第1027話・春の終わりに
Side:久遠一馬
寺社が少し揺れているが、伊勢も落ち着いたことで久遠諸島に一度帰省しようかという話が持ち上がっている。
表向き本領であることに変わりなく、たまには帰省したほうがいいのではと周りが気を使ってくれているんだ。今年は閏年なので五月に熱田祭りで花火大会があり、そのあとになるだろうが。
現状だと予定のひとつとして検討している段階で、予期せぬトラブルがなければ行けるかなという感じだ。
花火大会だが、今年もそれなりに招待状を送っている。ただし、大内義隆さんの葬儀があった去年とまったく同じところに送ったわけではない。中には招待していないところにも押し掛けられたが、招待客に仲介されて、客人として扱っているなど様々になる。今回はさすがに京の都の公家衆は来られないようで残念な思いをしていると聞くが、駿河と越前の公家と周辺諸国の有力者は代理でも来るかもしれない。
領内では田植えの終わったところから賦役が盛んとなる。二毛作の場合は麦の刈り入れあとの田植えになるのでまだ田植えは行われていないが。この時代は早植えと遅植えがあるからね。
伊勢に関しては、北畠がこちらのプランテーション案を丸呑みした。正直、どう交渉していいかわからないんだろう。北畠の農地で、北畠の労働力を使って、こちらが知識と技術に資金を提供して、その分作物を独占的に買い上げる。土地や人を取られるよりはいい。その一言に尽きるのだろう。
北畠家では花火に合わせて、長野家を含めた家臣団を連れて尾張に視察に来ることで調整が進んでいる。
長野家との領地整理の交渉は未経験のことなので少し難航しているらしいが、直轄領となった元長野領から田仕事が終わり次第、北畠家の徴税としての賦役にて野分や一揆で荒れたままの田畑の復旧が行われる予定だ。
「へぇ。梅戸家がねぇ」
新緑が見られる季節となりつつある。この日、望月さんが少し気になる報告を持ってきた。
「はっ、東海道の件を知り、焦りを見せておるようでございます」
北伊勢から近江に向かう八風街道を押さえている梅戸家が、東海道の整備を進める計画を聞きつけたらしい。
「あそこも面倒なことになっているからね」
北伊勢の一揆勢を罪人として使い潰すつもりらしく、復興はこの時代にしては迅速に進んでいる。とはいえ無理をさせているようで不満がたまってもいる。
織田で捕らえた一揆勢も罪人として働かせているが、あっちは数が多いからね。管理も大変だし人数が多いだけ不満もたまると懸念となる。
それと梅戸はいいが、千種は梅戸の下に置かれている形なのが不満らしい。また領民も一揆勢の不満が伝染しているのか、織田のほうがいいのではと囁いている。
現状では千種と領民は特に動く様子もなく、日常でよくある程度の不満だが、総じて言えるのは東海道が栄えると自分たちが貧しくなると理解していることか。当然と言えば当然で、道の性質が違う。東海道は京の都に至る道。八風街道は東山道と東海道との
梅戸としてはこれだけ懸念材料が集まると、大丈夫なのかと不安もあるとのこと。まあ梅戸家自体が六角家からの養子が入っていることもあり、捨てられるとは思ってないが。貧しくなった領地を主家が助けてくれることなど普通はあり得ない。
戦々恐々としていると言ってもいいのかもしれないね。
「甲賀は喜んでおるようでございますな。暮らしがそうそうよくなるとは思っておらぬのでしょうが、織田と領地を接することで期待も大きい様子」
東海道の正常化は思った以上に早く出来るかもしれない。当分護衛は必要だろうが、甲賀と連携すれば危なくて使えないということも減るだろう。甲賀の場合は領民が旅人を襲っている場合もありそうだし。
織田領の場合はいろいろ積み重ねもあって変わりつつあるが、この時代だと旅人が狙われるなんて珍しくもない。特に甲賀は貧しいからね。飢えるよりはどんなことをしても生き残ろうとしてきたんだろう。
プランテーション案、甲賀のほうが早く進むかもしれない。昨年の冬にも飢えるというから支援しているし。
「良かったね。あそこで六角と戦にならなくて」
「はっ、正直、胸の
六角は今のところ織田と戦をする気なんてない。あそこも上層部は、織田の力が上であることを理解している。
オレも正直ホッとした。六角は勢力圏が広いけどね。北近江三郡は潜在的に敵対勢力だし、甲賀と伊賀はウチの影響もかなり強い。戦になってしまえば寝返ることもあり得るだろう。
先代だった定頼さんの残した遺産で今はいいが、伊賀と甲賀と北近江三郡をこちらが積極的に取り込もうとすると六角は苦しくなる。
無論、そんなことやらないけど。畿内に巻き込まれるし、あそこは比叡山とか面倒な相手もいる。なので六角にはこのまま平和的に頑張ってほしいもんだ。
Side:織田信友
「久しいな」
三河安祥から久々に戻ると、河尻が顔を見せにきた。元気そうでなによりじゃの。
「内匠助殿の使いで参りました」
「やはり、気を使うてくれたのは内匠助殿か」
旧主に頻繁に会いに来ては忠義が疑われる。因幡守家を継いだあとも、わしはなるべく元家臣らとは会わぬようにしておる。わしのためでもあり、元家臣らのためでもある、されどこの男は清洲に戻ると顔を出すのだ。
今日は鯨肉と酒をわざわざ河尻に持たせて寄越してくれた。使いなど誰でもよいものを。あの御仁は、本当によく気を使うの。
「殿ばかりか守護様ですら気を使うておるというのに驕るそぶりもない。かつてを思い出すと恥じ入るばかりじゃの」
大膳が生きておった頃をふと思い出す。養子として大和守家を継いで以降、わしはろくに政も知らずに驕っておった。人は己の家柄や身分に合わせた働きをせねばならん。それすらしておらなんだのだからな。
「さて、内匠助殿の見ておるものは我らとは違います故に」
「民を富ませることで国を富ませるか。考えたこともなかった。民が知恵や力を付けるとろくなことをせぬ。大膳ならばそう言うたであろうな」
教えられるともっともだと思うが、それを考え政に映すことが出来るのは並みの男ではない。
三河で骨身に染みるほど理解した。松平も吉良もすでに
権威や代々積み重ねた力よりも民は織田と久遠を信じて求める。国人や土豪がいかに騒ごうとも民とて愚かではないのだ。己らを食わせてくれる強き者に従う。
「東三河が騒いでおるとか」
「今川の威光も遠い昔のことよ。遠江の者らは戦々恐々としておろう」
ああ、すでに『後に残るは
日ノ本をまことにひとつにしてしまうのではないのか? 大膳と共に首を刎ねられることにならずに良かった。
こうして時折、かつての家臣と酒を酌み交わすだけでわしは十分じゃ。
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