第867話・吉良兄弟と救助の限界

Side:吉良義安


「兄上! このままでは……このままでは!!」


 ため息が出る。日頃からあれだけ吉良家が軽んじられておると騒ぎ、家臣らを無駄に惑わせておった愚か者が。己が騒いだことで此度の騒動に繋がったことがわからぬとみえる。


 名門吉良家には織田とて安易に手出しなど出来ぬと、おのが力も後ろ盾もない、真に空虚極まりない自信で勝手なことを語っておったせいで、矢作川の東側で被害の大きい東条吉良家と違い、被害の軽い西条吉良家の家臣どもが幾人も久遠家の奥方の命を拒否した。向こうはわざわざ清洲の殿の書状まで持ってきたというのにだ。


 さらにこの愚か者は、連日、久遠殿に会わせろと本陣の因幡守殿に詰め寄っておると聞く。因幡守殿も久遠殿も甘い。謀叛人として捕らえても文句など出ぬであろうに。


 それにだ。最早、久遠殿が如何に思うかではないのだ。三河守としての命を無視されたことで殿の面目を潰した。久遠殿とて関わりたくあるまい。ここで庇えば久遠殿にまで火の粉が降りかかってもおかしゅうないからな。


 そもそも織田にとって吉良家は必要かと言われると邪魔であろう。織田は吉良など要らんと今川に押しつけておったくらいだ。己よりも名門の家臣など扱いにくくて敵わんからな。機会があれば潰したくて当然。


 殿は愚かな我らを相手に兵を挙げるか? いや、すでに数千の兵が尾張と美濃から集まっておるのだ。久遠殿に吉良を討ち取れと命じれば一日と持つまいて。


「共に清洲に参ろう。一緒に腹を切り、吉良家存続を願うしかあるまい」


「兄上!?」


 正直なところわしは清洲に呼ばれておらぬ。如何なるわけかわからぬがな。久遠殿の奥方に命じられたことも従っておるからかもしれぬが。


 とはいえこのままではまことに吉良家が滅ぶことになるやもしれん。


「いやじゃ! 腹など切りとうない!! そうじゃ、公方様に願い出れば! わしは足利所縁の西条吉良家の主ぞ!」


「尾張、美濃、西三河を治める織田の面目を公方様が潰すとでも思うのか? 公方様のために働いてもおらぬ吉良家のために」


 名門は名門だ。とはいえ働きもせぬ吉良家のことなど如何程考えてくれようか。それこそ腹を切れば家の存続を認めるという取り成しがせいぜいであろう。武衛殿とてそうだ。吉良家を憐れんでおってもそれ以上は動くまい。


 それがわからぬ愚かな弟。わしの命すらもう危ういということがわからぬらしい。勝手をした家臣らの首と我ら兄弟の腹で収めていただけるとよいのだがな。




Side:久遠一馬


「そっか。お疲れ様」


 対策本陣にあるオレたちの滞在するゲルに戻ると、すでに春たちやすずとチェリーが戻っていた。


 行方不明者の遺族に言われて人命救助を今日で終えると教えると、みんなに労われた。


 死者行方不明者は人口調査を基にすると四百五十八人。水に流された者を含めて救助出来たのは二百八十七人。密かに偵察衛星による川の氾濫の詳細情報や地上をレーダーでスキャンした情報を使いつつ、地元の人たちと相談しながら捜索した結果だ。


 他にも数は多くないが警備犬も使ったし、地中の様子を探るゾンデ棒も急遽導入した。


 人口密度の低いこの地域でこれだけ救えたのは、人員を最初の五日間に大量動員出来たとしても驚きだと言われるほど。


 それでも救えなかった人が大勢いる。


「調べたけど、村までは事前情報が伝わってなかったわ。寺領のほうがまだ伝わっていたもの」


 やっぱりか。春に事前の情報がどこまで伝わっていたか調査を頼んだんだが、その結果に怒りを覚える。どうりで人的被害が多いわけだ。


 一方で寺領は慎重だった。野分がくるかもしれない。夜間は危ないので川や田んぼを見に行くなというこちらの指示をそのまま伝えていたみたいだ。


「やっぱり情報伝達の法と仕組みがいるな」


 こちらの指示を守るか守らないかは村で判断する部分もある。とはいえ末端まで伝達出来ないって致命的だ。


「夜分遅くにすまぬの。少し飲まぬかと思うてな」


 そのまま集めた情報について話していると、信友さんが訪ねてきた。春の要請を無視した連中やその親族が、まだ信友さんに付きまとっているらしい。申し訳ないと謝罪したら苦笑された。オレが謝ることではないと。


「筆頭は吉良殿の弟でしたか?」


「うむ、織田に従うのを良しとせぬ者の御輿のようじゃの」


 兄の吉良義安さんは矢作川の堤防の簡易補強に自ら人を率いて加わり働いているが、弟の義昭さんが本陣で騒いでいるとか。信秀さんに知られるとそれだけで首を刎ねられるぞ。そんなこともわからないらしい。


「吉良領は西も東もだめだよ。あそこだけ賦役が遅れていたから」


 地図を開き、騒いでいる人の所領を確認していく。弟の義昭さんは矢作川の西側にある西条吉良家の当主なんだが、結局織田に従ったのは兄と同じ昨年の後半だったこともあり、あそこだけ治水に穴がある。


 検地と人口調査も家臣が非協力的だという報告があがっていた。信広さんが叱責すると渋々協力したらしいが。


「私ではもう如何様にも出来ませんよ。殿の書状を無視したのですから」


 さっさと清洲に行けばいいのに。弁明に来いと命じられているのに遅れると、本当にどうなっても知らないよ。


 それにもうオレにもどうしようもない。まだ意見を求められている段階ならいい。だが信秀さんが正式に命じたことに対して公に意見するのはまずい。


「まあ、それはよい。わしもこれ以上は面倒見きれぬ。それよりも川の流れを変えると聞いたが……」


「あの辺りは、いくら堤防を高くしても駄目なの。ここに川を通して根底から変えないと同じことの繰り返しになるんだよ」


 信友さんの用件は川の改修のことか。そのことは秋に任せていて、人を使い史実の矢作新川の辺りの調査をすでにしている。どうもその噂を聞きつけたらしいね。


 秋は地図に新川の経路を描き加えて信友さんに説明を始めた。


「ふむ、凄まじい賦役になりますな。されど西三河にそこまでする必要はありますかな? あまり米も取れぬ土地」


 川の堤防建設とは桁が違う新しい川の整備に、信友さんもさすがに疑問があるようだ。正直、三河は尾張と比べて驚くほど生産性が低い。


 吉良家の収入は石高ベースだと二万石から三万石程度。今回の被害は吉良以外にも細々とした土豪や国人がいるが、矢作川の氾濫の被害は米の収量だとおおよそで一万石程度になる。


 春たちが初動で水に浸かった田んぼを諦めた成果もあり、被害はある程度は抑えられた。吉良や細々とした国人としては死活問題になる被害でも、織田としては軽微な被害だ。飢えさせないための支援を考慮しても人的被害のほうが大きい。


「川の流れを定めてしまえば田畑も広がり栄えますよ。清洲や那古野の近辺は町が広がるに従って田んぼが減っていますからね。西三河を整えることは先々で役に立ちますよ。西三河を尾張とひとつにしてしまうんです」


 信友さんも三河は他国だという認識があるらしい。そういえばここまでじっくり話したことなかったね。せっかくだ尾張、美濃、西三河をひとつの経済圏とする政策の意義を伝えて、積極的な推進者になることを期待しておこう。


「なるほど。恐ろしいことを考えなさるな。他国までも領国にしてしまうとは」


「属国だからと搾り取るだけではたかが知れていますので。本證寺の旧領は大きく変わりましたよ」


「あそこは確かにそうですな」


 モデルケースとして本證寺の旧領を挙げると理解してくれた。あそこは元あった村を移住させたことと区画整理でがらりと変わった。


 米の収量も上がったし、稲作に向かない土地は綿花の一大生産地になっている。人も随分と増えたことで安祥城なんか周りに大きい町が出来たくらいだ。


 そのまま信友さんと今後の三河について意見を交換する。命令違反の者たちにはさっさと清洲に行かせることにして、被害対応を迅速に進めたい。信友さんもいい加減、彼らの相手が嫌になっているそうだ。


 新川の賦役は氾濫箇所の堤防の応急処置と強化、それと泥などが流れ込んだ田んぼの復旧後となる。川の堤防は来年の梅雨までに、田んぼは春までに復旧したい。


 それと明日には亡くなった者たちの弔いを織田家としてすることにした。近隣からお坊さんを集めて盛大にやる。これで遺族の人たちも区切りを付けられるだろうと思いたい。



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