楽しみでもあり怖くもあるわ」


 アイムたちとは今後の島の方針と伊豆諸島のことを打ち合わせしておく。当面は伊豆諸島で医師による診察を定期的にすることにした。


 伊豆諸島の開発物資で必要なものは北条領から主に仕入れればいい。場合によっては北条領から出稼ぎ労働者の派遣も検討することになる。


 あとグアムの開発もだいぶ進んでいるようで、琉球にほど近い大東島と台湾島など南方の入植地の開発も促進させることにした。




「此度の旅に出る前に三郎が言うていたわ。そなたをこの島から出してよいのか、今でも迷うておるとな。その言葉の意味がわかったわ」


 翌日、天気も風もいい。出航日和だった。


 オレたちはすでに乗船していて、最終チェックをする船員を見つつ、港に集まった島民のみんなを信秀さんが見ていた。


 涙を浮かべてソフィアさんと別れを惜しむ人や、オレたちの無事を祈ってくれている人など様々だ。


「この島を守るためにも、私は尾張に行かねばならないんですよ」


 信秀さんが迷いの顔を見せることは珍しいのかもしれない。少なくともオレは初めて見た。


 でもね。この島はほんの少し先の日ノ本の姿なんだ。オレたちだけでは無理でも信秀さんとか義統さんとかみんながいれば実現出来る。


「またねー!」


 そして出航時間になる。ソフィアさんは目に涙を浮かべて見送りの人たちに手を振っていて、お市ちゃんは今回もまた来ると約束している。


 人の行き来を考えると、もう少し速い船がほしい。史実のクリッパー船のように。帰ったら考えてみてもいいかもしれない。


 ソフィアさんのような人が里帰りする慣例も必要だ。


 頑張ろう。オレはもうひとりじゃない。




◆◆


 天文二十二年、六月。織田信秀と斯波義統は久遠諸島を訪問している。旅の様子は滝川秀益著、『天文二十二年・久遠諸島訪問記』に記されている。


 前年の秋以降には伊勢で混乱もあった時期ではあったが、すでに織田家の体制は整いつつあったようでこの時期の久遠諸島訪問となったようである。


 この訪問は当初一馬の三年ぶりの帰省の予定であったが、信秀と義統が同行をしたいと一馬に頼んだという記録が『織田統一記』にある。特筆すべきことは命じたのではなく頼んだということだ。


 訪問中には久遠家の海外領の扱いで義統、信秀、一馬による誓紙が交わされていて、現代では『久遠盟約』と表記されることもある。


 それらのことから信秀と義統は、久遠家に対して国内と海外を出発前から分けて考えていたのではないかと推測されている。


 同行者には織田信安、斎藤義龍、氏家直元、松平広忠、吉良義安など、織田家古参から新参まで多くの者が同行していたようで、進んだ技術を有する久遠家の本領を見られるということで楽しみにしていた者も多かったようだ。


 また菊丸と名を偽っていた時の将軍である足利義藤と側近の細川藤孝、彼らの剣の師であった塚原卜伝も同行していて、この旅が後に与えた影響は計り知れない。


 『天文二十二年・久遠諸島訪問記』には義藤のことは塚原卜伝の弟子がいたとしか書かれていないが、『義藤記』には滞在中の義藤の様子も書かれていて、島民と共に秀益の婚礼の準備にと漁に出ていたことなど義藤の人柄がわかる逸話が多い。


 これ以降、織田家では久遠家を手本として領国統治や産業の育成などをより一層進めることになった。


 歴史家の中には織田家だけ別の時代を生きているようだと語るほど、他国との格差はどうしようもないほど広がることになる。




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