第850話・西三河最後の戦い
Side:松平広忠
織田においても久遠は別格だ。軍監として参った者がそうこぼしておった。
親子、兄弟ですら争い、奪い合うこの世において、主家を超えるような者は潰されて当然と言えよう。にも関わらず、久遠だけは勝手が許されておるという。もっとも織田は松平ほど一族で争わぬがな。
陰で笑われておろう。三河の中で一族すら纏まれぬ松平などとな。
進軍は遅い。岡崎から逃げてくる者らを安祥に行くようにと命じたりしておるからな。戦が終わればすぐに戻すのだろう。相変わらず抜かりがない。
「煙……?」
「申し上げます! 謀叛人どもは岡崎城に火を掛けたようでございます!!」
ようやく我が城が見えてくるかというところまで進むと、煙が見えた。まさかと物見を出すと、あの愚か者どもが我が城に火を掛けたとは。
「おのれ……」
「致し方ありませぬな。籠城するほどの兵も集まらず、また久遠家の望月殿が参っておることも
わしと家臣たちは怒りに震えておるが、大久保新八郎がため息交じりにその訳を語る。確かにそうだろう。されどあそこは父上から受け継いだわしの城なのだぞ。
「申し訳ありませぬ。我らが残っておれば……」
「よい、残っておればその方らも殺されておろう」
長年わしを支えてくれた者たちは暗殺が防がれたあと、岡崎城に残っておった者も城を出てわしの下に馳せ参じてくれた。そんな家臣らを責めることは出来ん。
「今川方はやはり動かぬようでございますな」
もしかすると東三河から援軍を呼んでおるかと思うたが、それもないようだ。今川が織田と本気で和睦を望んでおるという話はまことであろう。雪斎和尚ですらそう口にしておったほどだからな。
家臣らは信じられぬという顔をしておるわ。三河では今川が織田に恐れをなして逃げたという噂と、いずれ戻ってくるという噂があるくらいだ。仕方ないことであろうが。
Side:望月出雲守
「支度を急げ!!」
岡崎城から火の手が上がったと知らせが届いた。敵はいかにも打って出るらしい。愚かと思わなくもないが、一戦すら交えずに逃げると何処に行っても笑われるだけだからな。
岡崎の町を巻き込むのは下策。町の手前で敵を待ち受けることになった。万が一逃げたら即追えばいいのだ。こちらの金色野砲の出番はなくなるがな。
されどここに来るまでに苦労もあり、よい経験となった。あとは金色野砲を撃てればいいのだが。
ああ、他には尾張から援軍としてきた武官に、焙烙玉を縄で縛り、投擲するように改良したものを持たせてある。あれもなかなか恐ろしい武器となる。鉄砲と弩も当然あるのだ。金色野砲が使えずとも結果は変わらぬのであろうな。
「出雲守様! 金色砲一番から十番、いつでも撃てます!」
「よし、狙いはあまり付けなくてよい。よく引き付けて撃つぞ。金次、鉄砲隊と弩隊はそなたに任せる。よく引き付けよ」
「はっ!!」
天気もよく晴れておる。こんな日は金色砲日和だな。我らは三郎五郎様の本隊と少し離れたところに布陣した。金色砲の欠点は音だ。味方の馬すら驚くであろう。久遠家では馬を音に慣れさせる
何はともあれやってみぬことにはわからぬことが多い。
「敵の
「岩松八弥の弟だそうで。松平殿の話では、残る一族のためにも他は遠慮したようですな」
敵は見知らぬ旗印だ。誰かと思えば、例の暗殺の首謀者と思わしき男の弟か。兄の仇とでも思うておるのか?
悪いが遠慮は出来ぬぞ。次の世のためにもな。
「よし、一射目は鉄弾でいくぞ。二射目は榴弾だ。間違えるな!」
敵兵が走ってこちらに出てくる。さて、始めようか。久遠家の戦を。
Side:安藤守就
「我らは必要だったのでしょうか?」
思わず出た言葉であろう。同じ美濃衆のひとりがそうこぼすと笑いが起きた。僅か数百の敵に六千も出すとは驚きなのは確かだ。
「いろいろ試したいそうだ。久遠殿は新しきことに熱心だからな」
同じく少数の家臣を率いて参った稲葉殿がそう口にした。そう、用兵も武器も新しきことが多い。武士ばかりか雑兵に至るまで乱暴狼藉を禁じておるし、飯と褒美の銭も出す。
わしなどあまりにも従順な雑兵どもに驚いたほどだ。勝手に抜け出して近隣を襲う者など珍しくない。無論、織田は命じるばかりではない。夕飯と一緒に麦酒を僅かだが出しておる。ここに来るまでも、雑兵どもはそれを飲むと皆が寝てしまうからな。
「新たな世か……」
「安藤殿いかがした?」
「いや、久遠家の夜の方がそうわしに言ったのだ。新たな世が来るとな」
ふとあの時のことを思い出してしまうと、稲葉殿が声を掛けてきた。わしは一介の武士となってしまったが、稲葉殿は織田でも重臣だ。立場に差が出てしまったが、昔馴染みということだろう。随分と気を使ってくれる。
正直なところ、今でも半信半疑なところがある。そのようなこと出来るのかとな。久遠家の者らが本気なのはわかるが。
「そこまで考えぬとこの乱世は終わらぬのであろうな」
稲葉殿もそれほど世渡りが上手い男ではない。違いは仇敵と言える浅井と織田が本気で戦をしようとしたことを稲葉殿が認めたことか。
「来たな。こちらの陣容を見ても打って出るか。よいか、馬を押さえておけ!! 金色砲は音が凄いぞ!!」
敵が動きだすと稲葉殿が下知を出し美濃衆も顔つきが変わる。戦場で馬を暴れさせるなど恥でしかないが、金色砲はそれほど凄いのか?
なにが起きるのだと皆が見守る中、花火を思い出すような轟音が突如戦場に響いた。
「おおっ!!」
敵の先鋒に当たったようで人が吹き飛ぶのが見え味方がどよめいた。罵詈雑言を叫びながら進んでおった敵兵が途端に混乱し始めたわ。
更に間髪容れずに、本陣と久遠家の陣から鉄砲や弩に焙烙玉が飛んでいく。それもひとつやふたつではないのだ。そこまでする必要があるのかと思うほどだ。
「次を撃つのも早いな」
落ち着いておる稲葉殿の顔色が変わったのは、金色砲の二撃目だ。扱いが大変だと聞いておったが、確かに思うた以上に早い。あれでは次を撃つ前に久遠家の陣に突撃することも叶わぬか。
「これが……戦だというのか?」
肝心の二撃目で敵方は
いかに謀叛人とはいえ、槍を交えることすら許されぬのか?
敵はそのまま金色砲から逃れようと四方に散り散りに逃げ始めた。
「よいか! 領内で暴れさせるな! 今川方に追い立てよ!!」
戸惑うておるのは敵よりもむしろ味方かもしれぬ。美濃衆も三河衆もあまりの光景に静まり返っておる。だがそこに敵を追撃するべく合図が本陣より出された。
稲葉殿が指示を飛ばすと美濃衆はすぐに動きだす。
「半端な戦など害悪でしかないということだ。徹底してやるしかあるまい。この乱世を終わらせるにはな」
わしの戸惑いを見ておった稲葉殿が諭すようにそう声をかけてくれた。
「ああ、そうだな。わしは参る」
そうだ。戦をするからには徹底するしかあるまい。安易に蜂起する者がおる限りはな。
無理に首を取らずともよい。今川方の東三河に追い立てろとの命だ。今川が織田の罪人を匿うのか否か見極めるためだとか。
恐ろしいほどの戦をしたかと思えば、さらに先を見ておる。世を変えようとする者はそこまでせねばならんらしいな。
わしは出来ることをしよう。この槍でな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます