第33話 すれ違い

「エレノア様!! ご無事で良かった!!」


 イザークに抱えられたまま、カーメレン公爵家に着くと、エマが泣きながら迎えた。


「エマ、心配かけてごめんね」

「二度と一人でどこかに行かないでくださいね!」


 護衛も連れて行ったんだけどな、という気持ちは口にせず、エレノアはひたすらエマに謝罪した。


「……私も心臓が止まるかと思ったんだが」


 いつもは甘いイザークの表情が、今は怒っているようだった。いつもと違う空気に、エレノアも震える。


「イザーク様……」

「エマ、下がれ」


 何か言おうとしたエマに、イザークは厳しく言い放つ。いつものじゃれ合った二人の空気は一切、無い。まさに主人とメイド。実際そうなのだが、今までそんな空気は一切無かった。


 エマはぐっと口を噤むと、お辞儀をして部屋を出て行った。


(ザーク様……?)


 味わったことの無い空気に、エレノアが息を呑む。


「俺は……君に自由でいて欲しいから、望むなら離婚にも応じると言った」


 冷たい瞳のイザークがエレノアを捕らえて、エレノアは一歩も動けない。


「でも、君がバーンズ侯爵家に連れて行かれたと聞いて、心臓が止まる思いだった。こんな思いをするくらいなら、君を閉じ込めておいた方が良い」

「本気で……言っているんですか……?」


 いつもエレノアの気持ちを優先してくれているイザークから、信じられないような言葉が出て、エレノアは傷付いた。


「ああ。離婚もしないし、君をこの屋敷から一歩も外に出させない」

「ザーク様……!!」

「君は、俺と離婚したいのか?!」


 イザークは本気で心配してくれたのだろう。悲痛な彼の声がエレノアには痛い。


(でも、そんな言い方、ザーク様らしくないよ!! それに、私はザーク様に愛してもらえる権利なんてない)


「私は、オーガスト様の任務が終わられたら、ここを出て行こうと思っています」

「ダメだっっ!!」


 エレノアの言った言葉に、イザークが拒否を示すと、彼はエレノアの身体をぐい、と引き寄せてキスをした。


「んむ……う」

「愛している、エレノア。愛しているんだ」


 唇を離し、懇願するかのようにエレノアの瞳を覗き込んだイザークは、再びエレノアの唇を塞いだ。


(力、強い……抵抗出来ない……怖い……)


 騎士の力にエレノアが適うわけもなく、抵抗虚しく、エレノアは無理矢理キスされる形になっていた。


(こんなの、違う。嫌だよ……)


 初めてキスをした桃の甘い香りの思い出が蘇る。今はただ無機質な無理矢理のキス。


 エレノアは悲しくなってボロボロと泣き出してしまった。


「エレノア?!」


 驚いたイザークが顔を離す。エレノアは涙が止まらず、ひたすら泣きじゃくる。


 エレノアの肩を抱き、ぐっと辛い表情を見せたイザークは、エレノアから手を離した。


「すまない……。二度と君を泣かせないと言ったのに。俺が君を泣かせてしまった」


 ふるふると首を横に振るも、エレノアは涙が止まらない。 


「エレノア、二年ぶりに魔物の大掛かりな討伐が決まった」

「え……」


 イザークの突然の言葉に、エレノアは涙を流しながらも顔を上げる。


「必ず戻って来る。だからそれまでは離婚を待って欲しい」


 エレノアの涙を拭おうとイザークが手を伸ばすと、エレノアはびくりと身体を震わせてしまった。


「あ……」

「……君が待っていてくれると思うと、頑張れる。良いかな?」

「はい……」


 エレノアが弁解しようとするも、イザークは困ったように微笑んで、伸ばした手を引っ込めた。優しく語りかけるイザークに、エレノアも返事をするしか出来なかった。


(二年前の魔物討伐も、騎士団の被害は凄まじかった。……ザーク様……)


「すまない、今だけ……」


 遠慮がちにエレノアの左手を取ったイザークは、エレノアの薬指にするりと何かを通した。


「ミモザの形の指輪……?」


 ミモザに象られた銀色の指輪には、中央に空色の宝石が埋まっている。サファイアだ。


「俺が帰ってくるまでで良い。どうか付けていてくれないか?」


 懇願するイザークの表情は何度も見てきた。でも、今は本当に彼が泣き出してしまいそうで。


「はい」

「……ありがとう」


 エレノアの返事に、彼はホッとしたような笑顔でお礼を言った。


 そして、エレノアをしばらく見つめたあと、静かに部屋を退出して行った。


 エレノアは何も言えず、ただイザークを見送った。


 

 その日の夜、エレノアは飴を作っていた。


 カーメレン公爵家のキッチンから苺を一粒だけ譲ってもらい、水魔法と聖女の力を使い、飴を精製していく。


(せめて、これだけでも……)


 聖女の力を込めた飴を苺にくるくると付着させていくと、心配そうな顔でエマがキッチンまでやって来た。


「エレノア様、魔物討伐のこと聞きました……」

「うん。それでね、エマ、この飴を明日の朝、ザーク様に渡してくれないかな?」


 今日の夕食はイザークとは別々だった。


 イザークが気まずいのを気を利かせてくれたのだろう。実際、どんな顔をして会えば良いかわからないエレノアは助かった。


(やっとザーク様が帰って来られての夕食なのに、私何やってるんだろう……)


「エレノア様がお渡しされた方がイザーク様も喜びますわ」


 エマが眉を下げてエレノアに言うも、エレノアも困ってしまう。


「私、ザーク様に酷い態度を取ってしまって……合わせる顔がないから、エマにお願いしていい?」

「それはイザーク様が百パーセント悪いからじゃないですか?」

「エマったら……」


 いつもの調子のエマに、エレノアもつい笑みがこぼれた。


「ザーク様は帰って来るって言った。その時、私たちは離婚の話を進める。だから、今は会わない方が良い……」

「エレノア様……」


 エレノアの言葉にエマは何も言わなくなった。


 翌日の早朝、エレノアの飴を受け取ったイザークは、騎士団を率いて魔物討伐へと出掛けて行った。

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