第188話・食事会と船大工達

side:大湊の会合衆


 まさか海老料理とは……。我らは食べなれておるぞ。


 うん? 味噌汁の味が違うな。尾張の味噌ではないようだが? 久遠様の故郷の味噌か?


「……美味い」


 海老の味がよう出ておって美味い。ついつい言葉に出てしまった。何が違うのだ? これではいつもの味噌汁が不味く感じるようになってしまうではないか!? なんと非道なことをなさるのだ!


「これは何でしょうか?」


「ああ、それは南蛮風の鬼殻焼きですよ」


「ほう。南蛮料理ですか」


 いかんな。味噌汁だけで飯が半分無くなってしまった。


 次はこの白いたれのかかった半身の海老か。確かに海老を半身にして焼く料理はあるが、白いたれなど見たことも聞いたこともない。


 周りの者は白いたれに躊躇ちゅうちょしておるが、ワシは食うぞ。南蛮の料理を食える機会など滅多にないのだ。


「うぉっ!?!?」


「いかがした?」


「こんな味は初めてだ。何と例えるべきであろうか」


 ああ……、こんな濃厚でまろやかな味がこの世にあるとは思わなんだ。海老は冬の方が美味いが、これならば夏でも美味い。じゃが冬の海老でこの料理であればと思うと悔しくて堪らぬ! 何故夏なのだ!


「この白いのは何の色で?」


「牛の乳を使ってるんですよ。近隣の農家から分けてもらいました」


「牛の乳とは。お公家様は牛の乳を飲むと聞いたことがあるが……」


 まろやかな味が飯によく合う。だがここはスッキリとした金色酒が更に合うな。


 さすがは本家の金色酒。混ぜ物が一切ないだけに酒精が強いがこれがまたいい。くっと飲むと熱くなるような感覚がまた堪らぬ!


「これは揚げ物か」


「ウチでは天ぷらと呼んでます」


 寺社の僧が確か油で揚げる料理を作ると聞いたことがある。あいにくと食べる機会が無かったが、このような機会で食えるとは。


 甘い。海老の身の甘さが驚くほど引き出されている。これは塩がいいな。それにしてもこの衣がまた美味い。そして海老がプリプリしとる。何と憎らしい!


 ああ、しまった。飯が無くなってしまった。


「お代わりどうぞ」


「かたじけない」


 久遠様自らにご飯のお代わりを盛っていただけるとは。


「こちらの揚げ物は茶色いですな」


「それはフライですね。パンという南蛮の主食を粉にしてまぶして油であげたのです。フライは、こちらの当家の秘伝のたれで召し上がりください」


 海老ふらいとは。天ぷらといかに違うのだ?


 うん? サクッとした歯応えが堪らん。それになんだこの久遠様の秘伝のたれは!?


「こんな美味い物がこの世にあったとは……」


 サクッサクッとした衣の中には同じ海老ながら、こちらは衣との調和が素晴らしい。海老の味とタレの味が口の中で出会う瞬間が許せぬほどに堪らぬ!


 飯が進む! 酒も進む! ああ、こんな幸せがこの世にあるとは。


 つまらぬ意地を張らずに謝罪して良かった! ワシらは久遠様をまだまだ甘く見ておったのだ。


 我らの知らぬ世を久遠様は知っておられる。もしかすると堺に来る南蛮人より知っておられるのかもしれぬ。


 気が付けば皆、料理に夢中になっておる。天下の大湊の会合衆が、ただただ料理に夢中になり食うてしまうとは。


 これは今後のことを、よくよく考えなければならぬな。


 北畠を筆頭に伊勢の武家は駄目だ。商いのことはさっぱりで織田様の力も理解しておらぬ。


 北畠にしても武家としては名門で優れておるのやもしれぬが、織田様が本気になれば銭の力で飲まれてしまうのではないか?


 そう考えると丸屋はなんという幸運。


 ワシも織田様に今から臣従するか? いや、せっかくの大湊の会合衆にまでなったのだ。その立場を利用して織田様の役に立てばいいはずだ。


 ワシには分かる。いずれ織田様は伊勢に来るはずだ。美濃や三河より伊勢の方が織田様の利は大きいのだからな。


「お代わりいかがですか?」


「かたじけない」


 ああ、それにしても美味い。飯が止まらぬ。


 さすがに五杯目は少し恥ずかしいが、我慢できん。


 いっそ恥など捨てて久遠様に臣従しようか。家臣もかなりいい生活をしておると聞くしな。


 戦の役に立てなくても商いなら役に立てる。このまま会合衆でおっても面倒事ばかりだしな。


 まてよ。店は息子に任せて隠居して行けばいいのではないか? 船大工の善三だってそうするんだ。


 よし、ワシも隠居しよう。老い先短いのだ。美味い物を食って働きたい。息子よ喜べ。一家の主で会合衆だ。ワシは尾張に行くから頑張るのだぞ。




side:善三の弟子の亀吉


「尾張の久遠様に仕官した!?」


「聞いてませんよ! 親方!?」


「おう。決めたばっかりだからな。あちこち説得するのに苦労したぜ。久遠様のもとで船手奉行を任せてくれることになった。禄は千貫だ」


「せっせっ、千貫!?」


 隠居するという親方が、ここ数日何やら忙しく動いておったので、隠居の撤回でもするのかと首を傾げておったら、いきなりみんなを集めて、尾張の久遠様に仕官したと言い出した。


 久遠様は知っておる。今、港にある南蛮船をお持ちのお武家様だ。親方が先日、久遠様の配下のお武家様に助けていただいたのはオレでも知っておるけどさ。


 でも、あまりにも唐突過ぎるだろう。


 しかも禄が千貫って……。


「お前たちも一緒に来ねえか? 久遠様はワシが連れてきたい奴は家族や親戚みんな連れてきていいとおっしゃってくださった。纏めて面倒見てくれるとよ」


「しかし、親方……」


「気乗りしねえ奴は残って構わねえ。お前たちはもう一人前だ。ワシがおらんでも立派にやっていける」


 尾張か。遠いからな。いきなり言われても……。


「だが、尾張に行けば南蛮船の技術を学べる。今よりもっと優れた船が造れるんだ。ただし、南蛮船の技術は久遠様のもの。行けば久遠様の命に従わなきゃならねえ。そこを各自よく考えてくれや」


 大湊は船造りが盛んだから残れば食いっぱぐれることは無いだろうが、親方はいつか明や南蛮の船を造りたいって言ってたからな。


 


「よう亀吉。どうすんだ?」


「うーん。不安だけど行くつもりだ。捨て子だったオレを一人前にしてくれたのは親方だからな。弟子が少ないと親方が恥をかくだろ」


 親方は船大工の仲間や大湊の会合衆にまで掛け合って、尾張行きを認めさせたらしい。


 元々隠居予定だったし親方一人だけなら多分問題なかったんだろうが、親方は弟子も可能な限り連れていきたいみたいだからな。


「尾張の久遠様といえば、会合衆が頭を下げに行くお人だからな。確かに一緒に行く弟子が少ないと親方も困るよなぁ」


「やることは変わらねえだろ。どこに行ってもオレ達は船を造るだけだ。別にそれが尾張でも大丈夫だろ」


 親方が席を立っておらなくなると、兄弟子を中心にみんなで話し合いをするが、実の親以上に面倒を見てくれた親方が、お武家様に認められて仕官する以上は、オレたちも付いていくしかないと決まった。


 兄弟子に顔が広い人がおって少し調べたところ、久遠様の方でも会合衆に根回ししておられたらしく、本当に一門一家揃って尾張に行くことができるらしい。




「親方。この銭は?」


「久遠様から頂いた支度金だ。無駄遣いすんじゃねえぞ」


 その後、オレたちは尾張に行く支度をしておったが、親方が一人ひとりに銭を配り始めた。一人三貫っておかしいだろ!?


「ああ、好いた女がおるなら早く言え。ワシが縁談を纏めてくるからな。お前たちは久遠様のお抱えの職人になるんだ。よほどの身分違いとかじゃなきゃすぐに話が纏まる」


 あいにくオレには家族も好きな女もおらん。尾張に行くのだって道具さえありゃ問題ない。


「親方。この銭、預かってください。家に置いておくのは物騒で駄目ですよ」


「確かに」


「ワシの家もこんなに銭を置いておくのは怖いぞ」


「親方。使わねえ分は久遠様にお返ししたらどうです? 禄も貰うんですから」


「そうだな。使わねえ分は返してくるか」


 支度金は本当に有りがたいが、職人なんてのは道具と身一つで十分なんだ。


 いきなり大金を貰ってもどうしていいか分からない。


 結局縁談に銭がかかる奴、借金の有る奴以外は、ほとんど銭は必要なかった。家族が居る者も着るものと鍋くらいあれば十分だからな。


 久遠様は職人のことを知らんのだろうな。



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