第1章 第1話 予兆
平和な朝は突然終わりを告げる。 彼の家の扉は今、破られんばかりに大きな音を立てていた。
決して珍しいことではなかった。
そう、あの日からは。
この家の住民だろう。そこには一人の青年がいた。
長く伸ばされた銀髪、青い瞳。 年恰好は、人間であるならば成人間近の若者といったところだろう。
だが、一見人間と変わらぬ容姿を持つ若者の、その長く尖った耳が、彼が人間であることを否定している。
鳴り続ける扉を尻目に小さく息を吐いてから座っていた椅子を静かに押しやり、彼は扉へと視線を向けた。
開かれた扉の先には見知った顔があった。
しかしその出で立ちは、けっして歓迎するべきものではない。
抜き身の剣をぶら下げ、レザーアーマーに身を包んだその姿は、平和な朝の訪問者というにはかけ離れている。 実際、来訪者が扉を壊さんとすること自体、平和などではないことは明らかなのだが。
銀髪の青年は極めて落ち着いた口調で、しかし必要最低限の威嚇をこめて言い放った。
「侵攻を決めたのは王だ。アーサーは関係ないだろう!」
既に何度この言葉を口にしたかわからない。
毎朝のように訪れる来訪者たち。その目的は皆揃って、判で押したようにまったく同じであったのだから。
そして、それに返すこの青年の言葉もまた同じものであることが多い。
「関係大有りだ!そいつは王の息子じゃないか!」
言うべき言葉を見透かされたことが気に障ったのか、青年が次の言葉を言うより早く、来訪者はその剣を振り上げていた。
ぬめるような光沢がその姿を異形のもののように映し出す。
一瞬の金属音が響き、金属片と化した剣先が床へと転がる。
振り下ろされた来訪者の剣は、青年に届くより先に、その長さを半分ほどに減じられていた。
そして来訪者の首元には今、鋭い剣の切っ先が突きつけられている。
自分の繰り出した剣は標的の剣によって折られ、さらにはその標的が自分の命を脅かしている。
「去れ!お前と戦うつもりはない!」
先ほどよりもさらに威圧を込めた青年の声。
もはや来訪者にはこのままここに居続ける道理はなかった。
折れた剣先を拾い上げると振り返ろうともせず、彼はそのまま姿を消した。
ようやく取り戻されたつかの間の平和。
青年は剣を鞘へと収めながら、ゆっくりと先ほどの位置へと身を落ち着ける。
本来、彼は人を殺めることは好きではなかった。
その剣技を買われ、騎士としての称号を手に入れても、彼はその力を攻めの為に使おうとすることはなかった。
ただ大切なものを傷つけさせないために、失いたくないがために、その力は身につけられたものだった。
静かに奥の扉が開き、一人の青年が姿を見せる。
栗色の髪に緑色の目。年恰好なら先の青年よりもいくらか年上といったくらい。
耳も尖っておらず、その容姿はまったく人間のものと変わらないように見えた。
「アーサー、起きてたのか。」
銀髪の青年が声をかける。 アーサーと呼ばれた青年は静かに頷いてみせる。
毎朝のように来訪者たちがこの家を訪れ、その存在を奪おうとする人物こそ、この青年だった。
かつてその父である王の手によって追放され、この町に身を落ち着けていた青年の運命を変えたのは、先日王宮より出されたひとつのふれがきだった。
――王の息子 アーサーを城へと献上せよ
従わぬ場合 武力を持ってこの町を制圧するものとする――
そしてその日からアーサーは、仲間であったはずの者達から、言葉の、剣の標的とされることとなった。
親友というべき銀髪の青年はただ一人、彼の前に立ちはだかり、その盾となってきたが、それでも先日、多くの数をもってアーサーを囲んだ者達の前には、その存在を守り切ることはできず、アーサーの衣服の下には今も、包帯の巻かれた傷が残されている。
そしてその傷は彼とアーサー、双方に自らの落ち度として感じられていた。
「すまない、ジーク。いつもお前にばかり……」
「気にするな。お前のことは俺が守る。
だから何も気にせず、お前はもう休んでいろ。」
詫びを述べるアーサーに、ジークと呼ばれた青年は優しく返す。
その言葉はいたわりの言葉であったのか、友を守りきれず傷つけてしまった自分自身への自責の念であったのか。
しかし、そう言われて休んでいられようはずがあろうか。
数え切れないほどの来訪者、その原因が自分自身にあると思えば。
再び入り口の扉が、今度は音もなく開く。
慌てて振り向くジークとアーサーの視線の先、そこには一人の男がいた。
黒いローブに全身を覆い、その表情はまったく読み取ることができない。
しかし好意的な人物ではありえないような、なんとも言えぬ気味の悪さがその全身を包んでいた。
「何者だ。用があるのは俺か、アーサーか!」
その気味の悪さに危機感を覚えたのか、ジークは先ほどよりも明らかに威嚇をこめた口調で話し掛けていた。
しかし彼の威嚇をどう受け取ったのか、来訪者はまったく感情を見せぬまま、言葉を紡ぐことも無いまま、一枚の手紙だけを残して去っていった。
――選ぶがよい
貴公の登城か、この町の襲撃か――
王子に当てたとは思えない乱暴な言葉で、手紙にはただその一文が記されていた。
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