第1047話・久遠諸島への帰省・その二

Side:久遠一馬


 太平洋に出た船は一路東を目指した。最初の寄港地は伊豆諸島の神津島だ。この時代だと他国の領地はなにかと気を使うが、伊豆諸島をウチの領地に出来たことで、堂々と途中で上陸することが出来るようになった。


 今回の船団は旅客型ガレオン船一隻、五百トンの通常型ガレオン船が二隻、織田家のキャラック船が二隻、それと神津島まで護衛兼荷を運ぶ久遠船が五隻の編成になる。


 護衛は必要ないと言えばないのだが、急な嵐にでも遭遇したら、駿河や遠江でも陸に近寄ることはあり得る。どのみち伊豆諸島に物資を運ぶ定期船の時期と近かったんで一緒に船団を組むことにした。


「これを飲むといい」


 出航して二日目。幸いなことに嵐にも遭うことはなく、多少の雨が降った以外は順調だ。


 ただし一晩経過したことで、寝られなかった者や船に酔う者が出ている。


「申し訳ございませぬ」


「船に酔うのは恥ではない。船が合わない人はウチにもいる。体調が優れない時にはちゃんと報告するように」


 ケティが船内を回って、そんな体調が優れない人を見つけては診察して薬を飲ませている。身分のある人だと、吉良義安さんが船酔いに苦しんでいたみたい。ただ恥となると思ったのか、隠していたようでケティにお説教を受けている。


 事前に説明会もして、船に乗ったことのない人には久遠船を使って乗せてみたのだが、苦手なのを隠していた人がぽつぽついるようだ。


「姫様、次に行きましょう」


「はい!」


 ああ、今日のケティの助手はお市ちゃんだ。彼女は昨日から食事のお手伝いなどをしてよく働いてくれている。


 船の上ではみんなで助け合うんだというウチの流儀を知っているからだろう。おかげでケティとお市ちゃんにお説教をされる名門吉良家という、少しシュールな光景が見られた。


「にゃーん」


「ねこ! いい子いい子」


 そんなお市ちゃんの表情が和らいだ。船乗り猫を見つけたからだろう。ウチは船での衛生環境とか居住性を、この時代の船とは比較にならないほどきちんとしているが、それでもネズミが入り込むことがないとは言えない。


 まあ、前回久遠諸島に戻った時の船には乗せていなかったんだけどね。最近は織田家でもキャラック船を保有しているし、久遠船で関東や伊豆諸島へ遠出もある。ネズミ対策で船には猫を乗せるようにしているんだ。


「リーファ。どうだ?」


「順調だよ。神津島までは嵐もない。退屈なくらいさ」


 船内を回って甲板に出ると、乗客の皆さんが体を動かしていた。航海上なので揺れているが、気にならない人は気にならない。特に下層の乗客には一日数回、交代で甲板にでることを勧めている。


 そのまま後部にある楼閣の船長室に入る。ここでは船長であるリーファと副船長の雪乃の部屋となっている。海図を見ながら現状と今後の話をするが、季節的に雨は降るが嵐にならないので安全な航海を出来そうだ。


 雪乃はベッドで休んでいるらしい。夜通し船を走らせていることもあり、船員は交代で休むことになっているんだ。


「しかし、この旅客型。快適だね」


「利益にはならないけどね」


 雪乃を起こさないように旅客型ガレオン船のことをリーファと話すが、やはり利益にはならないか。


 当分は織田家とウチの移動用がせいぜいだろう。とはいえこういった船の建造と運用もいい経験となるはずだ。


 史実と違い、海外領があるだけに人の移動に関してはこれからも必要となるからね。無理にとは言わないが、発展させていかないと。




Side:織田信長


 親父や守護様がおらずともやることはある。次から次へと持ち込まれる書状に少し嫌気がさす。


 守護様への書状は念のため目を通す許しは得ておるが、あとは戻られるまで棚上げだ。『わしが困っておった時に見向きもせなんだ者らなど知らぬ』、そう言うて憚らぬ御方だ。少しくらい待たせればいいと笑うておられたからな。


「国をまとめるというのは難儀なものだな」


「ふふふ、婿殿はまとめた後まで考えておらなかったのであろう? 若いとそのようなものだ。家臣に命じておけばいい。かつてはそれで良かったのだからな。されどそれでは戦も謀叛もなくならぬ」


 思わず愚痴をこぼすと先日から清洲城に入り、働いておる義父殿に笑われた。謀叛人とまでかつては噂された義父殿も、近頃はそのような噂は聞かなくなった。井ノ口の町を栄えさせ、孫の顔を見て歩くくらいだ。


 『仏の弾正忠様は蝮を改心させた』。そんなことが巷では囁かれておるという。義父殿はそのような噂を如何に思うておるのであろうな?


「耳が痛いな。わしとて同じであった。やはり一国をまとめる器でないということか」


 与次郎叔父上は義父殿の言葉に如何とも言えぬ顔をした。


「わしとて大差ないの。されど、内匠助殿ならば国をまとめるのは器ではなく制度だと言うのであろうな」


 親父も義父殿も与次郎叔父上も、ほんの数年前までは、そこらの武士と変わらぬ生き方をしておった。それは確かだ。


 とはいえ新しきことを理解して、己を変えていける。それが出来るか出来ないかの違いであろうか。


「無量寿院がまた弱気になったな」


 書状に目を通して必要とあらば判を押す。ふと気になったのは無量寿院からの書状だ。


「あそこは同門の寺の面目で動けぬところ。本音では争いも対立も望んでおるまい」


 とにかく己の面目を気にして、あれこれと嘆願があるところだ。かずは話す意思があるうちは付き合えばいいと申すが、家中ではもう放置してよいのではという意見もある。


 義父殿が言うように同門の寺の面目と、長年争っておる本願寺と、その傘下にある願証寺に対抗することだけは捨てられんとみえる。


 初めからこちらの話に乗っておれば、面目を失うこともなかったというのに。花火と熱田祭りの賑わいでさらに弱気になったとみえる。


 今更、遅いわ。親父がおらぬとの理由でしばし放置しておくか。




 それにしても……、旅に出るのも苦労があるが、残るほうはさらに大変だな。ましてオレは親父の代わりに決断せねばならんのだ。


 かずらは今ごろ船の上か。羨ましい限りだ。


 自ら天下を望まぬ。最初聞いた時はおかしな男だと思うたが、今ではその気持ちもわかるというもの。


 誰もが飢えず争わず生きられる世が来れば、むしろ天下人など窮屈なだけだと気づいておったのだろうな。


 親父や守護様が久遠諸島を見て、同じようなことを言い出さねばよいが。


 それだけは気掛かりでならん。



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