第5章 第2話 平行線

 両側を岩肌の山に挟まれた細い街道。馬の背に揺られてジークは行く。

 目の前には馬の頸部、そしてその向こうにシアルヴィの姿。


 シアルヴィがジークを見つけたのは草原が夜の闇に飲まれようとする時刻だった。

 浅く皿状に窪んだ地形の底。

 亡骸の群れの中で自身を見出したシアルヴィに気づいたとき、青年はただ無言でその身体に抱きついていた。


 そして、シアルヴィはジークに何も聞かなかった。

 ジークが自身の胸で体を震わせていたときも、草原を抜け、野営をとり、食事と寝所をともにしたときも。

 ただいつもと変わらぬ穏やかな表情で、あの地点で何があったかなど、気にもしないように振る舞っていた。


 そして夜が明け、二人は草原から南へと進路を取っていたが、いまだジークは何も語らず、谷間にはただ馬の蹄の音だけが響いていた。

「シアルヴィさん。」

やがてジークが小さく口にし、シアルヴィが馬を止めると彼はその背を滑り降りる。

 シアルヴィが馬の首を軽く叩き、背中を借りたことへの礼を伝える。


 彼らはアールヴヘイム方面には戻らず、そのままヨツンヘイムへと南下していた。

 有明の月を形取るように、大きく湾曲した姿を持つこの大陸。

 彼らの目的地とする帝国は、その最も南に位置していた。

 さらに今まで彼らが辿ってきた、孤児院や精霊の森の存在したアルスター諸国連合は大陸の最も北部にあった。

 そして、大陸中央部においては、アルスター諸国連合最後の都市、国境都市ミーズを境に、アールヴヘイム王国、そしてヨツンヘイム王国が、大陸を縦に割るように中央に連なる山脈を、国境として接している。


 すなわちこの大陸内において帝国領内を目指す手段としては、アールヴヘイム、またはヨツンヘイムを経由する道筋が必須となり、そして彼らには、山脈を北まで戻り、国境都市ミーズからアールヴヘイムを南下する手段も残されてはいた。

 しかし、国境都市においてすでにその身に向けられていた視線の意味を考えたとき、アールヴヘイムの領内を南下するという選択は自分のみならず、友にとっても苦痛を伴うものであろうことは、シアルヴィは十分理解していた。


 かといって、彼らがヨツンヘイム領内に入ることは、リーヴたちがこの国に踏み込むこと以上に危険を伴う可能性は高いだろう。

 だが、いずれにせよ一筋縄ではいきそうにないこの行程で、ヨツンヘイムの南下を選んだ理由。

 そこには、以前リーヴが持っており、現在はジークの持っている書状。それをかの国へと届け、それと同時に平原での事実を確かめたいと、そういう思いもまた、彼の中には存在していた。



 やがて彼らの目の前に、一つの石造りの砦が見える。

それは、この魔法王国への来訪者を見定める、ヨツンヘイム最北の関所であった。


 入り口に門番は二人。

北方より現れた来訪者に彼らは怪訝な表情を浮かべると、その手の槍を互いに交差させ、砦への通路を阻むのだった。

「何者だ。」

「領内に用件がございます。お通し願いたい。」

「できぬ話だ。現在北より領内を目指すものは何人たりとも通すなとの仰せである。」

 書状を両手で抱えたまま身体を小さくするジークを背後に隠すようしてに立ち、通過を申し出るシアルヴィに対し、門番は否定の答えを返した。


「私達にはヨツンヘイムに届けねばならない大切な知らせがございます。もし現在の状況を放っておかれては、この国にもすぐに脅威がもたらされることでしょう。」

「しかし――」


「何事だ。」

 シアルヴィと門番の対話の直後、兵士の背後の詰所らしき建物から姿を見せたのは、明らかに身分の高い者だろう、金の刺繍が施された法衣に身を包む魔術師らしき男だった。

 門番の二人がそちらへと目をやり、そして恭しく頭を下げる。


 現れた男は品定めでもするかのように、来訪者に上から下まで、観察するような視線を送る。

 やがて男は二人へと近づくと、シアルヴィの胸を突くようにして脇へと押しやり、彼の後ろで小さく体を跳ね上げるジークを見下すようにしてにらみつける。

 そして、萎縮した彼の両手から、アールヴヘイムの書状を奪い去っていく。


 急な事態にジークは驚愕の表情を浮かべるが、男はそれを気にする様子もなく、法衣をひるがえし背中を向ける。

 そのまま書状をひらひらと表裏を確認するように回してみせながら、先ほどいた場所まで戻り、ジークらの方へと向き直ると右手で魔法の印を描く。


――火炎魔法!

シアルヴィが印の意味に気づき、ジークと男の間に割って入るが――

「――!」

男の右手に灯った炎により、書状は一瞬にして灰となった。


「一体何を!」

ジークの目が真円に見開かれ、シアルヴィが抗議の声を上げる。


「私はこの国境を預かっている、魔法兵団隊長のユミルだ。残念だが、貴公らをこれより先に通すわけにはいかん。

 斥候らの働きにより、すでに貴公らの動きは我々にも伝わっている。帝国の魔族兵を相手に戦い、進路を南へ、帝国へ向かっている二人組がいるとな。」

「馬鹿な……かといって……」

「我が国は中立だ。帝国にも、反帝国の国々にも属するつもりはない。

 もしもここで貴公らを通してしてしまい、あまつさえアールヴヘイムと条約でも結ぼうものなら、我が国は帝国に敵したとみなされ、その攻撃にさらされることになるだろう。それだけは避けねばならん。」

「そんな! このまま帝国を放っておけば、あなた方だって――」

会話に割って入り、叫ぼうとするジークをシアルヴィが背中越しに小さく手を上げて制する。


 シアルヴィにはわかっていた。

 今現在平和を謳歌できている者は、それが破壊されるその時まで、それに警鐘を鳴らす者の言葉など聞きはしない。

 このまま押し問答をしたところで、何も変わりはしないだろう。


 ユミルはさらに言葉を繋げる。

「折しも、ミーズ近くの平原に光の半球が現れ、我が同胞が大勢、その命を奪われたという知らせも入っている。詳しくはまだ伝わっていないが、あれにも、貴公らが関わっているのではないのか。」

 シアルヴィの後ろでジークが一瞬大きく跳ね、震える両手で自身の両肩を抱くと頭を下げ、小さく体を震わせている。


「いずれにせよ、この国境をまたがせることはできん。立ち去られよ。

 それともここで、我が魔法の槍に貫かれる道を選ぶか。」

「――わかりました、従いましょう。ですが、最後に一つだけ。」


 そして、シアルヴィは落ち着いた口調で語り始める。

「どうか、北の平原で起こった事象を、その結果もたらされたものを、よく目をこらしてご覧になってください。おそらくはそれこそが、帝国によって近しい将来、この国にもたらされる結果となることでしょう。

 ……残念ですが現在の帝国は、あなた方が考えておられるほど、信頼に値する相手ではなくなっている。」


 そう言うとシアルヴィは震えるジークの肩を抱くようにしてきびすを返し、国境の門から遠ざかっていく。

 その後ろ姿を見送ってから、ユミルは脇にいた伝令らしき兵に合図をし、仲間の元へと走らせていた。

 そしてその命令こそが、ユミルが最後に放った言葉を忠実に遂行させるものであったのである。

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