第559話・友を訪ねて

Side:願証寺の僧


 本證寺のあった場所は面影すらなくなっておった。


「一年ぶりか。なかなか来られなくてすまぬな」


 ここには一緒に仏門に入り修行に励んだ友が眠っておる。昨年の本證寺の暴挙の折に、止めねばならぬと険呑極まっておった、ここに来たのだ。大義のない一揆など起こしてはならぬ。そうわしに言ってな。


 それなのに友には墓すらないまま、野ざらしにされておったと聞く。そこには同じく本證寺を止めようとして殺された僧たちが打ち捨てられておったようで、すでに誰が誰だかわからぬ在り様だったために、織田様が埋葬して墓を建ててくれたのだ。


「お前の名が後の世に残るぞ。織田様がお前たちの慰霊碑を建ててくれた」


 本證寺の末寺の者だった連中は、後の世にまで暴挙を起こした寺として残ることで織田様が恐ろしいと言うが、わしには織田様ほど情け深いお方はおらぬと思うておる。


 こうしてお前の成そうとしたこともしかと後の世に伝えるべく、わざわざ石碑まで用意してくれたのだ。


「願証寺は織田様と共に飢えぬために力を合わせることになろう。お前たちのおかげで織田様も気にかけてくださる」


 惜しい者たちを亡くした。昨日の慰霊祭で織田様はそう語ったと聞く。道理に背く者には厳しいが、真面目に生きておる者たちには仏のようなお方だ。


 願証寺内にはお前たちのこともあって、本證寺への報復を許されなかったことで不満もあったが、仏に仕える者が人を殺めるなどしてはならぬという織田様のお考えには、賛同する者もまた多い。


 そうそう、今年は米があまり穫れなかったが、久遠様に勧められて植えた綿花がよく育ったぞ。高く買い取ってもらった。織田様の賦役と合わせると飢える者が出ることはあるまい。もうわしやお前のように、飢えて食えぬので寺に預けられる者は少なくなるのやもしれん。


「こっちはお前が居なくなって寂しくなったぞ。お前はどうだ? 極楽浄土で本證寺の愚か者どもと喧嘩をしておらねばよいのだが」


 南無阿弥陀仏と唱えれば皆極楽浄土に行けるか。極楽浄土では平等でもこの世では罪人ざいにんでしかない。


 ここに来ると玄海上人と本證寺の生き残りの学僧どもが憎らしくなる。連中がもっとしっかりしておれば……。


 連中は今、石山本願寺にて幽閉されておると聞く。どこか山奥の寺にでも送るとの話もあったようだが、余計なことを企むと困るからと連中が抜け出せぬ本山に幽閉したと聞く。


 織田様への恨み言をぶちまけた者がおったと聞くからな。そのせいだろう。これ以上余計なことはするなと、石山本願寺の者たちが怒ったのも無理はない。


 怒りたいのは織田様のほうだからな。


「本證寺がなくなって、このあたりも来やすくなった。来年もまたくるよ」


 織田様を見て思った。正しき者たちの偉業、遺徳は残さねばならぬ。わしも残そう。本證寺の愚か者どもの悪行も友のなそうとしたこともすべて。


 同じ過ちを繰り返さぬためにも、正しきことをした者たちのことは後の世に伝えていこう。いつか極楽浄土で友と会って誇れるようにな。




Side:久遠一馬


 太原雪斎。凄いね。誇りの高さで言えば元の世界の比でないこの時代で、オレたちが望んでいないと言っても粘り強く停戦に関する交渉をしていた。


 少しいじめ過ぎた気もするけど、今川家で誰が停戦を望んでいて、誰が望んでいないのか、はっきりさせる必要があったんだ。


 ちょうどいいので、今川家とは三河の地で、今後もある程度交渉をすることになる。まあ次回以降の交渉には、オレは出ないけどね。それなりに忙しいし。


 史実を考えると太原雪斎の余命はそれほど長くない。武田攻めが上手くいかないと今川家は迷走するかもしれない。それを織田家として理解して考えておかなくてはならないからね。


「西三河の皆さんは、まだ理解してないみたいだね」


「単純にほかのやり方が思い浮かばぬのでしょう」


 翌日であるこの日は、義統さんや信秀さんたちと、三河衆との評定に出席している。議題は東西三河の現状報告と西三河における織田家の今後の方針を話すこと。


 松平宗家を筆頭にした今川方との小競り合いは表向きでは途絶えたが、貧富の格差が埋まったわけではない。三河の米は今年も豊作ではないようで、一部の者が織田領や織田に臣従予定の国人領に奪いに来ることがぽつぽつとあるらしい。


 さすがに兵をあげて攻めてくれば問題になるので、夜な夜な刈田やら強盗に来る程度のようだが、相手は武士ばかりではなく、織田に臣従していない場所の領民も結構いるらしい。


 武士の皆さんは慣れたもので、それが当然だと考えるのか特に問題視してないが、オレがため息をつくと視線が集まった。彼らには、略奪が賢いおこないで、食べものを手に入れる方法をほかに知らないとエルは言うが、正にそうなんだろう。


 西三河ではそこまで反織田を鮮明にして騒いでいるところはない。親今川の者も敵対まではしておらず、現状では大人しい。とはいえ単純に飢える者が食べ物を奪いにくることは、まあ時代的にあって当然なんだよね。


 元の世界だって二十一世紀になっても畑から作物を奪う泥棒は出ていた。社会として教育やモラルを成熟させても一定数の犯罪は起きるのが当然だ。飢えるこの時代では数が多いんだけど。


「恐れながら、こちらから従えと命じてみてはいかがでしょう? 反発する者もおりましょうが、従う者もおります」


 三河衆にも意見を求めると発言してくれた人もいる。ありがたい。信秀さんやオレを恐れて無難にやり過ごそうとする人が多いんだよね。


 彼の意見は織田家でもよくあるものだ。美濃にしても三河にしても現状の織田家はこちらから従えとは言っていない。


 国人衆なんかは従う名分と機会が欲しいだけだという意見は、もっともなんだよね。とはいえ、「領地安堵でそのまま治めよ。戦の折には期待する」という統治から脱却したいので、正直こちらから声をかけるのは避けたい。


 駆け引きと言えばそうだし、やはりどちらが先に臣従を口にするかは重要だ。


 まあ矢作川西岸も吉良家など一部を除いて、ほぼ織田の領地となっている。反発や戸惑いはあるにはあるが、それでも生きていかねばならないし、国人や土豪を使ってやれば相応に従う。


 正直、武士も仕事をさせてしまったほうが反発は少ないんだよね。日本人的と言えばそうなんだろうか? こちらの命令とその目的を伝え、働けと言われるほうがいいみたい。


 自分たちの居場所があると感じるからだろうな。知らないところで改革が進むよりも一緒にやらせたほうが、いつの間にか改革する側になっている。


 西三河が上手くいっているのは信広さんの努力もあるが、大和守家の元当主だった信友さんの成果でもある。過去の苦い経験を生かして、上手く人を使っているようだ。


「そうなんですけどね。今川家との交渉が終わる前に下手に動くのはちょっとまずいので……」


 ああ、三河で動けないのは、今も矢作川の東側は名目では今川領だということもある。昨年の本證寺との戦の際に共闘した後、現状維持の停戦状態で話し合いを設けることにしたが、その話し合いが始まったのがごく最近だからね。


 交渉の裏で、西三河で動いていたなんてことになれば、信用を失う。ただでさえ経済的侵略は進んでいるのにさ。


 その後も様々な意見が出された。多かったのは分国法に関する質問で、最近始めた区画整理や関所の統廃合も質問が出た。


 とりあえず今年も冬場は賦役で飢えないようにする。その方針が変わらぬことにみんな安堵しているね。


 しかしあれだけ反発していた三河武士が、すっかり織田の支配を受け入れているのには違和感がある。彼らはもう織田の中で生きていくと覚悟を決めたんだろう。


 オレは彼らの覚悟に応えなくてはならないな。




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