22 幽霊の縁結び
「そうか。その貯金箱には、そんな思い出があったんだね」
わたしの話を聞き終えた長日部君が、静かにつぶやいた。
「きっと、お父さんが守ってくれたんだ。今までずっと、束原さんのことを見守ってくれていたんだろうね」
「うん。そう思う」
涙を手の甲でぬぐい、うなずく。小鬼もしんみりとした表情で息をついた。
「エマの父さんは、もう成仏して転生しているはずだ。エマのことが心残りで、霊力の形で生前の思いを残していたんだな」
『いい親父さんだな』
ヤシロさんが、ふっと目を細めて微笑む。
その思いのほか優しい笑顔に、わたしははっとした。
「そうだ、縁結び!」
貯金箱を持ったまま、みんなのほうへと向き直る。
「なんだか一件落着みたいな雰囲気になっちゃってたけど、全然何も解決してないじゃん! 悪霊集団を捕まえられたのはよかったけど、今やるべきは、徳を貯めることだよね。そういえば、高瀬さんは? 大丈夫なの?」
「落ち着いて、束原さん」
長日部君が、わたしの肩にそっと手を置く。
「高瀬さんは無事だよ。まだ、高校にいる。束原さんと会う予定だった僕が迎えに行ったところ、中庭で体調を崩して倒れていた束原さんを見つけて連れ帰った、ってことにしてあるから」
「イズミについては、急用で帰ったということにしてある。長日部のおかげで、記憶の操作は最小限で済んだ」
「記憶の、操作?」
小鬼の言葉に顔をしかめる。まずい、といった様子で口に手を当ててから、小鬼はゴホンと咳ばらいをした。
「まあ、それはいいとして。エマ、もう縁結びをがんばる必要はないんだ」
「え?」
思いがけない言葉に、きょとんとする。
「必要ないって、どうして? どういうこと? わたしたち、誰の縁結びもしてないよね?」
わたしが言うと、小鬼がにやりと笑った。
「おい、長日部。おまいはさっき、『一本の糸の異変に気づいた』と言ったな」
そうして長日部君のほうを振り返る。見られた長日部君は、はっとしたように固まった。
「糸は、何本もあるはずだ。消えゆく糸がエマの糸であると、どうしてわかったんだ?」
あ、と声が出る。
言われてみれば、そうだ。糸は、長日部君の持つ縁の数だけある。その糸が誰とつながっているものなのかは、確か三メートルくらいの距離まで近づかないとわからない、って言ってなかったっけ。
「それは……」
長日部君が、うろたえるように目をそらす。
『おい、言えよ。そういう約束だったろ?』
ヤシロさんが言う。長日部君には聞こえていないだろうけれど、その口がゆっくりと開いた。
「その糸が、赤かったから」
「…………え」
彼の発した言葉の意味がわかった瞬間、顔が一気に熱くなるのを感じた。
長日部君は、真っ赤になってうつむいている。きっとわたしの顔も、同じくらい赤くなっているんじゃないだろうか。
わたしたちの糸は、いったいどんな赤に染まっているんだろう。
*
こうしてヤシロさんの徳貯金は晴れて五百徳となり、川を渡れることになった。わたしと長日部君の縁結びを成功させた結果だ。わたしの死後の運命も、これで救われたというわけだ。
日曜日の朝。わたしと長日部君、そして小鬼は、白山神社の社殿の裏に集合していた。
ここで、ヤシロさんと最後のお別れをすることにしたのだ。
「手続きは無事に終わった。あとは、おいらがヤシロを連れていくだけだ」
「三途の川を渡るんだね。その後は、どうなるんだ?」
尋ねた長日部君から、小鬼はふいと顔をそむけた。
「言えない。それは、機密事項だ」
「前にお父さんのことを話したとき、成仏して転生してる、って言ってたよね。ヤシロさんも転生するの?」
「え、おいら、そんなこと言ったか? 忘れちまったな」
そう言って、ふわりと屋根の上まで飛んでいく。あくまでも、とぼけるつもりらしい。
「なんだか、あっという間だったね」
「うん。ヤシロさんが亡くなってからまだ一週間も経ってないなんて、なんか嘘みたい」
長日部君に答えると、急に寂しさが襲ってきた。
ヤシロさんと過ごしたこの数日間は、すごく濃い日々だった。たくさんの出会いがあって、いろいろな経験をして、自分の中にも周りにも、大きな変化があって。
きっと、一生忘れられない思い出になるだろう。
「安心しろ、エマ。ヤシロの残した、漫画があるだろう」
いつの間にか下りてきた小鬼が、神妙な顔つきで言う。
「最初は寂しく感じるかもしれんが、時間がそれを埋めてくれる。それにおまいさんには、長日部という心強いパートナーがいるだろう。本当に心強いかどうかは知らんが」
「べつに、寂しいなんて……!」
言いながら、心を読まれたのだと気づいて視線を泳がせる。
「まるで、僕がヤシロの代わりみたいな言い方だな。気に食わない。小鬼、訂正しろ」
長日部君が、妙なところにつっかかる。と、
『おい、エマ。こんなところで何やってるんだよ』
背後から聞こえた声に、びくっとして振り返る。
「何って、ヤシロさんとお別れをするために待ってたんだけど。ヤシロさんのほうこそ、何してたの? もう待ち合わせ時間、五分以上過ぎてるよ?」
『お別れえ~? なんだそれ? いつそういう話になったんだ?』
そう言うと、ヤシロさんは両手を頭の後ろで組んでふわりと浮かび上がった。
え、ちょっと、一体どういうこと?
事情をのみこめない長日部君に説明をすると、途端に彼は顔を真っ赤にさせた。
「おい小鬼、おまえから伝えるという話だったよな」
長日部君ににらまれ、ぽかんと口を開けていた小鬼がはっと我に返る。
「いや、ちゃんと伝えたぞ! ヤシロだって殊勝な様子で『わかった』って……!」
『知らねえな。夢でも見てたんじゃねえの?』
「ふざけるな! そもそも、おいらは夢など見ない!」
「ヤシロさん、どういうこと? まさか、成仏しないつもりじゃないでしょうね」
『そのまさかだよ。おれにはまだ、やることがあるからな』
驚きと呆れで言葉を失うわたしの前に、ヤシロさんは仁王立ちをしてみせた。
『漫画だよ。まだ完成してねえじゃねえか。成仏の条件は満たしたんだから、これでようやく集中できるってもんだぜ』
「まさかおまい、漫画を描き終わるまで成仏しないつもりか?」
『ああ。そもそも、おまえが言い出したんだぞ、エマ。おれをその気にさせたんだから、最後まで責任持って見届けるのがスジってもんだろ』
「わ、わたしのせいなわけ!?」
「おい、ヤシロ! 束原さんのせいにするな! そもそもあれは、おまえを成仏させるために束原さんが考えたことであって!」
『わかってるって、うるせえな』
「ヤシロ。成仏のための手続きは、もう済んだんだ。四十八時間以内に、すみやかに三途の川を渡る必要がある」
『力ずくで連れてくってか? 悪いが、おれは逃げるぜ。この体にも慣れたから、そう簡単には捕まえられねえぞ』
言うなり、ヤシロさんは笑いながら飛び上がり、空を高速で回転し始める。
「な、なんてやつだ……!」
小鬼はヤシロさんを見上げ、ぷるぷると震えていた。遠巻きにカラスに警戒されているヤシロさんを見ながら、わたしはゆっくりと口を開いた。
「ねえ、小鬼。その四十八時間以内ってルール、今回だけどうにかならないの?」
「エマまで、何を言い出すんだよ。ムリに決まってるだろ。下手すりゃ、おいらが職務放棄で処分されちまう」
「でも、ヤシロさんにとっては、これが最後の『やりたいこと』なわけでしょ」
言いながら、小鬼に一歩近づく。
「例外ってことで、なんとか霊界のほうにお願いできないかな。必要なら、わたしも協力するから」
「エマ……おまい、そこまで……」
「僕からもお願いするよ」
長日部君が、わたしの隣に立つ。
「未完成の漫画なんて、よけい寂しさを感じてしまいそうだからね。ヤシロだけでなく、束原さんのためにも、なんとか便宜を図ってもらえないだろうか。今回の件は、束原さん無しでは解決できなかったんだ。束原さんに対する報酬を、ヤシロの漫画にすればいい」
「報酬、か……ううーん……」
小鬼が腕を組み、眉間にシワを寄せる。
「…………しかたがない。やってみるか」
「ほんと!?」
「だが、期待はしないでくれよ。お伺いを立ててみるだけだからな」
「十分だよ。ありがとう、小鬼」
「ありがとう! 長日部君も、ありがとう!」
「僕も、最後まで漫画を読みたかったし。それに、束原さんの望んでいることは、僕の望んでいることでもあるからね」
そう言って微笑む長日部君に、胸が高鳴る。
そうだ。わたし、この人と、お付き合いすることになったんだった。
なんだかまだ、夢を見ているみたいで実感がわかない。
『話、まとまったか? じゃ、おれ帰って漫画の続きするから。悪いがエマ、しばらくの間協力頼むぞ』
下りてきたヤシロさんが、苦い表情の小鬼にかまわず言う。
「わかった。サボらないで、ちゃんと四十九日までに仕上げてよね」
『まかせとけって!』
そう言うと、ヤシロさんはものすごい勢いで放物線を描いて去っていった。水晶で弾き飛ばされたときよりも、さらに速いスピードだ。
「まだしばらくは、付き合いが続きそうだね」
空を見上げるわたしの横で、長日部君がつぶやいた。
その日の夜。
漫画の完成まで成仏を待ってもらえることになった、と小鬼から報告を受けた後、わたしはソファでくつろぐお母さんに話しかけた。
「あのさ。見せたいものがあるの」
「何? こないだのテスト?」
「それはもう、全部見せたでしょ」
「そうだっけ? エマ、ほんとによく頑張ってるわよね。努力家なところ、誰に似たのかしら」
そう言うお母さんに、わたしは部屋から持ってきたものを静かに差し出した。
わたしの手の中にあるものに、雑誌から上げられたお母さんの視線がくぎづけになる。
「その貯金箱……見せたいものって、それ?」
お母さんは雑誌を閉じ、ソファに置いた。
「この中にずっと、入ってたものだよ」
引き出しを開け、あのおみくじを出す。それを見たお母さんは、大きく目を見開いた。
「これ、お父さんの字だわ」
「ずっと中でひっかかってて、これが入ってることに気がつかなかったの。旅行のとき、お父さん言ってたよね。わたし用のおみくじを作ってくれるって」
お母さんは、震える手でおみくじを受け取った。
「なつかしい。また見られると思わなかった」
そう言って、ほうっと長い息をもらす。
「旅行から帰ってきた夜、お父さんがこれを作っているところを見ていたの。何枚か失敗して、作り直したりしてね。すごく真剣な顔だったから、よく覚えてる」
「これを貯金箱に入れて、寝ているわたしの横に置いてくれたんだよね」
「そうだったのね。何日かしてからおみくじのことを聞いたら、もう渡したって言うから。エマは何も言っていなかったから、きっとエマとお父さんの秘密なんだろうって思ってた。でもエマ、気づいてなかったのね」
「うん。わたし、ずっと、お父さんのこと考えないようにしてた。大事にされなかったって思いこんで、お父さんとのこと全部、なかったことにしようとしてた。でも、これを見て思い出したの。お父さんは、すごく優しい人だったってこと」
「そうね。無口で少し不器用だったけれど、本当に、優しい人だった。でもわたしも、エマと同じだったかもしれないわ」
「お母さんも?」
驚いたわたしに、お母さんはふっと微笑む。
「お父さんのことをすぐに受け入れられなくて、どうしてわたしたちを置いていってしまったんだって、怒りをぶつけていた時期があってね。わたしたちより、よその子たちを優先させて死んじゃうなんてって、ずいぶんひどい考え方をしたものだわ」
言葉を失うわたしに、お母さんは続ける。
「だけど、そんなことなかった。わたしの記憶の中では、お父さんはずっと優しかったし、わたしたちを大事にしてくれていた。わたしは、わたしが覚えているお父さんの姿だけを大事にして生きていこうって、そう思うようにしたの」
そう言うと、おみくじをわたしに返した。
なんだ。お母さんも、わたしと同じだったんだ。
改めて、おみくじを眺める。几帳面で優しい、お父さんの文字。
全然筆跡は違うのに、なぜかヤシロさんが念力で書いた文字を思い起こした。
「そうだ。さっき、お隣のヤシロさんとそこで会ってね、今度お茶しに行くことになったのよ。よかったらエマも行く?」
「わたしも? いいけど、邪魔じゃない?」
「ヤシロさんが言ったのよ、よかったらお嬢さんもぜひって。エマのこと、いいお嬢さんだって言ってたわよ。何かあったの?」
「少し、話しただけだよ。お茶って、いつなのか教えて。予定空けとくから」
その後。貯金箱とともに部屋に戻ったわたしは、英語の宿題を終わらせた。
「お気に入りのもの」。
そのお題に対し、わたしは「さいせん箱形の貯金箱」、そして「手作りのおみくじ」と書いた。
英語にするのが大変だったけど、そのおかげで、ちょっと英語が好きになった気がする。
貯金箱は今、机の上にある。目を上げればいつでも、わたしを見守ってくれていることがわかる。
勉強しよう。何かから目をそらすためじゃなく、自分を知るために。
そしてきっと、黎開学園に入るんだ。
「ゆめはかなう」
お父さんの作ってくれた、おみくじの言葉。
わたしはこれを現実にするために、夢を見つけにいく。
そのための挑戦は、始まったばかりだ。
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