第252話・武芸大会・その三

side:久遠一馬


 武芸大会二日目には少し変わった種目もある。


 種目と言っていいのかわからないが、清洲のとある寺にて絵画・書画・和歌などを、展示することにしたんだよね。


 きっかけは文官向けに大会で何かできないかと、エルたちと考えてた時だった。知識や文官の能力を競うのは野外では難しく盛り上がりそうもない。


 そこで文化面での展示会をしようという話になったんだよね。この時代だと文官は文化面に精通してることが多いからさ。


「混んでるね」


「お方様の絵が評判のようで」


 二日目の武芸競技が始まる前にオレも資清さんと見に来たけど、警備兵が作品に触ったり盗んだりしないようにと厳しく守る中、多くの領民が集まって絵や書を見ている。


 一番混雑してるのはメルティの絵か。前に描いてたロボが木陰でお昼寝してる絵だ。


 書画は結構多いね。盛り上げるために信秀さんにも書いて貰ったからかな。ああ、信秀さんの書画の前では手を合わせて祈ってるお爺ちゃんとお婆ちゃんがいるよ。


 最近の信秀さんに対しては、子供を売らずに済んだと感謝して祈る人や、病が治ったとか子供が授かったとか感謝して祈る人がいる。


 なんかあまり関係ないことも混じっていたりするが、冗談抜きに生き仏にされそうな勢いがある。


 尾張で祈られるのは主にケティと信秀さんだ。オレや信長さんもたまにあるけど、どういうわけか生き仏ルートを歩んでいるのはケティと信秀さんなんだよね。


「おおっ、慶次のやつ絵が上手いじゃないか」


「お恥ずかしい限りでございます」


 それともうひとつ西洋式の写実的な絵がある。こちらは鉛筆のみで描かれた絵で、ロボとブランカがご飯を食べてる絵だ。


 資清さんは一族である慶次の絵に反応に困ると言いたげだけど、出来はいいんじゃないかな。オレなんて絵心ないから間違っても描けないよ。


 というか関東行きの船の中で絵を教わっていたけど、あの後も描いていたのか。


 少しでも文官の地位の向上と文化の発展に役立てばいいんだけど。


 さて大会二日目は無手による試合からだ。この試合に限り鎧兜は着用禁止。いや無手で鎧兜着用を認めると逆に怪我しそうだしさ。


 出場者は武芸者に、織田家中の相撲が得意な者など様々らしい。


 空手とか柔術の名前はこの時代には存在しない。武術はすなわち実戦で敵と戦うためにある時代だし、組討くみうちという敵を組み倒して首を取る技術はあるみたいだけど。


「クーン?」


 オレはこの日も運営本陣に連れてきたロボとブランカの相手をしつつ、試合を眺めるのが仕事だ。


 ジュリアとセレスはさっき酒を飲んで暴れてる人がいるとの知らせに、信長さんと一緒に警備兵を率いて出ていっちゃったしね。


 片方だけの相手をすると喧嘩になるので、パタパタと揺れる尻尾で二匹の気持ちを察しつつ、平等に相手をしなくてはならない。


 これはこれで難しいんだよ?




side:とある警備兵


「たっ、大変でございます! わっぱが……、童が見知らぬ武士に……」


 武芸大会も二日目。臨時に設けられた市では、この日も童どもが働いていた。身なりもよくない童ばかりだが、久遠様のお方様が食べ物を褒美に使いっ走りをさせる童どもだ。


 その童のひとりが見知らぬ酔っぱらった武士にぶつかり、服を少し汚してしまったことから騒ぎになっていた。


 嘘か真かその武士と連れ五人は美濃守護を預かる土岐家の縁者だと名乗り、童を斬り捨てると息巻いて刀を抜いてしまった。


 同僚がなんとか止めに入ったが、オレたち警備兵では事を収められるはずもない。すぐにオレは市を差配されているお方様のもとに駆けてきた。


「私が行くわ~。案内して。それと本陣にも知らせをお願いね」


 いつも笑みを絶やさず慈母のようなお方様だと言われ、昨日辺りから早くもちまたでは慈母の方様と呼ばれているお方様は、すぐに自ら現場に行くと言われた。


 オレたちを鍛えてくれている今巴の方様や氷雨の方様ならばいざ知らず、このお方様では止められるか不安もある。


 しかし、本陣に走っていては間に合わないんだ。


「うぇーん! ごめんなさい! ゆるして! ゆるしてください!」


 間に合った! 童は震えながら泣いているが、同僚たちが間に入り酔っぱらいの武士たちをなんとか止めている。


「あらあら~、大丈夫? 怪我はないかしら~?」


 周りでは野次馬が取り巻くように見ているが、誰も助けには入ってない。相手が本当に土岐家の縁者ならば無礼打ちや打ち首もあり得るから仕方ないだろう。


 しかし、慈母の方様は迷うことなく震えながら泣く童に駆け寄ると、抱き締めて我が子のようにあやし始めた。


「もう、大丈夫よ~」


「そこな女! その童はうぬの餓鬼か! 一緒に叩き斬ってくれるわ!」


「そうよ~。ここの子たちは全て私の子も同然よ。斬るなんて許さないわ」


 しかも、慈母の方様は泣きじゃくる童を自らの子も同然とまで口にすると、土岐家と事を構えるのも厭わぬと笑みを浮かべたままで言いきった。


 周りの野次馬も息を飲んで、その場だけが静まり返る。遠くに聞こえる大会の歓声がやけに大きく聞こえるほどに。


 童は久遠家の領民ではないだろう。あそこの童はもっと身綺麗にしている。おそらくは慈母の方様もよく知らぬ童であろう。


 誰もが見惚れていた。幼い童を笑みを絶やさずに守る慈母の方様に。


女郎めろうがぁ!」


「おい! 止めろ! あれはまずい! あの見たこともない髪の女は南蛮人だ! 尾張の南蛮人は久遠家にしかおらん!」


 慈母の方様の護衛はすでに刀に手をかけていて、合図ひとつで連中を斬ると睨んでいる。確か柳生から来た者たちだが、剣の腕はオレたちとは比べ物にならない者たちだ。


 一触即発の中で先に引いたのは、酔っぱらいの連れの武士たちだった。


 服を汚された武士は激昂しているが、周りが慈母の方様に気付いたようで慌て始めた。


 確かに土岐家は守護家ではあるが、美濃の蝮に追放されて織田の殿様の世話になってるはず。ここでつまらぬ騒ぎを起こして困るのは連中のはずだ。


「だからどうしたと言うのだ! 薄汚い南蛮人など一緒に斬り捨ててやるわ!」


「ほう。美濃の土岐家は織田の家臣の妻を愚弄した上に刀を向けるか?」


 あの男、酒乱か? ここで引けば大事にはならぬのに、選りにも選って慈母の方様に刀を向けて愚弄する言葉を口にした。


 その時だった。野次馬の後ろから大勢の同僚と今巴の方様に氷雨の方様。そして率いていた織田の若様の姿が現れた。


「だったらどうしたというのだ!?」


「戦だな。昨夜、土岐家と斎藤家の和睦がなり親父は義理を果たした。その義理をこのような形で返されて、大人しくしておると思うのか?」


「おの……れ……? な……ぜ……」


 織田の若様は怒り心頭の様子で戦になると告げても、酔っぱらった男は引かなかった。


 そんな美濃と尾張を揺るがしかねない騒動の幕切れは、意外なことに男の連れの武士が、男を後ろから斬り捨てることで迎える。


「数々のご無礼。本当に申し訳ございませぬ。全ては土岐家とは無関係なこの男と我らの所業。何卒、この男と我らの首でお許しくだされ」


 仲間を斬り捨てた男は刀を捨てると平伏して、若様に自らの首を差し出して事態の終息を懇願した。


「その方らの首は取らぬ。さっさとそこな愚か者の亡骸を持って消えろ」


 しばしの沈黙が辺りを支配したが、若様もさすがに土岐家とこれ以上の騒動を避けたのか、不機嫌そうに男たちを許すとようやく事態は終息を迎えることができた。




――――――――――――――――――

 『久遠家記』には天文十七年の武芸大会において土岐家郎党が騒動を起こして、久遠リリーと対峙した一件が記されている。


 概要は酒に酔った土岐家郎党が、武芸大会の市にて働いていた子供とぶつかり斬り捨てようとしたところを、久遠リリーが止め、織田信長が介入して事を収めた。と記されている。


 細かい経緯や状況は不明ながら、見知らぬ子供を我が子のように守ったというのは確かなようで、尾張では今でも言い伝えとして伝わる話である。


 土岐家郎党の傍若無人な振る舞いに、あれでは落ちぶれるのも無理はないと人々は噂したと言われていて、その後にも大きく影響したと言われているが真相は定かではない。




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