第5章 第7話 哀しき再会
門の中は広間のような空間になっていた。
古代の神殿遺跡のように、いくつもの柱の立つその中を二人の脱走者は外へと走る。
ジークのわきを走っていたシアルヴィがかすかに振り向いたかと思うと、ふと、彼の視界から消える。
直後鎖の鳴る音を残し、彼らは勢いのまま大きく前方へ弾かれたようにして倒れる。
ジークの手から剣が抜け、金属音が大きく響く。
後ろに回っていたシアルヴィが体当たりをするようにジークにぶつかり、彼らは折り重なるようにして倒れこんでいた。
「シアルヴィさん!」
シアルヴィの下からジークが
シアルヴィは動かない。かすかに苦痛のうめきが漏れる。
背後から飛来した火炎魔法が彼を捉え、その脚に酷い火傷を負わせていた。
ジークが顔を上げ、シアルヴィの背後の魔術師に気づく。二度目の魔法が魔術師の手に収束する。
――撃たれる!
思うより早く、ジークの体は反応していた。
とっさに飛び出し、シアルヴィと魔術師の間に我が身を割って入らせ、友を守るように両手を広げる。盾となることに、なんのためらいも感じなかった。
だが両手を開き目を閉じ、来るべき瞬間を覚悟したジークに対し、爆発音ははるか離れた場所から響いていた。
ジークがゆっくりと、閉じられていたまぶたを開く。
打ち出す直前に魔法の軌道は変えられたのだろう。
彼らから離れた柱の一本が黒く焼け焦げ、足元へと破片を散らせていた。
「……!」
ジークの後ろから、シアルヴィの声がかすかに聞こえる。
だがこの時、ジークによって
「――ジーク!」
魔術師が、驚きを隠せない声でその名を呼んだ。
「よかった……お前、生きて……!」
魔術師からは先ほどまでの殺気は完全に消え、表情はさながら、喜びを隠せない少年のようなそれであった。
ジークもまた、その内に何かを感じ取った。
この魔術師は自分を知っている。そして、自分も――?
しかし直後、突如として襲った頭痛に彼の感覚は奪われはじめ、周囲の音は急速に遠ざかっていった。
ゆっくりとこちらへ歩んでくる魔術師の声も、その内容すら聞き取れない。
「……誰……?」
奪われゆく感覚の中、そう告げるのがやっとだった。
「――!」
魔術師の表情が一瞬にして凍りついた。
「何……言ってんだよ……」
口をついて出た言葉には、ただ疑いと不安が現れていた。
だが目を伏せうつむいた相手の反応は、魔術師の青年へと嫌な予感を感じ抱かせ、彼はただその予感を否定するように、現実の理解を拒むのだった。
「おい、なに言ってんだよ!」
魔術師はジークの間近へ近づき、彼へと言葉を投げかけてきた。
しかし両手でジークの肩をつかみ、その身を前後にゆする魔術師に対しても、ジークは反応ひとつ見せなかった。
ただ頭を揺らされながらも
しかしそれでもなお心のどこかで否定しようとする彼に対し、真実を告げたのは、彼自身の魔法を脚へと受け、床へと伏せた赤毛の男性の言葉だった。
「記憶を……失っているんだ……」
どこかで否定したかった。
だが眼前に突きつけられたのは、もはや否定しようの無い事実だった。
「私が彼を見つけたとき、彼は自分の名前すら覚えていなかった。君とジークの間に何があったのかは知らないが……彼は……何一つとして覚えてはいないだろう。」
自分に語る男性の声も、もはや理解する力は残されていなかった。
魔術師の両手から力が抜け、彼はよろめきながらも数歩、後ろに下がる。
ジークの身体は力を失ったように床へと崩れ、倒れているシアルヴィにもたれかかるるようにして座り込んだ。
「なんだよ! なんででだよ……! なんで……こうなっちまうんだよ!」
魔術師の青年は、ただその感情を言葉に発するしかなかった。
待ち望んだ再会がこのような形になろうことなど。
この再会が彼に与えたのは、やりきれない怒りと絶望だった。
だがそうした彼らに響くのは、その絶望をさらに加速させる冷酷な第三者の言葉だった。
「――何をしている。アーサー。」
背後からかかる声にアーサーと呼ばれた魔術師が振り返り、シアルヴィが倒れたままそちらを
「ロシェ……将軍……」
「――!」
アーサーがその名を呼び、シアルヴィが表情をこわばらせた。
現れたのは黒髪に赤い右目を持つ青年。ジークが牢内で会った相手だった。
彼を目にし、アーサーがあわてたように姿勢を正す。
「君に命じたのは脱走者の始末のはず。なのに、これは一体どういうことだ。」
「それは……」
ロシェがこちらへと近づいてくる。
「わかっているのだろう。撃てと言っている。」
「……できません! だって、こいつは俺の――」
「――もういい! 君はそこに下がっていろ!」
少し間をおき返されたアーサーの言葉を遮るように言うが早いか、ロシェはひとつの印を描く。
描かれた印が黒く輝く。攻撃目的であることは間違いない。
考えている時間は無い。アーサーもまた印を描く。その韻の詠唱とともに。
二人の唱える韻。だが、ロシェのほうが完成が早い。
アーサーの韻、攻撃魔法ではない――
シアルヴィがそう思いかけるのと、ロシェの魔法の完成は同時だった。
伸ばされた両手に闇が収束し、彼の魔法の完成を教える。
だがその魔法が放たれ、彼らを飲み込むその瞬間、アーサーの左手はかすかに動き、何かの印を描き出した。
二つの魔法が放たれ、重なる。
ロシェの魔法はアーサーごと脱走者を飲み込み、しかし直後、アーサーの魔法が脱走者らを、その光の中へと包み込んでいった。
やがて黒と白が混じり合い、その光が完全に消えさったとき、そこにいたのは二人のいた方へと頭を向け、床へと倒れたアーサーただ一人だった。
「ふざけたまねを……」
ロシェが悔しさをにじませた表情でそばへと近づき、怒りを込めた目で彼を見下す。
どうやら意識を失っているようだが、彼自身も魔法を唱えていたため、ロシェの魔法による影響はほとんど受けてはいないらしい。おそらくは、本人の技量を超える魔法を操ったことへの副作用。
憎々しげな表情のままロシェはさらに先へと進み、牢内で奪われた自身の剣を拾い上げる。
直後、その背後から声がかかる。
「ロシェ。何が起こった。」
ロシェが剣を握ったままそちらへ向かい、恭しく頭を下げてみせる。
現れた男性が周囲のありさまを見て言葉を発する。
「これは、一体どういうことだ。」
柱の一本は黒く焼け焦げ、破片を足元に散らせている。
床の一部はロシェの魔法により大きく削られ、そばにはその副将であるアーサーが、力を使い果たしたように倒れている。
「この場で、魔法を打ち合ったのか?」
「脱走がありました。皇帝陛下。」
剣を鞘へと収めながら、ロシェが答える。
「脱走だと?」
「ええ、ですが逃げられました。その副将が彼らを逃がしたのです。」
「なんだと!」
「空間属性、転移の魔法です。まさか、この者が使えるとは思ってもみませんでした。」
「では、その者はどこへ行ったというのだ。」
脱走者は二人。つまりその者たちというのが正解なのだが、ロシェはあえて訂正せず、その質問に対してだけ答えていた。
「残念ながら、わかりかねます。」
「なんだと?」
「転移魔法は不完全でした。詠唱は私の速度に追いつかなかった。だから彼はそれを、二度目に描いた印そのものを送る魔法に切り替え、その印の位置から彼らを呼び寄せることを狙ったのです。呼び寄せる魔法は、送る魔法よりずっと短い詠唱で済みますからね。」
「そんなことが可能なのか。」
「人間の魔力ではまず不可能でしょう。魔力に長けた彼だからこそできたこと。それでも、よほど無理をしたのでしょうね。魔法は不完全なまま放たれました。だから、行き先は指定されていませんでしたし、彼の力は使い果たされてしまった。」
転移魔法は対象をある地点から、もう一つの地点へと送ることのできる魔法。
だがその行き先が術者により描かれなかった場合、その行先は完全に無作為に選ばれる。この世界にとどまれる保証もない。
そのため、不完全なまま放つことが極めて危険な魔法であり、空間魔法が難儀とされている理由はこの魔法によるところも多い。
「この者の、処遇はどうする。」
「しばらく牢にでもつないでおきます。まだこの者には利用価値がありますので。」
ややあって問いかけた皇帝にロシェはこともなさげに答え、アーサーのわきへとかがみこむと何かの魔法を唱え始める。
皇帝にしてもまた、この若い将軍は全くその内を見せぬ理解しがたい相手であり、信じてよいものか、いまだ確信を持つことはできずにいた。
だがそれでももはや彼はこの若い男に、この国の未来を預ける以外になくなっていた。
運命はすでに手の届かぬ速さで、彼らの周りを駆け始めていた。
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