第1043話・増える同行者
Side:久遠一馬
北伊勢と中南伊勢沿岸部、志摩半島の織田領にある神宮領に関して、伊勢神宮との話し合いが続いている。
織田領と近隣の領地の格差からなる問題はほぼ明らかとなっている。小作人や農家の次男三男以降などの土地を持たない者たちから逃げ出す。生まれ育った村を出て流民となった者に行き場などないという、この時代の常識が覆された結果だ。
惣村という伝統も意外に脆かったなというのが印象だ。
無論、土地に拘る人はいる。とはいえそんな者たちに従い手足となって働く者がいないと村は機能不全に陥る。
伊勢神宮も喜んではいないが、仕方ないと悟っている感じか。近隣が裕福となれば必然的なことだ。武力を用いることも出来ず真似も出来ない以上は、話し合って解決するしかない。
こちらは神宮領の簡単な調査と、先にも上げた今後の予測の概算を出すべく準備を進めている。領地でどれくらい苦労をするのか。それを明らかにすれば、おそらくは伊勢神宮への寄進を定期的にすることで絶対に手放せない領地を除き負担が重い領地は手放すだろう。
もともと大半は武士に横領された土地だからね。あまり口出しをする気はないが、伊勢神宮もそろそろ根本的な改革を考えてもいい頃だ。止まっている式年遷宮もある。各地から献金を集める努力などをしているが、根本的な解決にはならない。
それはいいんだけど……。
「菊丸殿は駄目でしょう。船は危ないものなのですよ。数隻で行って対策も講じておりますが、陸にいるよりは明らかに危ういものです」
えっと、塚原さんと一緒に予定にない登城をしたジュリアが、とんでもないことを言い出した。塚原さんとお弟子さんたちを久遠諸島に招きたいと。まあ塚原さんたちはいい。ただあそこには今、菊丸さんこと足利義藤さんがいる。
思わず本音が出ると、一緒に話を聞いていた信秀さんと義統さんも苦笑いを見せた。エルですら驚き考え込んでいる。
菊丸さんにもしものことがあれば、織田が苦しい立場になることだって十分あり得る。次の将軍が史実の義昭にでもなると、将軍としての教育を受けていない彼ではどうなるかわからない。
こちらから富を奪えと側近が囁くと一気に情勢が変わる。
それと一番の問題なのが、近衛さんや菊丸さんのお母さんである慶寿院さんなどに根回しをしていない独断ということだ。ウチの船だし、正直言えば死ぬことはないだろう。とはいえ隠して日ノ本の外に出ていたとなると、織田と近衛さんや慶寿院さんとの信頼関係に亀裂が入ることもあり得る。
「船での移動もすでに幾度も経験しておられる。さらに責めは某が負いまする」
信秀さんたちは静観か。正直、反対したと菊丸さんの耳に入るだけで関係が悪化する可能性もある。言えないよね。オレはジュリアのおかげもあって本音が言える立場だけど。
ただここで困ったことに塚原さんが口を開いた。どうやら本気らしい。この人には並々ならぬ世話になっている。しかも返礼とか一切求めないんだよね。
「菊丸に見せてやりたいんだ。アタシたちの島をさ。それに敵になる時は、なにをしても敵にならざるを得ないもんだよ」
ジュリアも本気かぁ。リスクや懸念をわかっていてもそれを望む。最善ばかりが答えじゃないってことか。わかっているつもりだけどさ。
エルに視線を向けるも仕方ないと困ったように笑みを浮かべた。歴史ではなく今を生きる人として考えると、多分ジュリアの選択は間違ってはいない。
「当家としては了承いたします」
せっかく紡いだ誼をつぶすことは出来ない。でもジュリア、危険な選択だよ? わかっているんだろうけどさ。
あとは信秀さんと義統さんの判断だ。
「よかろう。ここで公方様の御不興を買うわけにもいかぬ。それにジュリアの申すことも一理ある。考えすぎても仕方あるまい」
「そうじゃの。なにより塚原殿には借りもある。無下には出来ん。塚原殿がおらねば観音寺城での謁見で如何になっておったかわからぬ」
やはり信秀さんも義統さんも止めなかったか。ふたりの言うことももっともなんだよね。
ただ、この久遠諸島行きの話が出て以降、オレは織田家中とウチの家臣のみんなに何度も話をした。海は危険で船酔いは苦しいものだって。死ぬことだってあり得ると候補に挙がった人には特に説明をした。
もともとこの時代でも海は怖いものだとみんな理解している。とはいえ信光さんやお市ちゃんが行きたいと言っているせいで、深刻さが伝わっていない懸念があった。
それと厄介なのが、ウチの船で島に行くことが立身出世のひとつだと思われていることや、それ自体がステータスになりつつあることだ。
ウチでも船が苦手で乗れない人がいると教えているんだけどね。それでも辞退した人は少ない。
客船仕様にした千トンクラスのガレオン船もあるので、同行者は五百人を予定している。織田家家臣とそのお供の人で三百人ほど。あとの二百人はウチの家臣と職人衆に、孤児も働いている子たちを連れていってあげることにしている。
客船仕様のガレオン船は一隻で四百人を、この時代としては快適に運べるものになっている。あとは荷を運ぶ通常のガレオン船二隻と織田家のキャラック船二隻の、計五隻での帰還を予定している。
積み荷はまあいろいろある。島で育てていない米や麦や蕎麦などに加えて、紙なども運べばいいだろう。
同行者は荷を減らせば千人は行けるんだが、あまり多いと尾張が大変になる。
「世の動きとはままならぬものだな」
ジュリアと塚原さんが下がると信秀さんが一言呟いた。
足利義藤さん。彼が征夷大将軍であり日ノ本を束ねる人であることに変わりはない。とはいえすでに足利家では日ノ本を治められないほどに荒れている。
そんなこの時代でも、義藤さんのおかげで尾張は今のところ大きな危機がないのも事実だ。将軍が大きくなった織田や斯波を潰そうと考えるのが、室町時代では当然と言える。
それが程度の差はあれど、斯波と織田は義藤さんに守られているんだ。当然ワガママに思えても無下には出来ない。
菊丸さん、まだウチにいるかな。あとでもう一度、オレの口から危険だということを進言しておこう。それで考えを改めるとは思わない。でもきちんと教えておかないとダメなことだ。
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