第89話・滝川忍軍?

side:今川義元


「面白くないのう」


 織田の勢いが止まらぬ。これが戦ならば、まだやりようがあるのじゃがな。


「されどおおむねは、予想通りかと思われます」


 確かに予想通りと言える。面白くないがな。矢作川の向こうは安定しよったし、他の西三河や東三河も揺れておる。


「ワシや信秀より、たわけどもの方が今川と織田の戦を望んでおるのは、皮肉なことよの」


「今川と織田が潰し合えば、好機になる。その程度のことしか考えられぬうつけなど、気になされますな」


 三河と遠江を含めれば、それなりの者が織田との戦を望んでおる。


 ある者は手柄を、ある者は乱取りに刈田狼藉を期待して。じゃが憎らしきは、今川と織田が潰し合うことを好機と考える者が多いことか。


 ワシと信秀に共通するのは、潰し合いなどする気がないことであろう。隙あらばと思うが、無理押しをして得るモノなど互いにたかが知れておるからの。


「安祥を落とすには、一万では足りぬであろうな」


「仮に一万で落とせたとしましょう。されどこちらの損害が二千や三千も出れば、それは大敗に等しき勝利となりまする」


 噂の金色砲とやらがいか程の武器かは知らぬが、安祥勢は見知らぬ矢を放つ武器を使うと聞く。一筋縄ではいくまい。安祥城も随分改築したようじゃしな。


 城一つに二千や三千もの損など出せぬわ。それでは大敗とおなじではないか。


 それに広忠とて人の親。いつ織田に降るか分からぬというに。松平の人質どもを前線で使い潰すくらいなら構わぬが、奴らが纏めて裏切らぬとも限らぬ。


 つまり三河勢は信用できぬということか。ならば駿河と遠江の軍勢が主力となるのか? 駿河はともかく遠江には、織田に期待する輩も居よう。やはり難しいな。


「北条も弱くない。武田は貧しくて攻めたくもない。せめて三河を安定できればな」


「それは今しばらくの猶予を」


 結局三河の安定が優先じゃが、それには今しばらく時が必要か。


 織田との取り引きは相変わらず盛況じゃ。憎らしいが儲かるので止められぬ。信秀がそれ以上に儲けておるとしてもな。


「そういえば離間の計はいかがした?」


「家中に多少不和を与えられたかどうかでしょう」


「やはりその程度か」


「戦でもして大敗すれば、織田が割れる種になるやもしれませぬが……」


 雪斎が信秀と久遠とやらの離間の計を致すと言うので、少し期待したがやはり失敗か。


 大敗すれば家中が乱れ割れるはよくあること。信秀が出所が分からぬ噂を信じるような奴ではないのは、分かりきっておったがな。


 巷では織田と今川が同盟を結ぶと噂があると聞く。今のところその気はないが、現状でも和睦しておるようなものだからの。


 いっそ織田と手を組み東に行くか?


 どちらにしても悩み処じゃな。




side:滝川資清


「すまぬが硝石を売るには大殿の許可が居る。清洲へ行き大殿の許可を得られよ」


「そこをなんとか。滝川様のお力でお願い致しまする」


「決まり事は曲げられぬ。幾ら積まれてもな」


 思わずため息が出るのを抑えられなかったか。ワシもまだまだ未熟じゃな。


 たった今までワシのもとにおったのは、尾張でも名の知れた伊勢の商人だ。昨年の今ごろならば、ワシなど会うことすらできなかったであろう大商人様だ。


 それが今では向こうから那古野までやってきて、ワシに大金を積んで頭を下げる。駄目だというのに大金を置いていくのだから困る。


 商いは殿と奥方様たちがなされておる故、ワシは差配などしておらぬというのに。確かに商いの事情も知ってはおるがな。


「へぇ。随分置いていったね。貰っといていいよ」


 商人たちはワシに顔を売ろうと、あの手この手で手土産を持参してやってくるのだ。おかげでワシは土産長者にでもなりそうな勢いだ。


 世の中には甘い話などない。商人達は銭や土産はいずれ儲けるきっかけと考えておるのだろう。それゆえワシは殿に報告をするが答えは毎回同じだ。


 元手も要らぬ、苦労もワシの心労一つ、得られた土産は全て報酬となる。織田家の陪臣の中で、一番裕福になってしまった気がする。


 このままでは駄目だな。一度殿に話すべきだ。


「殿。そろそろ。ご本領より家老を呼ぶか、若様より正式に家老を推挙頂くべきです」


「家老ねぇ。八郎殿でいいんじゃない? 島から呼んでもこっちの風習とか詳しくないし。ねえ、若様」


「そうだな。八郎で良かろう」


 新参者のワシにここまで任せてくれるのは有りがたいが、さすがに久遠家は大きすぎる。この先更に大きくなるのは明らかなれば、正式に家老を決めるべきだと思うのだが。


 殿と若様がおられる時にご意見したらば、悩む間もなく決められてしまった。元々ただの土豪なれば、身分が合わぬのだがな。




「八郎殿。どうか某を使ってくださらぬか?」


 結局ワシが家老になってしまった。


 まあ、それはいい。やることは変わらぬのだ。 最近仕官してきた太田殿が細かい仕事を手伝ってくれる故に、多少は楽になったしな。


 問題は久遠家ではなくワシに仕えたいと、甲賀の里から顔なじみが最近来ることか。


 とうとう久遠家の名は、甲賀の田舎でも知られ出したらしい。恐らく誰かが六角家に命じられて調べに来たのだろうがな。


 故郷の者はみなワシが小者か素破として、尾張で仕えておると思っておったのが、武士として家老として仕えておれば、目の色が変わるのも無理はない。


「予め言うておく。どこかに頼まれて、潜り込むために来たのならばすぐ帰れ。今ならば追わんし追及もせん。我ら滝川一族郎党は久遠家のためなら喜んで死ぬ。むろん仕えてからの裏切りは許さぬ。地の果てまで裏切り者の一族郎党を追い掛けて、必ずや根絶やしにするぞ」


「八郎殿……」


「外を見るがいい。我ら滝川一族ばかりか郎党の子たちも等しく扱い、武芸や学問を教え食わせて頂けるのだ。大恩ある殿に迷惑はかけられぬ」


 目の前の者は誰かに命じられて来たわけではあるまい。


 だが、久遠家で見聞きしたことを、外に漏らされては困る。ほんの半年ほど前までは、共に田畑を耕しておった顔なじみなればこそ、最初に厳しく言うておかねばならぬ。


 庭ではちょうど子供たちが、元気に槍の修練をしておる。


 あの子供たちのためにも、ちょっと稼ぎに来た程度で来られては困るのだ。


「もし本気ならば一族郎党とまでは言わぬが、家族くらいは連れてこい。人並みの暮らしは保障するし、働き次第では殿に推挙する。お主の子もあの中に入れよう。無論裏切れば家族の命はないがな」


「少し考えさせてくれ」


「ああ。それが賢明だ」


 やれやれ。本当に困ったものだ。あの暮らしから抜け出したい気持ちは分からぬではないがな。


「あの者を調べまするか?」


「よい。昔のよしみだ。それより岩倉はどうだ?」


「家中が割れておりますな。危ういかもしれませぬ」


「無理をせずともよい。このまま見張れ」


「はっ」


 同じことを言って本当に一家で尾張に来た者も、多くはないが居る。当面は外で使って様子を見るために、岩倉と美濃と三河に送ったが。


 むろん殿の許可は頂いておる。殿からは無理をさせぬことと、裏切らぬように人並みの暮らしをさせるようにと、言われておるからな。


 まだ身分は与えてはおらんが、暮らしは楽になっただろう。


 まるでワシが上忍になったようでやりにくいが、立場を得てみると上忍の苦労が分かるな。


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