第12話 旦那様の思いやり

「あの、エマ? 仮の妻にこんなにドレスはいらないと思うのだけど?」


 ざっと見るに数十着はあるドレスに、エレノアは目眩を覚えた。


 教会にいた頃は、聖女用の白い布とも言えるボロボロの服を来ていた。果実屋では女将のお下がりのワンピースを自分用のサイズに直して着ていた。今もそれである。


(こんなに綺麗なドレス、上位の聖女が着ていたのしか見たことがない……)


 エレノアは、その綺羅びやかさに、目を何度も瞬いた。


「エレノア様は一応、公爵家に嫁いで来られた方。しかも騎士団長の妻ですもの。装いはそれなりになさらないと!」

「はあ……」


(あ、全然ラッキーじゃなかった。仮とはいえ、お貴族様の妻になるって大変なんだな)


 エマの言葉にエレノアは思わず無になった。


「でも、私なんかが来ても似合わないよ……エマの方が似合うんじゃないかな?」


 美人なエマと自分を見比べてエレノアは落胆する。


(それに、こんな汚いのに……)


 エレノアは自分のボロボロの手を見つめた。


 前の冬は聖水作りで閉じ込められていた。今までに無いくらいの寒さを記録したほどの冬は、風邪が流行し、多くの国民の命を奪っていった。


 エレノアの大切な人が亡くなった、と聞かされたのは、そんな冬の終わりだった。


 その冬は特に忙しく、寝る暇も無いほどに聖水作りに励んでいた。エレノアはそれが国民や大切な人のためになると信じていた。乾燥でボロボロになった手は、未だにあかぎれが残り、汚いまま。


「エレノア様?」


 考え込むエレノアをエマがドレッサーの前まで手を引いて、椅子に座らせた。


 そのドレッサーにはよく見える位置に、ハンドクリームが置いてあった。


「いちごの香り……?」


 エレノアは吸い込まれるようにそのハンドクリームを手に取った。


 蓋を開けて鼻を近づければ、甘酸っぱい香りが抜けていく。


(ふふ、私の作るいちご飴みたい)


 エレノアは思わず顔を綻ばせた。


「それだけはイザーク様が選ばれたのですよ」

「え?!」

「ドレスやアクセサリーは私に一任なされました。ハンドクリームは、イザーク様が街で買って来られたのですよ」


 ふふふ、と嬉しそうに教えてくれたエマに、エレノアはつい、ハンドクリームを買うイザークを想像して、笑った。


(果実飴の時も思ったけど、凄く似つかわしくないわね!)


「エレノア様を思って選ばれたのだと思いますよ」


 笑いを浮かべるエレノアに、エマは鏡越しに顔を見て言った。


「ザーク様との出会いはいちご飴で……」

「はい!」


 エレノアが思い当たったことを何気なく口にすれば、エマは嬉しそうに返事をした。


 その意味にエレノアは顔を赤く染める。


(私との出会いの想い出を大切にして?! いや、それは私の考えすぎよ。単に、いちご飴の印象があっただけで……)


 一人であわあわするエレノアの姿に、エマは聞こえない小さな声で呟いた。


「はあ、イザーク様ももっと押さないと、先が長いわね」

「何て言ったの?」

「いいえ、そのハンドクリーム付けてみては? と」

「そうね!」


 エマの呟きが聞こえなかったエレノアは、嬉しそうにハンドクリームを手に落とす。


 指先でクリームを伸ばしていけば、いちごの甘酸っぱい香りが立ち上る。


 指先についたいちごの香りに、エレノアは再び飴屋での出来事が思い出されて、顔を赤くした。


「あら」


 そんなエレノアに、エマは何故か嬉しそうに微笑むのだった。


(私、いつの間にかザーク様を意識してない? 仮の妻なのに、調子に乗り過ぎよ!)


 ドキドキする胸を押さえるように、エレノアは自分の気持ちを抑え込む。それなのに、思い浮かぶのは、イザークの優しい眼差しで困ってしまった。


(はあ、私、ザーク様のあの距離感で離婚までやっていけるのかしら)


「じゃあ、お着替えしましょうか!」


 ドレッサーの前で、ああだこうだと考えていれば、エマはいつの間にかドレッサーからドレスを一着選んできていた。


 晴れた日の空のように鮮やかなスカイブルーのドレスは、刺繍とレースがふんだんにあしらわれ、所々パールが散りばめられている。


「綺麗な青……」

「はい!」


 眩いドレスに素直な感想を述べれば、エマは嬉しそうに元気よく返事をした。


(クールビューティーだと思っていたけど、エマって思いのほか話しやすいのよね)


 エマが何度もエレノアに嬉しそうな顔を見せるので、エレノアはすっかり彼女に心を許していた。


「アイザーク様の瞳の色と一緒ですもの!」

「?」


 言われればそうだが、思ってもみなかったことを言われ、エレノアはハテナマークを頭に浮かべた。


「夫婦として本邸での初めての夕食ですもの! イザーク様の妻であることを改めてアピールしましょう!」


(身内相手にアピールも何も、する必要ないのでは?!)


 エレノアは口に出して言いたかったが、嬉しそうに、半ば強引に進めるエマに何も言えなくなってしまった。そして、何故それがアピールになるのかもわからないままだった。


「さあ、エレノア様! きっとこの色はお似合いになりますよ!」

 

 張り切るこの有能な侍女により、エレノアはあっという間にドレスアップされていくのだった。

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