第396話・デスマーチ

Side:太原雪斎


「和尚様。顔色が良くありませぬが大丈夫でございますか?」


「なに、問題ない」


 秋も深まるこの時期に、野分が来た。野分など珍しくなどないが地揺れの復興も済んでおらぬところに野分が来るとは、天は今川家に如何いかほどの試練を与えれば気が済むのだ?


 わしは近頃少し眠れぬ日々が続いておる。祈祷でもしてもらい休むべきなのだろうが……。


「三河はいかがいたしましょう」


 そんな余裕はないな。


 今度は野分で三河の矢作川が氾濫して、被害が出たとの知らせに、深いため息を零してしまう。


 いつ織田に獲られるか、わからぬ三河は扱いが難しい。


 もっとも今回は織田領でも被害が出たようで立場は同じなのだが、問題は本證寺か。西三河に大きな影響を持つ本證寺の寺領で被害が酷いとは。


 織田は尾張と伊勢の境界である長島の願証寺とは友誼を得ておるが、三河の本證寺とは関係が思わしくない。


 現状の三河は織田領が一番食うに困らず、それをうらやむように本證寺や松平がおる。織田は本證寺には手を出しておらぬが、言い換えれば手を貸してもおらぬ。


 今川家や他家ならばそれで問題はない。だが裕福な織田は三河の復興や普請に多額の銭を使っておる。その恩恵が同じ西三河にあるにも関わらず本證寺では得られておらぬのだ。


 本證寺にはそこに大きな不満がある。織田からすれば寺領を認めておるうえに、誼を持つ素振りもせぬのだから当然だと考えるのであろうが、一向宗の坊主は強欲だからな。


「一向衆に気を付けるように知らせを出せ」


「まさか、本證寺が攻めてくると?」


「わからん。だが現状で一向衆が織田と今川、いずれを敵に回すかと言えば……」


 数人の文官と今後の対応を話し合うが、むしろ織田よりも本證寺が険呑だ。連中は気付いておるであろう。今川と織田がぶつかれば今川が不利なことを。


 寺領の領民の不満のはけ口をいずこに持っていくのか考えると、こちらに牙を剥いても驚きはない。それを手土産に織田に恩を売ることすらあり得る。


 もっとも織田からすると迷惑の一言でしかないのであろうが。


 いっそ、信秀にも使いを出すか? 織田も一向衆の勢力が増すことなど望んでおるまい。加賀の二の舞いは御免だ。


 あいれる利と目的があれば今川と織田の関係が今よりはマシになる望みもある。


 本證寺が自らの力で領民を押さえて復興させればいいのだが、ここのところは織田領に領民が逃亡することに頭を悩ませておるとも聞く。


 ろくな手を打てぬところをみると、此度も同じであろう。駄目でもともとか。御屋形様に進言して早急に手を打たねばならぬ。


 それにしても三河は面倒な土地だな。手を出すべきではなかったか?


 今更だな。




Side:久遠一馬


「野分など珍しくないのでございますが……。とはいえ三河の現状では、いつ戦になってもおかしくない状況でしたから」


 あれから数日、ウチでは情報収集を続けていたが、本證寺領の状況は第一報での予測よりも酷いらしい。


 各地から集まる情報は相変わらず資清さんと望月さんが纏めているけど、資清さんは台風というか野分か。それでこれほど大きな問題になると思わなかったんだろう。なんとも言えない表情だ。


 歴史に残らない小競り合いなんていくらでもある。僅かな食糧を求めて、水の利権を求めて村単位だったり土豪や国人単位だったり大名単位で戦が起こる。


 この場合は国人以下の争いは相当大規模にならなければまず歴史には残らず、大名を巻き込むような戦になって初めて歴史に残るようなものだ。それだって天下取りに関わらない地方戦の殆どは埋没してしまうだろう。


 野分の被害も歴史には残らないが、特に珍しくはなく尾張は落ち着いている。


 ただし今年の三河は村単位の争いを除けば、大きな戦がないのが不思議な状況なんだよね。


 そもそもこの時代では誰が治めても大差ないのが当然だ。寺社に国人に土豪なんかは基本的に変わらない。大名クラスの領主が変わるくらいだ。


 街道の整備は攻められ易くなると考えてやらないし、流通や商業は寺社や商人の座が権力を持つからよほど力のある大名でなくば基本的には手を付けない。


 そもそも大名自体が国人や土豪の連合体のトップでしかないので、元の世界の物語なんかで見るような絶対的な力はない。


 まあ新田開拓と治水くらいはやろうとする人がたまに出てくるが、経済に手を付けないのにそんなお金のかかる事業が出来るはずがない。食べ物が足りなくて飢えているから、食料などを奪うために他国に攻め込む時代なんだ。


 結果として足りない銭と食糧を得るために近隣との戦に明け暮れる。その結果、あちこちで田畑が荒れて耕作放棄地が増える悪循環が続いている。


 それがまったく違うのはウチが改革してる織田家だ。


 東は関東から西は畿内まで、富が集まるので、三河には長年の戦で荒れた土地や開墾してなかった土地が沢山あるから、その開発に資金を投入して安定させている。


 一向衆は一説には治水に長けていて水難の多い地域を得たようだし、それは確かだと思う。とは言っても現状ではそこまで治水に力を入れてないし、そもそも石山本願寺は地方の寺のことなど考えていない。


 織田の近隣の願証寺と本證寺がいい例だろう。特に仲が良くもないが悪くもない。互いに異なる方針で動いてるからね。坊主らしく宗派内の序列に血道ちみちを上げて、しのぎけずるライバル関係だからな。


 最低限の治水で暮らせる以上は現状維持しかしていない。三河の本證寺領も。エルの話ではもともと水難の多い地域だからこんなものらしい。


 ただし何度も言うようだけど、近隣の織田領との差が三河のバランスを壊して波風を立てている。


「兵糧は送ったし、これで収まればいいんだけど」


「難しいかもしれません。本領から船を呼び寄せましょう。戦に使えなくても抑止力にはなります」


 織田ではすでに兵二千と、銭と米や雑穀を中心にした支援物資の第一陣を安祥城の信広さんに送った。多くの流民が大量に来る可能性が高いからね。


 それと美濃の道三や信秀さんの実弟、義弟や婿なんかには三河が荒れる可能性を早くも伝えていて、最悪の場合は戦になるとの考察から、あちこちで準備が始まっている。


 佐治さんも建造中の和洋折衷船の仕上げを急がせているくらいだ。そんな状況にエルは小笠原諸島から船を呼び寄せることを提案してきた。


 三河で海戦はないだろうが、今川と伊勢の水軍衆相手の抑止力にはなるだろう。


 ああ、もう一方の願証寺だけど。あっちも輪中という堤防で囲まれた土地だから、結構被害が出たらしいんだけど。最低限の復興をしながらも尾張への出稼ぎに来る人は変わらないらしい。


 領民から見れば出稼ぎに行けば食べていけるからね。田畑が全滅していてもあまり気にしていないのかもしれない。同じ一向宗なのにこうも違うとは。


「戦かぁ。金色野砲も早めに送っておきたいけど、逆効果だよね」


「駄目ですね。下手に三河に持っていけば矢作川より東の国人衆や本證寺領の農民が暴発します」


 戦は避けられるなら避けたいが、抑止するのもまた難しい。現状を変えるために、織田と今川の戦を待ち望んでいる人が三河には多すぎる。戦をするなら自分たちだけでやれよって思う。


「本證寺はどうなんだろう?」


「面白くはないでしょう。ただ織田に敵対まではしないかと……」


「今川相手には?」


「それはなんとも言えません」


 本證寺も馬鹿じゃない。織田との間に侵略してでもくつがえしたい格差があるとはいえ、勝てない戦を仕掛けてくるとは思えないんだけど。


 問題は西三河では一向宗が大きな影響力を持っており、矢作川より東側はほとんど一向宗の影響力が落ちていないんだよね。


 今川が相手なら、織田を巻き込んでしまえば勝てるとか勝手に考えないか心配なんだけど。


 そもそも史実の一向一揆も明確な原因がわからないしさ。そこまで先の展望を考えたってよりは反松平宗家と本證寺が勢力拡大を目指した合同一揆という性質があったわけで。


「なんか手はない?」


「そろそろ限界といえば限界です。格差が開く一方ですから。ただ松平宗家には他者を介してでも知らせるべきかと。織田に敵対の意志もあまりないようなので」


「それは大殿と若様に報告してからだな」


 本證寺よりは今川家のほうが信頼出来ると思うのはオレだけだろうか? エルはすでに戦を想定してどこを落としどころにするか考えてるようだ。


 武芸大会も予定通り開催しなきゃいけないし、織田家の文官衆は当分忙しそうだな。


 デスマーチとか可哀想だから、ウチも手伝わないと。



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