第23話 飴よりも甘い
「あ、あの……私も帰りますね」
何故か怖い表情のイザークと取り残されてしまったエレノアは、シン、と静まり返る執務室にいたたまれなくなって、帰ることを決めた。
ドアに向かおうと踵を返すと、イザークに手を掴まれてしまった。
「ザーク、様?」
恐る恐る振り返れば、イザークが怖い顔をしていた。
(私、何か悪いことしちゃった?)
見たことのないイザークの表情に、エレノアは泣き出したい気持ちになった。
「エレノア、何故サミュは君を名前で呼んでいる?」
「ええと、私がそう呼んで欲しいと言ったからです」
問い詰めるように掴んだ手を引き寄せ、イザークが距離を詰める。
「君の手の甲にもキスを?」
いつも距離が近い時は、甘く微笑むイザークなのに、今は怒っているようで怖い。
「ご、ごめんなさい……」
わけも分からず、エレノアはつい謝ってしまった。
(忙しい時に押しかけて、仮の妻なのに目立ってしまって、ザーク様を怒らせてしまったんだ!)
ぎゅっ、と目をつぶり、震えるエレノアの鼻に、ミモザの香りが掠めた。
「ザーク様?」
気付けばエレノアは、イザークに抱き締められていた。
「さっきエマに言われたばかりなのに、怖がらせてすまない」
声色から、いつものイザークに戻ったとわかり、エレノアはホッとする。
「いえ、私がお仕事の邪魔をしてしまったから。すみません」
「違う、そうじゃない」
抱き締められていた身体が離され、イザークの顔がエレノアのすぐ近くまで来た。
「その……サミュに嫉妬してしまったようだ」
「しっ……と……?」
突然のイザークの告白に、エレノアは目を瞬いた。
(嫉妬? 嫉妬って、あの嫉妬?)
「エレノア、早くこの飴が食べたい」
まだ目を瞬いていたエレノアに、イザークは持っていたもも飴にそっと手を添えると、熱い眼差しでこちらを見てきた。
「ああ、はい……。どうぞ……」
近い距離と、嫉妬、という聞き慣れない言葉にドギマギしながらもエレノアがイザークに飴を差し出すも、彼はエレノアの身体を捕らえたまま、受け取ろうとしない。
「ザーク様?」
首を傾けてイザークを見れば、彼は口を開けて待っている。
「!」
即座に、「あーん」をねだられているのだと理解したエレノアは、顔が熱くなる。
(こ、この人はっ……! どうしてこんな甘えたなの!!)
イザークは譲る気も無いらしく、エレノアをしっかりと掴んで離さない。
(も、もう!!)
観念したエレノアは、飴を袋から取り出し、イザークの口元まで運ぶ。
嬉しそうに目を細めたイザークは、差し出された飴をかじった。
パリッ、とした音が静かな執務室に響いたかと思うと、桃の果実がじわりとイザークの口に広がるのがわかった。
イザークから滴り落ちた果汁がエレノアの手の甲にぽたりと垂れたからだ。
イザークは舌なめずりすると、エレノアに視線を移した。
(うっ、顔が良いから何だか色っぽい!)
その仕草に心臓がうるさく早鐘を打っている。エレノアがイザークに見惚れていると、彼はエレノアの手を取り、果汁が落ちた甲をペロリと舐めた。
(!!!! またこの人は!!)
突然のことに、エレノアの心臓がパンクしそうだ。
「エレノアの甘さを味わって良いのは俺だけだよ?」
「だから、甘いのは、手に果汁が付いているからですね!!」
エレノアの手を取り、上目遣いでこちらを見るイザークに、エレノアはまた突っ込んでしまった。
真っ赤になって突っ込むエレノアに、イザークは口元を緩ませる。
「ごめん。さっきも言ったけど、エレノアに他の男が触ったなんて耐えられなくて、意地悪をした」
どうやら果汁を滴り落とした一連の流れがわざとだったらしい。
イザークは再びエレノアの手の甲にキスを落とすと、甘く囁いた。
「俺はどうやら独占欲が強いらしい」
「か、仮の妻なのに?!」
そんな甘い言葉に耐えられなくなり、エレノアはまた突っ込んでしまった。
するとイザークの手は、エレノアの頬に伸び、イザークの真剣な瞳が至近距離に来た。
「エレノア……、俺の気持ち、本当にわからない?」
「ザーク様の気持ち……?」
ここまでの一連の流れの中で、エレノアももしかして、とは思った。でもまさか、と打ち消したことだった。
(ザーク様は、私のことが本当に好きってこと……? まさか……そんな?)
アイザークの熱い視線が絡み、逸らすことが叶わない。ドキドキながらも、少しの期待に顔が熱い。
「エレノア……」
アイザークの大きな掌が、エレノアの頬を滑り落ちていくのがわかる。そのくすぐったさに、エレノアは思わず目を瞑る。
『いいですか、エレノア様! 今度そんなことがあったら、しばらくは目を開けてはいけませんよ?』
この前のエマの言葉が頭をよぎる。
エレノアはぎゅう、と目を瞑る。
一瞬の間、桃の甘い香りがふわり、と鼻を掠めたかと思うと、その甘さは唇へと移った。
キスされているのだと気付いた瞬間には、その甘さは唇から舌へと移り、エレノアは初めてのことに熱が頭までのぼり、何も考えられなかった。
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