第141話・近代医療の始まり

side:久遠一馬


 梅雨が明けたらしい。


 元の世界のような強烈な暑さはないけど、戦国の夏が来た。


 尾張では領内の検地と人口調査が進んでいて、清洲城には各地を検地した人たちからの報告が集まってきている。現在は文官の皆さんがそれを清書して纏めているところだ。


「これはいいですな。よう見える」


 文官の皆さんを束ねている政秀さんだけど、最近どうも老眼のようで文字が見えにくくなったとぼやいていたので眼鏡をプレゼントしてみた。


 喜んでくれたようで何よりだ。


 元の世界では当たり前に普及して、コンタクトレンズなんて物まであるが、その歴史は古い。


 ヨーロッパでは十三世紀には眼鏡が発明されていたようで、この時代にも存在する。日本には例によって宣教師が持ち込むらしいのでオレたちが持ち込んでも構わないだろう。


 そのうちガラスの生産が必要だよなぁ。ガラスのグラスは高値で売れてるし、窓ガラスとかも欲しい。日本だと昔はガラスの製造をしてたみたいだけど現状は見たことがない。製法が途絶えたみたいだ。


 最初はガラスのグラスなどと一緒に眼鏡を輸入品として広めて、生産を始めるべきだろうね。


 あとは双眼鏡・顕微鏡・望遠鏡は早めに欲しい。


 双眼鏡とかが発明されるのは十六世紀の末頃。半世紀近く早いけど眼鏡がある以上は誤差の範囲内だろう。


 双眼鏡と望遠鏡は忍び衆に試しに使わせてみて、顕微鏡は病院で使うか。こっちは久遠家で眼鏡から発明した物にしなきゃ駄目だろうな。それと双眼鏡、望遠鏡は『絶対にお日様を見てはいけない』を命令しないと、大変なことになる。もちろん理由も説明するけど、滅多に命令しないから重大さは、分かってくれるだろう。




「南蛮人に那古野を見せたくないね」


「いつ来てもおかしくありません。蟹江の港町の建設を急ぐべきでしょう。それと殿や若様には、そろそろ南蛮人の危険性を話す必要もあります」


 政秀さんに眼鏡をプレゼントして思ったけど、那古野の高炉や牧場を南蛮人には見せたくない。


 コークスの秘密まではバレないと思うが、南蛮の商人や宣教師が見た情報が南蛮の軍や国に伝わる可能性もあるからな。


 エルたちと南蛮人対策を話し合うが、現状では南蛮人とどう上手く付き合うかが課題だ。ウチの船にも難癖付けてくるだろうなぁ。


「蟹江を江戸時代の出島のようにするか?」


「それが無難かと思います。西洋諸国との交流は、この時代ではリスクや問題が多過ぎです。領内を歩くのは許可制監視下にするのが望ましいでしょう」


 完全に拒否はしないが、この時代だと外国人の入出国管理とか無いんだよね。


 オレたちが言い出すのも変な話だけど、外国人の入出国管理はそろそろ考えないと。商人も宣教師も善良な人ばかりじゃないからさ。


 新しい技術に貿易にと、利が多いから大名は南蛮人を歓迎するだろうけど、宗教の押し売りとあわよくば植民地化を狙ってるのは確かなんだよね。


 鎖国まではしなくてもいいけど、入出国と貿易の管理に防疫面の検査は必要だろう。関所も国境は税ばかりでなく人の出入りもチェックする体制が望ましいけど戸籍とか無いしなぁ。


 江戸時代みたいに寺社に管理させるのも嫌だし。なかなか難しいか。


「地球儀でも献上するか?」


「それはいいですね」


 蟹江の港は働く人足を伊勢から借りるべく交渉中だ。知多半島の佐治さんも協力して人を出してくれるみたいだから、機密になる城や港の最新技術は尾張の人でやれるだろう。


 ただ問題はエルやケティたちのおかげで、尾張では南蛮人の評価が高いことも地味に問題だ。このままでは南蛮人にコロッと騙される人が出かねない。


 一向衆と同じで、宣教師も聞き心地のいいことばかり言うからな。


 やはりエルたちの出自は、南蛮で宗教に迫害されて一族が逃げ出してきたというのが、この時代の人たちに分かりやすいだろうか。


 それとこの時代のカトリックは日本の神や仏を絶対に認めない。この事実だけでも、早めに朝廷や畿内の勢力に伝えるのも必要だろうね。聞いてくれるかはわからんけど。




side:ケティの助手


 ケティ様が待望していた病院がついに開院しました。


 大きくて神社のような立派な建物です。


 敷地の門には患者の氏素性を確認して、荷物を検める場所もあります。まるで関所のようですね。


 刀などの武器や不要な荷物は、ここで預ける決まりとなりました。ケティ様やパメラ様の身の安全を考えれば当然のことでしょう。


 そして敷地に入ると井戸と洗い場があります。ここで手足を洗い身を清めるように指導をしております。


 身を清めねば病にかかりやすくなりますし、満足な治療ができないとのことです。


 病院の中ですが診察を待つ部屋には、なんと畳が敷かれております。畳のいい匂いがしますね。ここで寝泊まりしたいほどです。


 診察の間はあまり広くありません。ですが護衛の方と私たち侍女が側に仕えておりますので、その人数が入れる程度の広さはあるでしょう。




「この寝台というのは、不思議な物でございますね」


「明や南蛮にはよくある物」


 他には患者を寝泊まりさせる部屋が幾つもあります。


 こちらは床に寝台なる不思議な物があり、その上に久遠家ではお馴染みの布団があります。


 尾張では織田の大殿や若様などの一部のお方のところと、久遠家にしかない代物。私たちも殿に布団を頂いて使っておりますが、冬でも寒くないばかりか寝心地が素晴らしいです。


 ですがここで寝泊まりさせては、患者たちが居着いてしまわないか心配です。


 私ならば帰りたくなくなる気がします。




 他にも薬の蔵や調理場など、城中のような立派な部屋があります。


 あとは子供の玩具もありますね。子供は病にかかりやすいので早めに連れて来るようにとケティ様が皆に申し渡しておりますから。


 ここで子供を産むことも可能だということ。ケティ様は産婆もできるのです。


「お方様。急病人でございます。子を孕んだ女が妙に苦しんでおると運ばれてきました!」


「すぐいく」


 私たちに病院内を案内していたケティ様のもとに、急病人の知らせが舞い込みました。


 ケティ様の表情が変わります。あまり口数は多くありませんが、ケティ様は病に苦しむ者を誰よりも真剣に助けようとなさいますから。


 私たちはケティ様の侍女として治療のお手伝いをしておりますが、未だにお役に立てぬ時が多く申し訳ない気持ちで一杯です。


「大丈夫。必ず助ける」


 運ばれてきたのは近所の村の者ですね。


 不安そうに祈る者たちにケティ様は力強いお言葉をお掛けになり、患者を診察室に運ばせます。


「十番の薬と注射器」


「はい」


 薬の知識のない私たちのために薬には番号が振られております。


 苦しむ患者を助けるために、私たちはケティ様のご指示の下で頑張ります。





――――――――――――――――――

 久遠総合病院


 日本最古の近代病院であり、その歴史は古く天文17年に開院した。


 近代医学の祖である医聖久遠ケティの病院として有名で、病院の敷地には彼女を医療の神として奉る神社がある。


 病院の設立は織田信秀の肝いりの事業だったようで、ケティが病院の建設を求めたことに応えたのだと織田統一記には記されている。


 当初は久遠病院と呼ばれていて、織田学校と隣接する建物だったようである。


 現在では久遠総合病院と名を改めて拡大したが、今も経営は久遠家が行っていて、全国にある久遠病院は全てこの系列になる。


 なお織田学校と久遠病院以降、全国の学校と病院は宮大工による建設が行われるようになった。


 理由ははっきりしないが、宮大工の技術を高く評価した久遠家の意向だったと伝わり、国の根幹を支える施設として寺社同様に宮大工が造り続けたと言われる。


 耐震性に優れた宮大工の学校と病院は、災害列島である日本本土において数多の命を救った歴史がある。


 現代において久遠総合病院は世界各地から患者が訪れる世界最高峰の医療機関であり、同時に久遠ケティを奉る神社は病に悩む人々の祈りの場となっている。


 初代病院の建物は今も現存していて、織田学校と共に国宝として名古屋でも人気の観光地となっている。


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