第580話・堺の憂鬱と学問のあれこれ

Side:堺の会合衆


「駄目か?」


「ああ、公方様からは逆に三好様へ協力していることを咎められた。まずはそれを止めよと言われたが出来るはずがない」


 思わずため息が漏れた。


 尾張からの荷がほとんど届かなくなったのだ。今まではあちこちを迂回して届いていたり、小商こあきないは出来ていたのだが、織田が斯波家の名の下に、正式に堺との取り引きを禁止したためだ。


 それでも当初こそ、大湊や近江の商人から買った近隣の国の商人が売ってくれていたが、我らに売った者たちに織田は、次に売れば我らと同じく商いを禁止すると警告したようで売ってくれる者が減ってしまった。


 尾張と直の関わりも取り引きもない商人は大層驚いたそうだ。まさか己にそんな文が届くとは思わなかったのであろう。


「恐ろしきは織田の素破か」


「甲賀衆ばかりではない。伊賀者も織田と組んでおる。こちらの動きは筒抜けだ」


 三好様からは事実上の臣従に近い要求をされており、困った会合衆の総意として近江の公方様に使いを出したが、やはり動いてくれぬか。


「近江に行った者の話では織田は朝廷ばかりでなく、近江の公方様にも折々おりおりに献上品を贈っておるそうだ」


「なんと……」


 さすがは織田か。隙がないな。近頃では近江将軍などと陰口があるほどの公方様にまで贈り物をしておったとは。それでは多少の銭では動くまい。


「尾張に行った職人の伝手から漏れた話では、正月は金色酒と餅で祝ったそうだ」


「なんだと! それほどの銭が連中にあるのか!!」


「少しは織田のことを学べ。織田は金色酒を、他国に売るよりもずっと安く領内に売っておるのだ。それに新参者にも暮らしが困らぬようにと配慮しておるらしい」


 未だに尾張を田舎者と侮る者が会合衆におることに驚きだ。いい加減気付かぬか。相手は明や南蛮と対等に商いをしておる連中ぞ。


 それにしても昨年は堺を出ていった者も多かった。わしが知る限りでは、これほど出ていった者が多かったことは記憶にない。


 新参者はどこに行っても苦労する。そう誰もが思えば踏ん張っておるというのに、尾張に行った者は金色酒と餅で正月を迎えたとなれば、会合衆といえど心中穏やかではおられん。


 職人の中には様子見として、少数の親族を送った者もおる。尾張での暮らしがいいと知ると、一族で移住しても驚きはない。


「三好も駄目。本願寺も駄目。公方様も駄目。朝廷は織田に官位をやるというくらいだ。最早お手上げだな」


 味方どころか中立で和睦の斡旋をしてくれる者もおらぬとは。三好様の要求を呑むしかないか? だがそうすれば三好様が負けると我らも責めを負わされる。


「何処にも屈せずここまでやってきた堺が、武士に屈するか」


「ふん! おのれらが軽はずみに尾張を敵に回したのが原因であろう!!」


「なんだと! 己とて同じではないか!」


 手の打ちようがない。そうひとりの者が呟くとあちこちで言い争う声が聞こえ始めた。


 これが日ノ本一の商いをする町だと自負しておった堺の現状だ。同じ会合衆に刺客を送られぬように気を付けねばならぬな。


 誰かに責めを負わせて己だけ生き残ろうとする者が出てもおかしくはない。




Side:久遠一馬


 那古野の町の賦役が始まった。彼らは清洲から那古野までの街道を整備していた人員で、そのまま那古野の街路の整備をしていたんだ。今度は那古野の町を整備することになるみたい。


 那古野の町と街路の整備の縄張りは数年前の早い段階で出来ていたので、新しく家を建てる人たちはなるべくそれに合わせている。


 ただ、城とその周囲に以前からあった集落とか家臣の屋敷の辺りは、そのままで手付かずだったんだ。ウチの屋敷のところとかもね。今回はその辺りの整理もするらしい。


 ウチの屋敷も一部を街路の拡張に使うので率先して提供している。もっとも広い屋敷なので影響はまったくないが。


 それと学校では新しい試みが始まった。


 文字の読み書きが出来る人を対象に、領民に文字を教える先生を募集しており、集まった彼らにしばらく教師としての基礎を指導することになったんだ。


 集まった人は下級武士や隠居した武士に僧侶もいる。


「結構、集まったね」


「いい傾向だと思います。やる気のある人は率先して活躍してもらいたいですので」


 どんな感じかなとエルと一緒に学校にちょっと見に来たが、意外と抵抗なんてなくみんな真剣に説明を受けている。


 そもそもこの時代では募集というのがあまり見かけない。あるとすれば戦時徴用以上に人を集めたい時だけだから。仕事は上の立場の人間が命じるとか、その土地や利権がある者たちが行うからね。戦時の募集もほぼ意味がない。皆んな勝ちそうな方に押し掛けて売り込むからね。


 教育に関しては、そもそも親が必要と判断しないとまったくしないのが当たり前だ。


 教師の皆さんには、現状ではそれほど難しいことは要求しない。ただ宗教的な教育をなるべくしないことや、この時代で一般的な草書体ではなく、楷書体。元の世界でいう崩されてなくて文字の定型に忠実な字を教えることなどがある。


 まずは清洲運動公園にある多目的ホールにて、公民館としての運用と彼らの教育指導がどうか試すことになる。すでに美濃大垣と三河安祥の城下では公民館の建設が進んでいて、蟹江でも建設が始まっているからね。


 まずは目が届く清洲にて先生が領民に文字を教えるべく試して、問題点を洗い出さないと。


 ぶっちゃけるとウチは、歴史から問題点がいろいろわかっているんだけどね。問題点をひとつひとつ見つけて改善していくという、試行錯誤の段階は必要だとエルと話しているんだ。


 いずれ領内に教育が広がった時には、彼らに監督してもらい地元のお坊さんとかに教えてもらうことになるかもしれない。


「ところでさ。職人が増えたね?」


「なぜでしょう?」


 教師の見習いの皆さんの授業とは別の教室では、なぜか工業村の職人たちが大勢集まって真剣な面持ちで授業を受けていた。


 なにがあったんだ? 学問なんて興味ない感じだったのに。エルも知らないようで首を傾げている。


 せめて文字の読み書きを習得してほしいとは前に言ったけどさ。あんまり興味がない様子だったんだ。


 でもまあ、別に悪いことをしているわけではないのでいいか。エルは理由が気になるらしいが。


「巫女殿も頑張っているね」


 何はともあれ、学校の視察は楽しい。変わりつつある人たちを実感出来るからね。オレたちはそのまま先日騒ぎになった、巫女さんの様子を見に隣の病院へと移動した。


 巫女さんは医師の助手見習いとして働いているみたい。患者と笑顔で話している姿にホッとする。


「妊婦さんも多いね。でもちょっと若い気が……」


「若すぎるうちの妊娠は危険だと広報はしているのですが、人の営みですので……」


 ふと患者さんを見ると、患者さんはいろいろいるが、妊婦さんも多い。ケティたちが妊婦さんの健診を推奨すると広報活動しているからね。


 ただちょっと若すぎる妊婦さんもいる。危ないなと見て思うが、エルも困った表情をしていて問題の難しさを表している。


 この時代では寿命が短いし、大人になれないで亡くなる子も多い。子は多いほうがいいと考えるのが当たり前だし、庶民だと一人前に働ければ大人として扱われる時代だからね。


 娯楽もないし営みを経験する歳も早い。


 ケティたちもそれを見越して妊婦さんの健診を推奨しているんだろう。


 現実的な生活風習と知識や理想との差はいろいろあるからね。



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