第4章 第7話 離別再び
――ぼくの紋章よ、どうかこの人を守って――
せめて今だけは安心して眠っていられるように
よこしまな夢魔に、眠りが破られないように―――
寝床の上、赤毛の男性がゆっくりとそのまぶたを開く。
天高くある太陽が窓から光を差し入れてくる。
「また、生命を拾ったか――」
どうやら天界でも冥府でもなさそうだ。
窓際にベッドが置かれ、やや右寄りに机の置かれた部屋は、おそらくあの夜と同じ場所なのだろう。
眩しすぎるまでの太陽にかすかに目を細め、シアルヴィは普段と何変わらない様子で起き上がろうとする。
身体にわずかに違和感を覚えるが、それも彼にとっては昨夜、摂ってしまった毒草によるものだと考え、納得しようとしていたそのときだった。
「先生!」
おりしも廊下から顔をのぞかせた一人の青年が、ベッドから立ち上がろうとしていた彼を見つけ、そちらへ向かい走りよってくる。
迎えるように立ち上がったシアルヴィが
「先生?」
「……いや、なんでもない。」
目に見えて大きく揺らいだわけではないとはいえ、その後の彼の表情に疑問を投げかけるリーヴに、だがシアルヴィはいつもと変わらない様子で答える。
彼にとっては目眩など、普段なら信じられないことだった。
たしかに、出血があったことは事実。
だがリーヴによって与えられた傷は、彼にとってはそう深いものではなかった。
あの程度で目眩を起こすようなら、自分のこの身などとうに戦場の露と消えていることだろう。
考えられる理由を探し、思考をめぐらせていたシアルヴィにふと、先程見た太陽の位置が気にかかりはじめていた。
普段の目覚めに見る太陽とは、その色も、あるべき場所も違っていた。
それは単に一日の眠りが長かっただけなのか、あるいは――
「リーヴ……、今日は何日だ。あれから、何日経っている?」
「……」
一つの可能性を感じ、問いかけるシアルヴィに、一瞬リーヴが言葉に詰まる。
やがて意を決したように、ゆっくりと右手を挙げる。
中三本の指を立て、残り二本を手のひらへ向かい丸めて。
「……三日……!」
「……」
リーヴの沈黙がその答えを肯定していた。
シアルヴィの中で全ての理由がつながる。
長い眠りに慣れていない者がそれだけの眠りをとれば、当然身体が普段の感覚を取り戻すには時間がかかる。
太陽が高い位置にあるのも、その光があまりにまぶしく感じたのも、全ては長い闇の時間がそうさせたため――
だが、なぜそれほどまでに自分は眠っていた?
自問するシアルヴィに、夢うつつに聞いた一つの詠唱が記憶として戻ってくる。
――あれは、ジークの声だったのか?
「……リーヴ、ジークはどうした。」
もはや確信さえ感じながら、それでも問いかけたのは、否定する答えを聞きたかったからなのかもしれない。
だが返された答えは彼の予想に対し、あまりにも忠実なものだった。
ジークはヨツンヘイムへと向かっていた。リーヴに、自分を頼むと言い残して。
「……」
リーヴの答えに、シアルヴィはゆっくりと首を左右に振る。
ジークの行動が理解できないわけではなかった。
彼のことを思えば、そうなることは当然、可能性のひとつとして考えることはできた。
だが、あまりにも唐突過ぎる。
催眠魔法など、ジークは使えないはずだった。
それを使ってまで自分を足止めしようとしたのか、あるいはそれを望まずとも、自分の安息を願った彼の思いが催眠魔法として発動してしまったのか。
だが、彼がそれを使えるようになってしまったという事実はシアルヴィにさらなる混乱と、そして危機感を与えていた。
ジークが自分に対し魔法を使ったときに描かれた印。それはこの世界で一般に知られる八つの属性の、そのいずれとも一致しない紋章だった。
初めて目にしたときからその事実に気づいていながら、自分の口からそれを告げる事をしようと思わなかったのも、彼のことを思えばこそ。その事実を知っていたからこそだった。
だが、ジークはもはや気づき始めているのだろう。そしてその印を使いこなせるだけの力も持ち始めている。
かの紋章は、ただの回復の印ではない。おそらく、あの紋章こそが――
「リーヴ。」
わずかな沈黙の時をおき、シアルヴィはリーヴへと依頼していた。その馬を一頭、借り受けることを。
リーヴは理由を問うこともなく、彼の要求を受け入れる。 リーヴにとってもその理由はもはや、聞く必要もなくなっていた。
「あの人を、追うんですね。先生……、先生は、あの人のそばにいてあげてください。」
「リーヴ……」
「あの人には、先生が必要なんだと思うから……」
最初は抑えていた感情が、徐々にその言動へと現れてくる。
喉の震えが少しずつ声に伝わり、やがてそれは抑えきれない感情の叫びとなって、リーヴの口を突いて出ていた。
「あの人は……僕のこと、許すって……。 あなたを刺してしまったのに、でも僕のこと、責めるつもりなんてないって……。
僕に、死ぬ必要はないと……自分に任せて欲しいって……誰も死なせたりしないからって……!」
リーヴの言葉はそれ以上続かなかった。
うつむき、両手で顔を覆うようにして震えるその心の中には、言葉にできないいくつもの感情があふれていたのだろう。
シアルヴィもまた無言のままそれを聞いていたが、その感情の中には複雑な思いが交錯していた。
やがて、わずかばかりのときが流れ、彼は静かに切り出していた。
「約束しよう。私は、必ず彼を守り抜いてみせる。」
「……!」
リーヴが驚いたように顔を上げる。
涙をたたえた両目は、それでも真っ直ぐに相手を見据え、そしてその相手もまた、彼の目をしっかりと見据えていた。
やがて、日が天の頂を越えようとするころ、この街から一騎の騎士が西へと向かい駆けだしていた。
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