第1章 第3話 王と子と

 水面を蹴る音がする。暗闇の中に足音が響く。

 天窓から漏れる月明かりを頼りにジークは王宮へと急いでいた。

 水を含んだマントがずっしりと重い。

 急がねばならない。嫌な予感がする。


「くそっ!」

足にまとわりついてくるそれに業を煮やしてか、彼はマントを脱ぎ捨てる。

 現在、現在、彼のいでたちは礼服のような青い衣服に緑のマント。この国の騎士としての正装である。

 騎士と判れば王宮にも入れるかもしれない、そう思っての正装であったが、それも全く無意味だった。

 今、王宮には戒厳令が敷かれていた。一般騎士はもとより、王宮騎士でさえ入れようとしない厳重な体制がそこにはあった。

 ましてジークの身分は自由騎士――騎士でありながら決まった主を持たない者。

 王に仕えるわけでもなく、地位も低い彼が戒厳の城内にすんなりと入ることができるわけはなかった。


 今、彼が居るのも正規の進入経路ではない。

 王宮へと水を引く水道橋。その中を彼はひた走っていた。


 やがて彼はふと足を止める。目指す場所は近いようだ。

 階段を見上げる彼の目に、錆に彩られた扉が映る。

 ようやくたどり着いた終点。彼は地上への階段を一気に駆け上がっていく。


 重い音をたてて扉が開く。階上から漏れる光が長く伸びた階段を照らす。

「なんだ、この感じは……」

階上より流れ来る感覚に、ジークは思わず足を止めた。


 無人の雰囲気ではない。誰か居るのだ。それも一人や二人ではない。

 しかも生者ではないような、奇妙な雰囲気があたりを支配している。

 その雰囲気にどこか危機感を覚えながらも彼は階上と急いだ。友の元へ。



 明るい照明が照らす白い壁の下、赤い絨毯に彩られたロビーが広がる。

 アーサーはそこに座り、一人の女性の手を握り締めていた。

 うつ伏せに倒れ、顔をこちらに向けた女性。その両目は固く閉じられ、頬は色を失っている。


 既に冷たくなったその手を握り締めながら、アーサーはただうつむいていた。

 できることならこのまま、いつまでもそうしていたいとさえ感じていた。


 そして、どれほどの時が流れたのだろう。

 すぐそばに人の気配を感じ、アーサーはふと顔を上げた。

「ジーク……」

アーサーの呼ぶ声に、ジークは答えなかった。その目を閉じ、静かに黙祷をささげている。

 ジークにとってもこの女性はよく知った相手だった。

 アーサーとともに王宮を追われ、修道院に身を置いていたはずの女性。王女ディアドラ。アーサーの実姉だった。


「ジーク、来てくれたんだな。」

ジークが顔を上げるのを待って、嬉しさと困惑が合わさったような、どこか複雑な表情でアーサーが言う。

「でも、ここから先は俺一人に任せてくれ。

 これは俺たち家族の問題なんだ。だから、な。」

「……ああ。」

一瞬の沈黙の後、ジークは言った。

 本来ならついて行こうと考えていた。

 そのために来たのであるし、なにより、先ほどからの奇妙な感覚はまだそこにあり続けている。

「でも、何かあったら呼べ。すぐに行くから。」

そう伝えたジークに友は振り返り、彼へとわずかな笑みを向けた。

 信頼しきった友にのみ見せるその笑顔が少しばかり、ジークの不安を和らげる。


 だが、もしジークが友の姉の最後の言葉を聞いていたら、彼は、どんなことをしてでも友を止めようとしただろう。

 姉はこう伝えていたのだ。

 王はミッドガルドへの侵攻を開始しようとしている。 そのために必要なのは両世界の間をつなぐ扉の鍵。

 その鍵こそ自分たち姉弟、王の血を継ぐもの。王が自分たちを呼んだのも扉の鍵として利用するため。


 姉は、王の狂った父親ぶりを伝え、そして最後にこう告げていた。

「アーサー、貴方は生きて。それが私の最後の……」


 紡ぐことのできなかった最後の言葉。アーサーにもその意味はわかっていた。

 だがそう言われて引き下がられようはずは無い。

 姉の死を目の前にし、それが実父の策略のためだいうのなら、引き下がることなどできなかった。

 それが王の手の上で踊ることになると知ってはいても。



「くそ親父!!」

アーサーの叫びが響き渡る。

 玉座の間からさらに奥の部屋への扉。 金細工で飾られたその扉の奥には異様な空間が広がっていた。


 漆黒に塗られた壁。部屋の中央にある巨大な闇色の球体、それが鎮座する同色の絨毯。

 その周囲には深い堀が張り巡らされ、かろうじて人一人がようやく通れるような通路が、漆黒の球体の鎮座する円形の床へと向かって伸びる。

 球体の周囲には三つの影が、さも球体を崇めるようにしてその周囲を取り囲んでいる。


 アーサーの声に気付いてか、球体の周囲にいた三人のうち左端の一人がこちらへと振り向く。

 体つきは人間のものに近いが、その顔は竜そのものである。

「来たぜ。」

「どうするんだ、姉と同じ目にあわせてやるのか。」

「おい、王さんよ。」

ほかの二人が相手にしないにもかかわらず、一人で勝手にしゃべりたてる。


「いいかげんにしろ、ファフナー。」

だが、騒ぎ立てる竜人に対し、答えたのは王ではなかった。王を挟んで反対側、黒いローブの男である。

 その全身はローブに包まれ、表情はもとより、それがどのような種族であるのかさえ、うかがい知ることはできない。


「だが、弟まで来てくれたのは好都合。 これで扉も完全に開こうというものです。」

ローブの男の言葉が終わると同時に、後ろ姿の王の右手が光る。

 王が振り向きざま放つ魔法の光が、アーサーの周囲をなぎ払う。閃光があたりを包み、爆煙が広がる。


 やがて、爆煙が収まったとき、そこにアーサーの姿は無かった。

 だが、アーサーが消えたことに歓喜の声をあげる竜人に対し、王とローブの男は無口なままである。

 そして、二人の沈黙の理由を肯定するように、彼らの目の前をふわりと白い羽根が舞い、やがてその視線の先に、一人の若者の姿が映った。


 そこにいたのは、銀色の髪の青年だった。

 その背に白い翼を生やし、その腕にアーサーを抱えるようにして、統治者たちをにらみつける。

翼を隠す者ウィングド・ハイドか……!」

ローブの男が吐き捨てるように言う。

 その背の翼を意のままに操り、空を駆け、素早さを身上とする彼らの種族にとって、これくらいは出来ないことではなかった。

 それでも、あらかじめこうなることを予想していない限りは不可能だっただろう。

 つまり、ジークは予見していたのだ。

 統治者たちはアーサーを利用しようとし、あまつさえその命までも、奪い去ろうとしているであろうことを。


「ジーク……!」

一時的な失神から回復したのか、アーサーが顔を上げ、ジークを見上げる。

 ジークが腕から友を開放し、その背中から翼が消える。


 統治者たちからすれば面白いはずが無い。

「おいっ、なんとかしやがれ!」

騒ぎ立てる竜人に対し、無言のままローブの男の右手が上がる。



「――逃げるぞ!」

その様子を目にしたジークはとっさに友の手を引き、扉の外へと駆け出していた。


 何故かはわからない。

 だが来る時に感じた奇妙な感覚。それが今はっきりと感じ取られた。あの男が右手を上げた瞬間に。

 ここに居てはいけない。その一念が彼を突き動かしていた。

 事実、今、ローブの男の背後には闇がわだかまり、やがていくつもの人型を成していった。 人ではない、人の形を持つ何かを。



 やがて、アーサーの手によって王宮の大扉が開かれる。

 その先には月光に照らされ、手入れの行き届いた庭が広がる、はずであった。普段ならば。


 今、そこにはただ、闇があった。

 どこまでも続くような闇から時折光る球体が飛んできては、彼らのすぐ脇を通り、城へと飛び込み、そして消える。


「なんだ、これは……」

声を上げたのはアーサーだった。無理も無い。

 人間からすれば異形の者の闊歩するこの世界にあっても、かようなものなど本来はありえないものだ。

 逃げようとするその先の異常な事態に、アーサーが怯えた様子で一歩下がる。

 だが、後には引けない。既に追っ手は放たれている。


 追っ手が迫る。迷っている暇は無い。

「アーサー、来い!」

友の手を掴むとジークはその身を闇の中へと躍らせていた。

 ただ果てしなく続く、闇の中へ――

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