第3章 第7話 紅の城塞都市

――死神と呼ぶのなら呼べ


――戦場こそが自身の居場所


――いつか死神の鎌が自分自身を滅ぼそうというのなら

それはそれでかまわない―― !


『紅い死神』の二つ名で呼ばれるようになってからも、シアルヴィの前に屍の山が築かれなくなることはなかった。

 基本的に、彼は一人で行動していた。

 シアルヴィが侵攻戦などを任される折には、潜入もしくは奇襲により彼が中枢を破壊。

 その後本隊が攻勢をかけ、敵の拠点を無力化する、というのが大方の作戦とさえなりつつあった。


 部隊など足手まといなだけだ。自分ひとりのほうがよほど小回りが効く。

 それが、彼の持論だった。

 事実、このただ一人の剣士の前に立ちはだかろうとした者がその後、彼以外の人間を目にすることはなかった。

 自身の生命すら戦場に投げ出し、死を求めて戦場を渡り歩く『死神』の前には、生への未練を持つものなど、かなおうはずもなかったのだ。


 しかし、彼にも譲れないものはあった。

 彼が派遣されるのは常に戦闘員の入り混じる戦場や、前線の砦。

 非戦闘員は決して斬らない――それが彼の誇りでもあった。



「私を将軍に、ですか――?」

彼が皇帝に呼び出されたのは、帝国へ仕えるようになって三年が経とうとするある夜のことだった。

 そのころには帝国の領土は隣国アールヴヘイムを次々と北進し、その首都ティルナノグまでも迫ろうとする勢いだった。


「そうだ、お前の働きには目を見張るものがある。これからは将軍として私のそばで仕えてほしい。」

「お待ちください、皇帝陛下!」

答える皇帝に、横から口を挟んだのはウトガルドだった。

「その者を将軍にするなどもってのほかです。 どんなに剣の腕が優れようと、その者は一介の傭兵に過ぎない。 何処の馬の骨かもわからない者を将軍にしようなど帝国の――」

「だまれ、ウトガルド。」

さらに異を唱えようとするウトガルドを、皇帝は一蹴する。

「お前はこの三年間、何をしていた?」


 ウトガルドには返す言葉がなかった。

 部下であるシアルヴィを戦場へと放り込み、その戦歴を自身のものとしていたことなど、すでに帝国内で知らぬものはいなくなっていた。

「用が済んだのなら、立ち去るがいい。」

言う皇帝に、彼はただ頭を下げて立ち去るのみだった。


「それで、一つ頼みたいことがある。」

ウトガルドの姿が見えなくなった後、皇帝は切り出した。

「ヒミンビョルグの城塞都市を落としに行ってもらいたい。 この城塞都市さえ落とせば首都は目前だ。 だが、ここには精鋭の者たちが詰めており、その数も多いと聞く。

 私直属の部下で有能なものとその以下の部隊をつけよう。頼むぞ、必ずやり遂げてくれ。 晴れて戻ればその時こそお前に将軍の地位を与えよう。」

「――わかりました――」

深々と頭を下げ、シアルヴィは皇帝の御前を立ち去ってゆく。

 皇帝の命令は絶対であり、すべてにおいて優先される。

 それがこの帝国内での規律であり、掟だった。


「――やがて――戦争は終わるのか――」

 将軍の地位などシアルヴィにはどうでもいいことだった。

 死を求めて降り立った戦場で、ようやく見つけた自らの居場所。

 それはもうすぐに、彼の前から消えようとしていた。



 街の東西を山岳地帯に守られ、南には巨大湖を有するヒミンビョルグの城塞都市。

 本来二重の城壁に守られていたその都市は既に幾度となく帝国からの侵攻にさらされ、その外側の城壁の機能を失いながらも、いまだ屈することなくその国境を守り続けていた。

 破壊された外壁といまだ堅固な内壁。二つの壁に挟まれたその空間は大勢の兵士たちが固め、硬く閉ざされた扉は来るもの全てを拒絶しているかのように見える。

 このような都市の多くは、その城内にも大勢の兵士たちが詰めていることが多い。

 周囲から見れば、その城塞都市はいまだ内外共に守られた、兵士の集合体であるようにも見えた。



「……帝国の……『紅い死神』?」

「師団長――バルドルだな――」

自身のすぐ傍らに現れた若者に、中年というには少し若い男性は驚きを隠し切れないようだった。

「驚いたな……まさか一人でここまで来ようとは……」


 本来ならシアルヴィの赤毛は、遠目からでも容易に見分けられる。

 しかし、今彼がいるのはその男性率いる部隊の中。 目深にかぶられたローブで、その容姿のほとんどは隠されている。

 そしてその剣は背後から、男性の襟元へと当られていた。

「このまま投降しろ。この街にはまだ、非戦闘員が残っているのだろう。

 ここで投降するというのなら、彼らに危害を加えはしない。」

あたりに知られないよう、押さえた声でシアルヴィが言う。


「非戦闘員だと!  何を言う『死神』が!」

バルドルが前方へ跳び、着地と同時に相手のほうへと向かい直る。

 シアルヴィがローブを脱ぎ捨てその赤毛をあらわにする。 辺りの兵士に動揺が走る。

――『死神』……?

――『死神』だと……?


 しかし、誰も彼に斬りかかる者はいない。

 眼前の者を一人残らず斬るという『紅い死神』の噂は誰もが知るところであったし、 上官の普段見せぬ怒りに気圧けおされたのもあってか、彼らには距離を取り剣を構えたまま、二人のやり取りを見ていることしか出来なかった。


「貴様は戦闘員だけしか斬らぬことを自信にしているようだが、そんなことは何も関係ない!  戦闘員に遺された家族のことを考えたことがあるか!  全て非戦闘員だ!

 貴様は現実から逃げているだけだ!  戦闘員にも家族がいるという現実にな!」

「黙れ――」

「残された家族の絶望と怒りを! その中で死んでいくものが多いことを!  貴様は何も分かってはいない!

 貴様は『死神』だ!  自身の殺戮欲を満たすためだけに、あまたの人間を死に追いやる!  『紅い死―――」

「――黙れ!」

最後の言葉を遮るように、シアルヴィは剣を一閃する。

 バルドルの胸から噴き出された大量の飛沫が彼の身体を真紅に染める。

 それが、合図だった。


 雄叫びを上げ、瓦礫と化した外壁の影より迫る帝国部隊。頭を失い統率を失った守護部隊。

 その力の差は考えるまでもなかった。

「や、やめろ!」

シアルヴィが声を上げる。

「やめろ、お前たち! 止まれ!」

しかし戦場の雑踏にかき消されたその声は、帝国兵たちに届きはしなかった。


――彼は気付いていないわけではなかった。考えていないわけでもなかった。

 ただ、目を背けていたのだ。

――自身の斬った者の背後にいる非戦闘員の存在に。そして彼らに遺されるであろう苦痛と絶望に。

 彼にはそれが認められなかった。認めることができなかったのだ。



 なだれ込んだ帝国部隊により守護部隊は瞬く間に殲滅せんめつ

 逃げ惑う敗残兵たちにも容赦なく剣の制裁は下され、彼らの守ろうとした扉は、もはや抵抗なく開け放たれる。

 扉の奥に見えるのは住宅街。女子供や老人など非戦闘員ばかりだった。

 帝国師団長の命令が下る。

 その内側への侵攻――すべての『敵国住民』の殲滅――


「――!」

声にならない叫びを上げ、シアルヴィが駆ける。帝国兵へ向かって。

 その一閃のもと、数人の帝国兵が瞬く間に斬り倒される。 響く帝国兵の悲鳴。 突然の『死神』の反逆。

 混乱と恐怖の中、自分たちに下された命令を果たすこともないまま、兵たちはなすすべなくその数を減じていった。

――私の――戦ってきた理由は――!

その瞬間、彼は戦う目的を完全に失っていた。



 やがて日が西の大地へ姿を隠し、夕闇に染まる城塞都市の前、シアルヴィはただ一人立ちつくしていた。

 城壁内の住民たちは既に消え去り、彼の足元には敵も味方もない無数の屍がただ横たわっていた。


「帰ろう――帝国へ――」

真紅に染まったその身を、さらに紅く染めようとする太陽を憎しみの目で見つめ、シアルヴィはゆっくりと歩き出した。

「私にはもう――戦う理由がない――」


 偽りの価値観も、戦いの意味も――すべてが崩壊した瞬間だった。

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