第332話・旅立ちと未来へ

Side:久遠一馬


 この日、清洲城の大広間は多くの武士が集まり、お酒や料理を楽しんでいる。


 主役は塚原さんとお弟子さんたちになる。去年の晩秋から尾張に滞在していた塚原さん一行がいよいよ旅立つことになり、今日はお別れの宴なんだ。


 本当は一か月くらいで旅に戻るつもりだったみたいだけど、ジュリアの弟子入りとかがあって、尾張に残ってくれていたみたい。


 武家のみならず学校の子供たちにもよく教えてくれていたし、身分を問わず指導をしてくれていたから、尾張の人たちに人気だったんだけど。


 史実では塚原さんの高弟として知られている伊勢の雲林院松軒うじいしょうけんさんのところとか、北畠家とか行くところがあるらしい。


「そうだ。忘れぬうちに渡しておこう」


 武芸がものを言う時代なだけに塚原さんは織田家のみんなに惜しまれているが、塚原さんに弟子入りしたことで一緒に宴に参加しているジュリアのところに来ると、一冊の本と手紙のようなものを渡した。


 賑やかだった周りが一瞬にして静まり返った。


「免状と極意皆伝書だ。必要かはわからぬが、邪魔にはなるまい。まったく常ならば何年も修練を積むものを数日で会得してしまうのだからな」


 意外にも塚原さんのお弟子さんたちに驚きはない。ただ織田家の皆さんは驚きで静まり返るほどらしいね。


 しかし鹿島新當流の皆伝書か。後世まで残れば文化財クラスだね。


「それはお互い様だよ。先生」


 ジュリアは嬉しそうだ。別に免状が欲しかったわけではないだろうが、ほとんど毎日塚原さんとの修行に行ってたしね。


「ところで、わしの免状はいつ貰えるのかな?」


「先生も物好きだね。でも先生なら受け取る資格があるか」


 なんというか塚原さんとジュリアの会話には、他人が口を挟めない不思議な空気がある。信秀さんや斯波義統さんも今日はいるんだけど。


 というか塚原さん、わしの免状ってなに? まさか……。


「久遠流の免状と極意皆伝書だよ。アタシが人に出すのは先生が初めてだ。本当によく覚えたよ。兵法まで覚えたんだから。武芸の腕だけじゃ覚えられないはずなんだけどね」


 あの、ジュリアさん。またそんな歴史に影響しそうなものを。


 というか久遠流って、ギャラクシー・オブ・プラネットの軍用戦闘術と戦術のはずなんだが。教えちゃったのね。


 塚原さんも子供のように嬉しそうな表情をしていることが、すべてを物語っているのかもしれない。


 鹿島新當流はジュリアに受け継がれて、久遠流は塚原さんに受け継がれていくのか。


 しかし鹿島新當流が史実と変わっちゃうのかもしれないと思うと、いいのかなって思わなくもない。


 でも塚原さんは歴史上の偉人ではなく、今を生きる人なんだ。


 自由に生きるのは悪いことではない。と思う。多分。


「この数か月。本当に楽しかった。幼き頃に戻ったようでな」


「またいつでも来てくれるといいよ。歓迎するよ」


 なんというか、案外似た者同士なのかもしれない。互いに相手の技と知識を学び、高みを目指す。笑顔のふたりに周りも自然と笑顔になるようだ。


 本当はあんまりジュリアのこと、余所で話してほしくないんだけど。ここまで来ると難しいか。関東でも大暴れしちゃったしね。


 ケティもそろそろ隠しきれないほど目立っているし、今更かもしれないが。


 ジュリアがこの世界で得た友誼に下手に水を差したくない。塚原さんたちをこのまま笑顔で送り出してやろうかね。




 塚原さんが旅立ち、北条への二度目の船団が出発した。今回はガレオン船が一隻にキャラベル船が二隻に佐治さんの新造の和洋折衷船が二隻だ。佐治水軍では久遠船なんて呼んでるみたいだけど。


 和船からの改造船は危険すぎるから、今回は使わないことにした。先日の信長さんの結婚式に来てくれた北条綱成さんを乗せての関東行きだ。


 今年収穫する梅で梅酒を造りたいようなので材料とかも送ることにしたし、金色酒を筆頭に砂糖や香辛料も積んである。あとは、絹織物とか鉄に硝石も欲しいみたいなんで一緒に送ることにした。


 それと早雲寺を描いたメルティの絵も今回一緒に贈り物として綱成さんに預けている。メルティの絵に氏康さんも興味を持っていたからね。


 関東行きは大変だけど、沖乗りで行けば今川領をスルー出来るから無駄な税がかからないし儲かる。


「反発しておるのか」


「はっ」


 ただ順調に進むものもあれば、そうでないものもある。この日とある報告を聞いた資清さんは呆れたようにため息をこぼした。


 美濃から軍の半数が帰還したんだ。特に問題を起こした者たちは邪魔だからと先に返されたらしく戻ってきたが、信秀さんは彼らに謹慎を命じており、彼らが動揺し反発をしているらしい。


 どうも彼らは僅か二日で勝ったからと自慢げに帰還したらしい。それが褒美やお褒めの言葉ではなく、謹慎を申し付けられたことに納得がいかないようだ。


 きちんと軍規違反での謹慎であり、後日取り調べると説明したはずなのに……。


「面白うないのであろう。戻っても話題になっておるのは新介と氏家だからな」


 資清さんのため息に答えるように口を開いたのは、庭でロボとブランカと遊んでいる信長さんだ。


 そう、面白くないのもあるんだろう。結局、敵の兜首を挙げたのは石舟斎さんと数名だけだった。しかも石舟斎さんは敵の中心人物を複数討ち取った。


 派遣軍でも『さすがは新介殿だ』と言われていたようで、今回の功績は石舟斎さんと、降伏を仲介した美濃三人衆の氏家さんが評判なんだ。


 氏家さんは領地が多く、美濃のあちこちに領地があるようで、揖斐北方城の近隣にも領地があったみたい。


 美濃三人衆として有名で国人衆への影響力もあり、織田と土岐家の旧臣の間を取り持って城の明け渡しで和睦を纏めたらしい。


 エルの話では氏家さんは織田に恩を売り自身も売り込むために、積極的に行動した結果みたいだけどね。


 ちなみに清洲城で一番評価が高いのは益氏さんだ。命令違反のお馬鹿さんたちの監視と報告から、城から打って出た敵の精鋭を鉄砲で迎撃したうえに、戦後の後始末も織田家の方針を理解して独自判断で迅速に進めたことが理由だ。


 清洲や尾張上四郡の平定で苦労した信秀さんと政秀さん率いる文官衆は感心していたほどだ。


 確かに戦後統治は織田家主導でするとは言ったけどさ。みんなが驚くほど仕事が早くて上手い。今まで目立たなかっただけに余計に目立っている。


 実際、仕事はオレやエルから見ても完璧だ。


 織田と久遠の名で復興復旧の資材を大湊や尾張だけでなく、伝手がない筈の美濃の商人から集めるように手配もしたし、お馬鹿さんたちが焼いた揖斐北方城周辺の領民には、兵糧から食事を与えて田畑の復旧から優先してすでにやらせているらしい。


 なるべく今年の田仕事に間に合わせるようにと考えたようなんだ。


 まあ、久遠家の滝川といえばすでに近隣では知らぬ者がいない。資清さんが久遠家家老として有名だからね。商人たちも協力的だったらしいが。


 あとは森可行さんとか織田信辰さんは相応に評価されたけど、軍規違反をして大将の信辰さんにも食って掛ったお馬鹿さんたちは評価が低いからなぁ。


 それもあって反発しているってことか。


「これ以上ウチばっかり目立つのは困るんですけどね」


「構わん。お前はもう織田一族なのだ。誰にも文句は言わせん」


 信長さんはまったく気にしてないね。反抗的な国人衆など潰してしまえと言いたげだ。


 信秀さんは案外国人衆にも優しいが、信長さんは結構厳しい。うつけと陰口を叩かれていたことが地味に影響している気がする。


「若様! 相撲やろう!」


「うむ。いいぞ。やるか」


 うーん。信長さんはうちの庭で武芸の鍛錬をしていた家臣と忍び衆の子供たちに誘われて、相撲を取りに行ってしまった。


 最近だと重臣の子弟よりウチの子供たちのほうが親しくなっちゃったなぁ。重臣の子弟と疎遠なのはちょっと問題かな。


 それにしても益氏さんは信頼して任せたから活躍は嬉しいが、ほかの武士が思った以上に駄目だったな。しょうがないか、史実の織田で羽柴、明智、滝川が重用されるのも尾張者のレベルが低かったってことかな。まぁ、尾張を武力統一した際に有力武将が敵対したことも理由としてはあるかもしれないけど。


 史実で歴史に残った人とそうでない人の差なんだろうか?




◆◆◆◆◆◆◆◆


 天文十八年春。今巴の方こと久遠ジュリアと塚原卜伝が、互いに免状と極意皆伝書を贈ったと『久遠家記』にはある。


 あいにくと卜伝が得た免状と極意皆伝書は原本がすでに喪失しているが、久遠流の極意皆伝書の写しは鹿島神宮に残されており現存している。


 久遠家の方は鹿島新當流の免状と極意皆伝書の原本が残されていて、現在は重要文化財に指定されている。


 なお、久遠家に伝わる鹿島新當流は卜伝が会得した久遠流の影響が入っていない頃のものであり、現存する鹿島新當流は久遠流の影響を受けた卜伝が研鑽昇華したものなので内容が微妙に異なっている。


 久遠流では何故か久遠流が混じる以前の鹿島新當流を代々継承していて、本流の鹿島新當流とは別のものとなっている。一説には久遠流は生き残ることを最優先とする武術であり、剣術を究める鹿島新當流とは根底が異なるため、久遠流が混じる以前の鹿島新當流を継承したと言われているが理由は定かではない。


 ただ両流派の違いは剣術や武術の歴史的な資料として価値が高い。


 久遠ジュリアは後に卜伝のことをまさに剣聖のようだったと語ったと言われ、現代でも卜伝は剣聖として知られている。


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