第6章 第5話 白銀の剣士

 ジークは今その視線の先に、この幻想的な世界にはふさわしくない、敵意にも、殺意にも似た気配を感じとっていた。

 その影は人のものに近い。だが感じられる気配はどうだ。ジークの、短剣を握る手に力が入る。

 もやの向こうの人影は、一歩、また一歩、ゆっくりとこちらへ向かい近づいてくる。

 そして、葉の鳴る音と共に自身の前に姿を見せた相手を目にしたとき、ジークは言葉を失っていた。


 銀色の髪、青い礼服にも似た衣装。その右手には白銀に輝く一振の長剣。

 体躯からすれば男性だろう。

 だが、髪も衣装もすっかりと乱れ、顔の前まで落ちた長い髪に、その表情は全くうかがうことができない。

 そして、乱れた髪の間からのぞくのは、ジークのそれとよく似た長く、とがった耳。

「あなたは――」


 だが、ジークが問いかけるより早く、相手の剣はジークへと向かい振るわれていた。

「――!」

突然の攻撃に、ジークはすんでの所でその右側へ、倒れるようにしてこれをかわす。

 相手の剣はジークの後ろの若い大樹へとくい込み、見えない顔がこちらをにらむ。もしもほんの一瞬、行動が遅れていたなら、この身はすでに袈裟斬りである。

 冗談ではない。

 とっさにかわした後の膝をついた姿勢から、ジークはすぐさま立ち上がるとともに短剣を構える。


――なぜこの相手は自分に敵意を向けてくる。

――そして、なぜこの相手は自分に似ている――!


 だが、ジークがその感情を整理するより早く、剣を自由にした相手は再度『大地』を蹴り、ジークへ向かって斬りかかってくる。

 とっさに短剣でそれを受けるが、その一撃は重たく、響いた金属音と共に彼は身動きが取れなくなる。

 右手で柄を握った短剣の峰の部分は、それを支える左手に深く食い込み、後ろに引いた左足は柔らかな『大地』へと押し込まれていく。


――このままじゃやられる!


 ジークは短剣を握る手に力を込め、相手の剣を精一杯押しやる。だがそれで、彼にわずかな優位が訪れたわけでもなかった。


 白銀の剣士は彼の反撃にわずかに体勢を崩すが、一歩のうちにその姿勢は戻され、再度上段へと剣を構え、ジークへ向かい振り下ろしてくる。

 ジークは転がるようにしてこれをかわし、相手の剣は空を切り裂く。その間にジークは短剣を構え、剣士の脇からふところへと飛び込む。だが、身をひるがえす相手に攻撃はかわされ、逆に肘での一撃を受けて『大地』へと転がる。

「うあ……っ!」

背中より走る痛みに数度転がり、再度目を開く彼の視界に、銀色に輝く切っ先が映る。


「――!」

どうにかこれは転がってかわすが、相手はなおも容赦なくジークへと突きを繰り出してくる。

「くそっ!」

どうにか短剣でその一撃を弾き、相手が体制を立て直す一瞬で剣の間合いの外へは出るが、それで自身の劣勢が覆るわけはなかった。


 もとより長剣と短剣では分が悪すぎる。

 なにより、今目の前にいる相手は明らかに自分よりも実戦慣れしている。

 そしてさらに、ジークはある可能性に――彼にとっては絶望的な、一つの可能性に気づいていた。


――動きが、読まれている。


 先の短剣の一撃、ジークは完全に死角から攻撃したつもりだった。

 だが、相手はそれを読み、逆に背中に一撃を受けてしまった。

 もしもそれが肘でなく剣先であったなら、すでに勝敗は決していたことだろう。


――ならば、魔法――

 一瞬考えるが、ジークはすぐにそれを打ち消す。

 現在自分がまともに使えるのは回復魔法ぐらい。

 ヨツンヘイム平原で使用したあの魔法を使うことができれば、あるいは、勝機はみえるのかもしれない。だが、その魔法はあまりにも危険すぎる。

 まして、また暴発でもさせた場合、枯れようとする世界樹の命をさらに縮めることにも繋がりかねない。

 そしてなによりも、印を描き、韻を唱える時間を、目の前のこの相手が与えてくれるとも――


「――!」

再び、水平に薙がれた剣がジークを襲う。

 よけようとして『大地』の突起に足を取られ、平衡を失い仰向けに倒れる。相手の剣が真上から襲う。

 かろうじてこれは短剣で受けるが、真上から押さえつけられる剣はあまりにも重い。だが、このまま相手の攻撃に飲まれてしまうわけにはいかない。

「ふざけるな!」

言って足を振り上げ、仰向けの体制のまま相手の腹へと蹴りを入れる。


 さすがにこれは効いたようで、相手は数歩たたらを踏み、腹部を押さえると共に、ジークの方をにらみつける。いや、にらみつけたのだと感じる。

 長い前髪の下の表情はいまだジークにも全く読み取ることができない。

 だがこのとき、無言のまま殺意を持って襲ってくる相手に、ジークは死の恐怖ではなく、どこか惹かれ合うような、不思議な感覚を感じ取っていた。

 ただそれでも、自分はここで倒れるわけにはいかない。自分には待つ者達がいる。知らねばならない、守らねばならないものがある。

 ジークは再度その戦意をみなぎらせるように、短剣をしっかりと構え直した。


 相手はこちらの動きを完全に読んでいる。今までと同じ戦い方ではこちらの劣勢は目に見えている。

 ならば、自分の攻撃方法は一つ。すなわち、相手の予想し得ない攻撃――


 再度、相手が剣を上段に構える。そして――対峙は一瞬だった。

 ジークは薙がれた剣を受け止めるのではなく、短い刀身を使ってそのままいなし、勢いまま流される長剣から刃を離すと剣士をめがけて一気に振り抜く。

 彼の一撃は剣士の脇腹を薙ぎ、相手はそのまま前方へと倒れるようにして膝をついた。

 本来ならそれで決着はついた――はずであった。



「――あなたは――!」

 ジークが一瞬短剣を見やり、すぐに剣士の方を振り返り見る。

 自分の短剣が相手を薙いだ一瞬。長い前髪の下に瞳が見えた。青い――自分と同じ瞳。


 膝をついた相手の、背中を見やる視線の先。

 剣士は血の流れない脇腹へと手を当てたまま立ち上がると、ジークの方へとゆっくりと振り向く。

 そして、彼は剣をゆらりと右手にさげたまま、視線を落とし――


「――っ!」

ジークの周囲を突風が吹く。だがその風は刹那せつなに過ぎ去り、ジークは反射的に閉じた両目を静かに開く。


「ああ――」

ジークの口から、ため息にも似た声が漏れた。

 剣士の背中に展開された一対の翼。白き鳥類の翼にも似たそれは、自分と同じ――あの日、高い牢より飛び降りた際、自身の背中に広がったものと同じだった。

 そして、風と共にあらわになったその剣士の目も、鼻も、口も――


「――あなたは、ぼくだったんですね。」


 ジークの言葉に、剣士は――彼と瓜二つの容姿を持つ青年は、剣をさげたまま、わずかに戸惑うような反応を見せる。

「ぼくが人に混じり、人と共に生きていた間も、あなたはずっと、ここで待っていたのですね。」

 剣士の――もう一人の『ジーク』の両目が真っ直ぐに彼を射ぬいている。

 だがその表情はどこか懐かしいものを見るような、穏やかさを内包しているような――そう、ジークには思えていた。


「来てください。ぼくは、もうあなたから逃げたりしない。」

ジークは両手を広げ、右手の先から短剣を落とす。

 剣士の視線が短剣を追い、そしてジークの目線へと戻される。ジークの表情には穏やかな微笑が浮かんでいた。


『ジーク』は剣を脇にかまえるようにして雄叫びにも似た声を発する。

そして、彼の足が『大地』を蹴った――

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