時空超常奇譚3其ノ四. EDITOR/未来は誰のものか

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚3其ノ四. EDITOR/未来は誰のものか

EDITOR改竄者/未来は誰のものか

 未来は誰のものだろうか。その答えを出すのは難しいが、いつの日かタイムマシンを操る事が出来る夢のような時代が到来した時、きっと人々は皆個人の欲求と良心に従って、理想の未来を求めるに違いない。

 理想の未来を手に入れる事自体は案外簡単な事だ。時を自由に行き来出来るタイムスリッパーに、都合の悪い歴史上の登場人物を何とかしてもらえば良いのだ。そんなちょっとしたエッセンスを加えるだけで、歴史は理想に向かて大きく変化していく。

 そこに何の問題もないのかと言えば、実は数えればキリがない程ある。そもそも論として、タイムスリッパーがいない。生まれながらに時空間を操作出来る力を持った人間が存在しないのだ。未来へ一方向にのみ進んで行くこの時空間世界で時を自由に行き来するなど不可能なのは当然と言えば当然で、そんな人間がその辺にゴロゴロいる筈もない。

 仮にいたとしても、次の問題が出て来る。それは、第一に彼の居場所がわからない、第二に彼が理想の未来に興味があるとは限らないのだ。興味があるかどうかわからない彼をどうやって探し出して、如何にして理解を得て依頼を受けてもらうのか。ちょっと考えただけでも、それが如何に高いハードルなのかがわかる。

 しかし、理想の未来を手に入れる事の最大の問題はそこではない。まぁ、この際だからバーゲンセールで百万歩譲ってそんな特異な人間がそこにいて依頼が出来たとしても、更に根本的で如何ともし難い難題があるのだ。

 西暦2590年。机の上に無造作に置きっぱなしになった年代物の電話装置から青い髪の男のホログラムが出た途端、叫び捲る声が響き渡った。

「おぉい、リキ。起きとるか?おぉい、おぉい、リキ、リキ、リキ、リキ、リキ」

 リキと呼ばれている赤い髪の男が迷惑そうに叫んだ。

「煩い、煩い、煩い。何時だと思ってるんだよ、夜中の3時じゃないかよ」

 時計の針は午前3時を指している。

「リキよぅ、いい加減にその中途半端なバイオロイドやめたらどやねん?」

「何でだよ、人は元々昼間に活動して夜は就寝。それが当たり前なんだぞ」

「お前な、いつの話をしてんねん。もうすぐ26世紀の今、バイオロイドなんてどこにもおらんし、今時夜に寝てるヤツなんてどこの世界におんねんや?」

 西暦2550年、世界医療革命によってクローンテクノロジーは驚異的進化を遂げた。世界中の殆どの人々は、ゲノム編集と自己臓器の培養によって病気一般を克服するに至り、更に身体の部位を金属と有機プラスチックに替える代替システムが確立すると、人々は挙って生身の身体を放棄して時代の先端たるバイオロボットとなった。

 人々は我先にと自らの身体をバイオロボットに変えた。まず、脳以外の身体部位をいつでも代替出来るクローン臓器化してバイオロイドとなり、次に好みの部分を機械化する事でヒトはバイオロボットへと変身するのだ。

 ヒトをロボット化する最終段階では、更に身体だけでなく脳をデジタル化する事で完全なるロボットとなる事が可能だ。しかし、人々はヒトとして生まれたプライドとレゾンデートルとを以って、ヒトに似せて造られる機械のロボットとは一線を画し、脳以外を機械化するバイオロボットの段階で満足した。脳だけは生身の人間であった時代と何ら変化していない。

 この世界の現状において、脳をもデジタル化して完全にロボット化するケースは殆ど見られない。街には、バイオロボットとなった老若男女、即ち造り物の絶世の美男美女や独特の姿をした人々が溢れ返っている。それは、かつて人類が夢にまで見て来た不老不死の姿とは多少の違いはあるものの、そこそこ実現された夢の世界と言えるのかも知れない。

 そして、バイオロボット化するとともに脳への栄養サプリメントを摂取する事によって、人々は不老不死だけではなく睡眠を要せずに活動出来る身体を手に入れるに至った。今や、眠るという事は原始の姿に戻る愚かな行為と同義語と見做されている。

 深夜3時の窓の外は、街の灯りや空中を飛ぶ車両のライトで昼間と見紛うばかりの賑わいを見せている。

「煩いな、俺は死んでもバイオロボットになんかならないよ。それより用は何だ?」

 リキと呼ばれるバイオロイドが不満そうに訊いた。

「仕事に決まっとるやろ。オレが仕事以外でお前に連絡するかいな。次のターゲットが決まったんや」

「ターゲット?またかよ。オレは、人類の歴史調査研究者であって、歴史改竄屋じゃないし殺し屋でもないんだぞ」

「そんなん、わかっとるよ。そやけど、お前の会社にとってもオレの会社にとっても毎回のお仕事は、悪い話やないやんか?」

 歴史ターゲットへの各種対応、即ち歴史上の人物に対する存在操作の依頼を引き受ける株式会社フューチャードリーム代表取締役社長アルドル・高島は、実務を生業とする歴史調査研究センター所長リベルタ・力石へ、人類の歴史の改竄、ではなく歴史調査の依頼を行っている。

「まぁ、エエやんか。深く考えても仕方ないがな」

「それは、そうだけどな……」

 株式会社フューチャードリームのTVCM「アナタの理想の未来、実現します」のキャッチコピーに引っ掛かった金持ちが、「歴史を思い通りに変える」という悪趣味に、金に糸目をつけずに依頼して来る。それを、歴史調査研究センターに丸投げするのだ。それで全ては解決する。

 至極単純なビジネスモデルだし、報酬はとんでもない額だ。割りの良い話であるのは間違いないのだが、だからと言って歴史をホイホイと変えて本当にいいのか。葛藤は常にある。

「この前、ターゲットの織田信長を本能寺で殺ったよな。あれのせいで、足軽が天下盗って、その影響で最終的に三河の田舎者が武士のトップになったのはいいけどさ、日本の中心が名古屋じゃなくて東京になって、原爆落とされて太平洋戦争に敗けて、あれやこれやで今こんな世界になったのがいいのか悪いのか……」

「そう言うなや、満更でもない世の中やと思うで。何と言ぅても人は不老不死なんやし、東京は世界的な金融都市なんやから、それだけでも素晴らしいと思うけどな」

「あっ、そうだ。お前の会社にいた可愛い顔した宏美ちゃん、あれのせいで消えちゃったんだよな」

「あぁ、あれは調査不足や。まさか、ウチの会社に織田信長の血筋のモンがおるとは思わんかったんや。けど、可愛いて言ぅてもあの娘もバイオロボットやから顔は造り物やで」

「わかってるよ、そんな事。で、今回のターゲットは誰なんだ?」

「と……」

 急に音量が下がったスピーカーのようだ、高島の声が聞こえない。

「えっ、聞こえない。誰だって?」

「・徳川・家康や」

「あぁ?お前なぁ……」

 リキは、ふざけるなと言いたげに口をヘの字に曲げた。それは当然だ。前回、無理やり本能寺で織田信長を消した。今度は徳川家康を歴史の舞台から抹殺しろと言うのか。歴史を変えたのは前回の織田信長が最初ではない。その前は今川義元、更にその前は三好長慶。歴史ゲームで遊んでいるとしか思えない。一体、日本をどんな風に変えようとしているのだろうか。いやいや、違う。こいつ等二人には歴史をどう構築しようかなどという高尚でクリエイティブな考えは更々ない。二人にあるのは、莫大な報酬とその日のやる気の有無だけだ。

 依頼するクライアントはその時々で違うのだから、一貫したものなど欠片さえある筈もなく、当然行き当たりばったりにならざるを得ない。しかも、依頼の目的は大概恣意的なもので「こいつが大嫌い」とか「こいつさえいなければ、絶対ウチの先祖が有名人になったのに」とか、その程度のものばかりだ。尤も、それに一喜一憂していたら商売にならない。

 リキは一頻り愚痴を言ってから、気を取り直して訊いた。

「ミッションタイムは、いつだ?」

 どのタイミングでミッションを実行するかによって、その後の歴史がかなり変わるのは否めない事実だ。

 前回の歴史の改竄、もとい歴史調査研究以前には、織田信長が天下をとっていた。その織田信長を本能寺で消し去ると、代わりに足軽の豊臣秀吉が現れだが、その後により歴史出現力の勝る徳川家康が現れて織田信長の必然の流れを継承した。その家康を消し去るのが今回のミッションだとするならば、高い確率でその代替者たる誰かが出現するだろう。それが誰になるのか、ターゲットとミッションタイム次第で予想はつくが確定は出来ない。

「関ヶ原で頼むわ」

「関ヶ原で徳川家康が消えるという事は、西軍が勝利するぞ」

「クライアントは徳川幕府が嫌いなんや。豊臣幕府が誕生して、豊臣の天下が続く事を願っとる。それこそが『理想』の日本の姿なんやそうや」

「前回の織田信長の時もそれが『理想』だって言ってたし、その前の今川義元の時も前の前の同じ事を言っていたぞ」

「『理想』なんぞ人の数だけあるんやから、仕方ないやんけ」

 関ヶ原で徳川家康という事は、日本の首都が現在の東京から再び別の都市に変わるのだろう。まぁ、そんな事はどうでもいいか。

「それより、徳川家康の血筋の関係者はいないだろうな?」

「それは調査済みやから、問題ない」

「じゃぁ、今からミッションスタートだ」

「頼むで」

 リキは慣れた手付きで隣室の機械の電源をオンにし、助手の若者に言った。

「ペペ、仕事だ。今から関ヶ原の合戦前まで飛ぶから、いつも通り準備してくれ」

 ペペと呼ばれる若者が、怪訝な顔をした。

「所長、また歴史の改竄やるんですか。いい加減にしないと、歴史の神さんにぶっ飛ばされますよ」

「まぁな。でも、仕事だから仕方ないさ」

 ペペがリキの指示に従って黒く四角い時空船に入り、準備操作を始めた。音もなく目前のデジタル数字が所定の数値を示していく。リキが操縦席に座り、ペペが助手席で発射ボタンを押した。半円形のガラスドーム状の機械が回り出し、ドームの中に光る輪が見えた。

 男は、時を自由に往き来するタイムマシンと同化する能力を持っている。何故なのかは本人にもわからないが、その力は歴史を変える事を可能にする。

 もう何度目だろうか、数えた事はない。ターゲットは、必ずしも歴史上の有名人とは限らないし、前回殺ったターゲットを生き返らせろという依頼もある。決して出来ない事はないが、大概は断る。何故なら、自らがタイムパラドックスに堕ちる可能性があるからだ。タイムパラドックスとは時間的な因果関係が・いや、やめよう。解説するのが面倒臭い。

 時空船の中で、ペペはリキに詳細な説明を促した。

「所長、今回は誰なんですか。関ヶ原って言うと、徳川家康でも殺るんですか?」

「そうだ……」

「本気で言ってるんですか。この前、織田信長を殺ったばかりなのに。その時だって結構大変だったんでしょ?」

「まぁな」

 永禄2年(西暦1559年)、清州城。

「何者だ?」

「俺の名はリキ、織田信長公に申し上げたい事がある」

 織田信長が首を傾げた。

「怪しい奴め。物ノ怪か狐ならば、とっとと失せろ」

「狐の戯れ言として聞いていただきたい」

「狐の戯れ言とは面白いな。寝付けぬ夜の子守歌に丁度良い、話せ」

 リキは未来を語り出した。

「今より一年後の永禄3年(1560年)、街道一の弓取りと名高い今川義元が上洛の為に尾張に攻めて来る。総勢25000余り、先鋒せんぽう衆は松平元康」

「ほぅ、良く知っているな」

 信長は、『松平元康』の名が出ると、リキの正体を探りながら話に聞き入った。 

「永禄3年(1560年)5月12日。今川義元は既に沓掛城に入っている」

「物ノ怪にしては、何やらよく知っている」

「5月19日明け方丑八ツ半(午前3時)、松平元康が丸根砦、朝比奈泰朝・井伊直盛が鷲津砦に攻撃を仕掛け、丸根、鷲津両砦は陥落する」

「それは、何だ。キサマの戯れ言なのか?」

「いや、これは俺の知っている歴史だ」

「歴史だと、下らぬ戯れ言に過ぎぬな」

「その戯れ言には、まだ続きがある。今川義元は、この勝利に本陣で謡わせて悦ぶのだ。本陣の場所は『田楽狭間』の

「戦の最中に謡うだと、随分と舐められたものだな」

「だが、それこそが正に千載一遇の時となる」

「千載一遇の時?」

「そうだ。午九ツ半(13時)頃に、視界を妨げる程の雹混じりの豪雨が降る。この嵐に紛れて兵を進めて義元の本陣に奇襲を掛ければ、必ず勝機は見い出せる」

 信長は目を閉じ、何かを探っている。

「全ての始まりは、松平元康の丸根砦への攻撃だ。丸根砦が落ち鷲津砦が落ちると、今川軍本隊は沓掛城から大高城へ向かう。その途中、『田楽狭間』のに移動した時、嵐が来る。その時を狙って奇襲を掛ければ、今川義元の首を取れる」

 信長は眉を顰め、怪訝そうな声で言った。

「嵐の中で奇襲する事で、義元の首を取れるだと?」

「そうだ」

「この俺が、今川風情を相手に奇襲とは笑わせる。今川如き奇襲などせずとも叩き潰せるわ」

 強がる言葉とは裏腹に、織田軍には今川義元軍総勢25000余りを相手に互角に立ち向かえるだけの力はない。それは信長自身が知っている。

「キサマの言う歴史とやらで、我が織田はどうなっているのだ?」

「俺の知っている歴史では、5月19日三河勢を率いる徳川家康、いや松平元康が丸根砦、鷲津砦を攻撃する。その後、今川軍は織田軍を撃破して京へ上がり、今川義元が天下を取って室町幕府は滅し新たに駿河幕府が生まれる。都は京都から静岡に移る」

「……」

「何度でも言う。織田軍と今川軍本隊の直接の戦の直前に来る嵐を上手く使えるならば、織田軍の勝利は揺るがない」

「三河勢が丸根砦、鷲津砦を攻撃した後で、今川義元の本陣を『田楽狭間』ので討てば良いのか?」

 リキの言った桶狭間の戦いのポイントは、織田信長に伝わった筈だ。後は、それを信長自身がどう使うか次第だ。

「下らぬな。まぁ、良い。狐の戯言として覚えておいてやる」

 暗闇の中で、織田信長が双眼を光らせた。

 5月19日明け方、松平元康軍が丸根砦、朝比奈泰朝軍が鷲津砦に攻撃を仕掛けた。

「殿、三河勢が丸根砦へ朝比奈勢が鷲津砦へ攻撃を始めました」

 信長はその報を聞いて出陣し、熱田神宮で先勝祈願を行った後、善照寺砦で2000余りの軍勢を整えた。一方の今川軍本隊は、丸根砦と鷲津両砦が陥落すると大高城へと向かう為に桶狭間へと移動したが、その状況を梁田政綱が信長に進言した。

「殿、今川軍本隊が桶狭間に陣を構えました。その数は5000余り」

「桶狭間だと?谷ではないのか、クソ狐め」

「殿、如何致しまするか?」

 どうしたものかと信長は一瞬躊躇した。自軍は2000余り、今川軍が分散しているとは言えども本隊は5000。今川軍が谷にいるのなら自軍が有利なのは間違いないが、山にいるとなると正面からの攻撃では不利になる。しかも、同時に敵軍勢に側面から攻められれば、自軍が全滅する可能性が高い。織田軍の士気は高い、だがそれだけでこの不利な状況を覆せる程戦は甘くない。

 それでも必ず方策はある筈だ。信長は狐の言葉を思い出した。

『嵐が来る』『嵐に乗じて奇襲をかければ勝てる』

 信長は、その言葉に掛けた。

「三左衛門(森可成)、今より嵐が来る。嵐に乗じて俺は正面から討つ、お前は裏へ回って今川本陣を突け」

 奇襲とは、言う程に簡単ではない。敵軍が山の上にいるとなれば尚の事で、自軍の位置は一目瞭然。上から敵に攻められつつ側面或いは後方から挟み討たれる事、総勢が十倍以上もある事を考えれば、奇襲が簡単に織田軍に勝利の文字を見せてくれるとは言い難い。その状況を覆せるとするなら、今川軍の油断と予想出来ない天変地異を上手く利用する以外にはない。信長は、狐の戯れ言の嵐を天に祈った。

 その時、突然嵐が吹き荒れた。今川軍は前線の勝利に浮かれてはいたが、それでも正面から来る織田軍を山の上から確実に捉えていた。数に勝る今川軍が山を登って来る織田軍に怯む事はない。

 暴風雨の中で合戦が始まった。数と位置的優位に立つ今川軍が負ける要素は一つとしてない。正面での合戦も当然ように優位に立っている。だがそれは、決してあってはならない油断を生む原因ともなっていた。

 嵐で一寸先も見えないながらも、確実に今川本隊が優位にある合戦が行われている。その間に、背後に回った織田軍別働隊は山を駆け上がり、今川義元のいる本陣を突いた。300騎が周りを固めで退却する今川義元を、馬服部小平太と毛利新助の槍が

貫いた。

 元亀4年(西暦1573年)7月、破竹の勢いを誇る織田信長は足利義昭を京から追放し、室町幕府は滅亡した。これにより実質的に織田政権が誕生した。

 信長が嬉々として宣教師ロイス・フロイスに語った。

「フロイスよ、俺こそ、そして日本国こそが、この世界を導く神とならねばならぬのだ。俺の天下は日本国に非ず、世界を平定する。まずは清を攻め、そして世界に戦のない『理想』の世を創るのだ」

「ならば、我が世界の船隊ポルトガルはお館様の下僕となりましょう」

「それは心強いな」

 信長は上機嫌で敦盛を舞い謳った。

 天正10年(西暦1582年)6月21日、京都本能寺に炎が上がった。

「クライアント曰く、豊臣の世の中こそが『理想』の日本の姿なんだとさ」

 ぺぺが頭を抱えて悩んでいる。

「この前も、その前も、そう言ってませんでした?」

「クライアントは、皆口を揃えてそう言うな」

「所長、皆が納得する理想なんて存在するんですかね?」

「そもそも、『理想』なんて恣意的なものだからさ、どれが理想的かって言われても誰にもわからないだろう。まぁ、そのお陰で俺達の仕事が成り立つんだけどな」

「不思議な商売ですね」

「ところで、どうやって徳川家康を殺るんですか?」

「この前の続きのようなものだから、あの爺に頼んでみるよ」

「あの爺って、豊臣秀吉ですか?」

 リキが頷いた。歴史の調査研究者を名目とするEDITOR改竄者には、それなりのルールがある。最大のルールはターゲットをその手に掛けない事。直接的に殺れば手っ取り早いのだが、その分リスクをともなう。ターゲットを直接に殺った事でタイムパラドックスに堕ちるのだけは避けなければならないのだ。その為には、その時代の人の繋がりを利用するのが正しい進め方となる。

 慶長元年(西暦1596年)、大坂城。

 秀吉の携帯電話が鳴った。気味悪げに叫ぶ小姓の声がする。

「太閤様、大変で御座います。再び、あの怪しき箱が鳴り始めて御座います。天変地異の前触れではないかと・」

「何じゃ、智慧袋ちえぶくろ殿が置いていった「スマホ」ではないか。ここに持って参れ」

「御意にて御座います」

 小姓は、純金張りの香盆に乗せた白い小さな箱を秀吉に供した途端に広間の隅へと逃げ、柱の陰に隠れた。秀吉は慣れた手付きでスマホを操作した。

「おぅ、智慧袋殿か。今度は何用じゃ、何、石田三成?わかった、代物だいぶつは「みるくちょこれいと」で良いぞ」

 秀吉はスマホを置くと御付きの者に言った。

「誰か、三成を呼べ」

 歴史書には一切の記述はないが、太閤豊臣秀吉は女人の次に甘いものに目がなく、特にミルクチョコレートが好きだったらしい。

「それじゃぁ、ちょっと行って来る」と言って、リキは大阪城へと向かった。大阪城に着くと、大手門から案内され大広間へと通された。初めてではないが、襖、柱から天井まで黄金色一色に輝く荘厳さに圧倒される。

「太閤殿下、御機嫌麗しゅう御座います」

「智慧袋殿、頭を上げられよ。挨拶など良い、アレは持って来られたかな?」

 リキが「こちらに」とチョコレートの包みを渡すと、待ち切れない秀吉は嬉しそうに「ほぅ、ほぅ」と言って受け取り、いきなりチョコレートを頬張った。お付きの者達が仰天した。天下人が、出自もわからない男から直接渡された何かを口に入れる事など決してあり得ない。

 秀吉は、チョコレートを口にして恍惚の表情を浮かべ、「三成はまだか」と呆然とするお付きの者達を促した。

 暫くして、背の高い学者風の侍が神妙な顔で大広間にやって来た。どうやら、その若い侍が石田三成らしい。

「三成、この方は儂の軍師の一人である智慧袋殿じゃ」

 石田三成が深々と頭を垂れた。

「三成よ、お前もいつか為政者としてこの国を動かしていかねばらぬのじゃ。今の内から智慧袋殿に十分にご教示願え」

「御意」

 そう言って、秀吉は喜色満面でチョコレートを持って中座した。

 別室に移ったリキが用件を告げようとした直後、石田三成の表情が変わった。目から強い猜疑心が見える。

「太閤様の智慧袋殿、まずは教示願いたい。貴殿は何者か?」

「説明するのは難しい。それより、俺の言う話を聞いてくれ」

 石田三成の拒絶の目が光る。

「いや、要らぬ。どうせ、これからの世に起こる事を予見出来るとでも言うのであろう。太閤様を奇妙な話でそそのかしたのは知っている。だが、ワシに戯れ話は通らぬ」

「アンタがどう思うかは俺にはどうでもいい。俺の言う事は真実だ。俺はこれから先の歴史を知っている。だからアンタに頼みたい事がある」

「そんな世迷言を聞いている暇はない」

「嘘ではない。聞くだけ聞いてくれ」

 三成が鼻で笑った。

「為らば、これから先に何が起こるか言ってみろ」

 リキが未来を語り始めた。

「来年の慶長2年(西暦1597年)1月に朝鮮との講和交渉が決裂し、再びの朝鮮遠征が始まる。更に3月には太閤様が醍醐三宝院において盛大な花見を催される」

「何故、それを知っている?」

 三成の顔には、驚きとともに鼻息びそくを窺う様子が表れている。

「だが、太閤様は花見の後に病に倒れてしまわれる」

「何と、不吉な事を言うと唯ではおかぬぞ。そこへ直れ、切り捨ててくれるわ」

 三成はリキの言葉に激怒し、腰刀に手を掛けた。リキは怯む様子もなく続ける。

「話はそれで終わりではない。更に大変な事が起こる」

「ふざけるな、キサマの戯れ言など聞く耳持たぬわ・」

だ」

 リキの言葉が、腰刀を抜き掛けた三成を止めた。

「豊臣にとってだと?太閤様を愚弄するその言葉は万死に値するぞ」

「俺を手打ちにするのは、戯れ言を全て聞いてからでも遅くないんじゃないか?」

「まぁ、良かろう」

 三成は、掛けた右手を一旦納めた。リキが続ける。

「まず、慶長4年(西暦1599年)3月3日に五大老である前田利家公が亡くなられ、翌日に徳川家康に近い武断派の武将7名が、朝鮮遠征での不満で石田殿を襲撃する」

「何と……」

「その際は伏見城へと避難なされば終わる」

「伏見城……」

「そして、慶長5年(西暦1600年)9月15日、たる天下分け目の戦が美濃国関ケ原で起こる」

 三成が口端を吊り上げた。

「儂の事などはどうでも良い。それよりも、天下分け目だと……やはり下らぬ戯れ話だな。今や、太閤様に刃を向ける者など居らぬ。豊臣のこの世に、どこの誰が天下を分けると言うのだ?そんな者が居るならば、即刻ぶち殺してくれるわ」

「アナタに、その者を殺す事が出来ますか?」

「返す、返すも不届き者め。そんな不埒な者は居らぬわ」

「いや、一人だけいる。そして、それが誰なのかアナタは知っている」

「何……ま、まさか……」

 三成の顔色が変わった。間違いなく、その誰かを知っている。

「その、まさかです。慶長5年(西暦1600年)9月15日、そのまさかが起こるんですよ。天下分け目の合戦、豊臣方の西軍に刃を向ける東軍の総大将は……徳川家康」

 三成は目を閉じ、苦虫を噛み潰しながら小さく「やはり……」と小さく呟いた。

「そして、西軍の総大将は毛利輝元公。全軍を率いるのは、石田三成殿、アナタだ」

「何故、太閤殿下ではないのだ?」

「太閤様は、その時既におられない」

「何、それは真実なのか?」

「俺の言っている事は、今ある真実だ。太閤様は、慶長3年(西暦1598年)8月18日に逝去される」

「今ある真実とは、どういう意味だ?」

「既に、歴史は変わっている。今ある世界の前には、織田信長公がが天下を平定する世界があったが、俺が明智光秀をそそのかして謀反を起こさせた事で、太閤様が天下人となった。だが、残念ながら太閤様の天下は続かず、徳川の世となる」

 石田三成は、狼狽を見せながらも、相手の手の内を探り続けている。

「何故、それを俺に告げるのだ?」

「更に、歴史を変える為だ。徳川ではなく豊臣の世が続くように」

 三成はリキの言う話を信じた訳ではないが、可能性としてその内容を理解した。

「今ある真実とやらでは、天下分け目の戦で俺が内府(徳川家康)に負けるのか……」

「そうだ。だが、それを変える」

「変えるというのは、その敗因を覆してその戦に勝つという事か?」

「少しだけ違う。敗因の精査とともに、直接的に対応する」

「直接的にとは、まさか……内府を?」

「そうだ。その策略を相談したい」

 リキの言葉に、次第に三成が未来話にのめり込んでいく。

「内府の力は、我等が想定するよりも遥かに強いという事なのか?」

「天下分け目の戦いの総勢は、正確ではないが西軍8万、東軍7万5000の互角だったと言われている」

「為らば、何故我等が敗するのだ。敵方に何か別の加勢があるのか?」

「別の加勢などないし難しい事じゃない。西軍敗戦の理由は裏切り者が出るからだ。そして、想定していた相当の数の戦力が動かなかった」

 慶長5年9月15日(西暦1600年)、美濃国不破郡関ケ原(岐阜県関ケ原町)を主戦場とする史上最も有名な天下分け目の野戦、『関ケ原の合戦』が始まった。

 西軍の勢力は、石田三成軍4000、毛利秀元軍15000、宇喜多秀家軍17000、その他計8万余り。西軍は、前日夜の雨に紛れて大垣城から関ケ原へ向かい、鶴翼の陣での合戦の準備を完了したが、総大将たる毛利輝元軍15000は大坂城に留まり参陣せず、猛将として名高い立花宗茂も大津城攻めの為に参陣していなかった。それだけではなく、小早川秀秋その他の武将達の裏切りが囁かれ、軍議では島津義弘が進言した夜襲を三成が『卑怯』と却下するなど、西軍には不安な要素が溢れていた。

 一方の東軍は、徳川家康軍30000、黒田長政軍5400、細川忠興軍5000、福島正則軍6000、その他計7万5000余り。東軍は軍勢を二手に分け、一手の徳川家康軍30000その他は東海道を西に向かって関ケ原へ、もう一手の徳川秀忠軍38000は中仙道から西に向かい上田城を攻略した後で関ケ原へ向かう予定としていたが、真田昌幸、真田幸村軍2000余りの策略に苦戦し、関ケ原には参陣していなかった。

 9月15日明け方、関ヶ原は深い霧に包まれて両軍とも動きが取れずにいたが、霧が晴れると同時に早朝から開戦となった。

 西軍は、北西側に島左近軍、石田三成軍、島津義弘軍、西側に宇喜多秀家軍、大谷吉継軍、南西に小早川秀秋軍、赤座、小川、朽木、脇坂軍が布陣し、迎え撃つ最強の鶴翼の陣をいた。他方、東軍は北東に黒田長政軍その他、東に福島正則軍、井伊直正軍その他、更に東に徳川家康軍が布陣し、攻め入る魚鱗の陣を布いた。

 戦力としてはほぼ互角だったが、西軍は地政学的な優位性を確保していた事、東軍総大将徳川家康軍の東南側に何と西軍の吉川広家軍、毛利秀元軍が布陣していた事、それぞれの戦力が総合的に機能するならば西軍による東軍包囲網が完成する筈であった事、それ等を勘案する限りにおいては西軍が絶対的に優勢と考えられていた。

 赤坂から雨の降りしきる桃配山に本陣を移した徳川家康は、西軍の動きを頻りに気にしている。

「西軍の状況はどうなっておる?」

 家康の問いに侍従達が告げた。

「上様、密偵の報告によれば、西軍の軍議にて島津義弘の主張した雨に乗じた奇襲を石田三成が卑怯と否決したようです」

「上様、西軍の大半は雨中に大垣城を出て、関ケ原付近に布陣するようです」

 上機嫌の家康が言った。

「想定通りだ。これで島津の士気も落ちるに違いない。戦を知らぬ治部じぶ(三成)が奇襲をする事などない。雨中に大垣城を出るならば、構わん捨ておけ」

「上様、島左近勢が先陣を切って向かって来ておりますが、如何致しましょう?」

大夫たいふ(福島正則)に任せておけば良い」

「上様、小早川秀秋勢が松尾山に布陣したようです」

小童こわっぱ(小早川秀秋)には話はつけてある。西軍の要たる大谷吉継軍を蹴散らしてくれるであろう」

「上様、我等の背後の南宮山に、吉川広家、毛利秀元勢が布陣しておりますが……」

「吉川広家にも話はつけてある故、毛利軍に背後を付かれる事はない。万一大坂城の輝元(毛利輝元)が秀頼様を出して来たら面倒臭いが、淀殿にも話は通してあるから、毛利は動かぬよ」

「立花宗茂は参陣しておらぬだろうな?」

「上様、立花宗茂は大津城を攻めているようです」

「それは好都合だ。立花宗茂が参陣し、我等東軍の前面、側面、背後、どこを突かれても想定が狂う。特に吉川広家、毛利秀元軍か小早川秀秋軍の前にでも布陣されては大勢が変わるからな」

「秀忠軍はまだか?」

「上様、上田城に手間取っているようです」

「この戦に勝つ事が日本国の新しい夜明けとなる。それこそが本当の『理想』の天下なのじゃよ。ワシが勝たねばならぬのじゃ」

 早朝から始まった合戦は、小早川秀秋の裏切りにより前線の大谷吉継軍が崩壊し、宇喜多軍、小西軍が敗走して、正午過ぎには西軍は敗退した。後世に天下分け目と称される関ヶ原の戦いは、早朝から始まり昼前には勝敗が決していたと言われている。

「為らば、小早川秀秋を抑え吉川広家を説得する事が出来れば、その戦は我等が勝利となるのか?」

「地形的には西軍が有利で、徳川家康の東軍と石田殿の西軍は互角に戦い拮抗した膠着状態となっていたから、少なくとも裏切り者の小早川秀秋軍や東軍と内通して傍観した吉川広家軍、その他傍観者となった毛利秀元軍、島津義弘軍、長宗我部盛親軍が西軍として参戦していれば、相当有利だった筈だ」

「天下分け目のその戦は我等が勝たねばならない。我等が勝って豊臣の世が続く事こそが日本国の『理想』なのだ。我等が必ず勝利する方法は?」

「もし、アナタが徳川家康の不義を正す為に本気で勝つ事を望むならば、方法はこれしかない」

「それは、何だ?」

「一つは、鶴翼の陣を布いて関ケ原の地理的優位を確保する事。二つは、裏切りにより東軍として戦う小早川秀秋軍を阻止する為、大津城攻めの立花宗茂を参陣させる事。三つは、西軍総大将である毛利輝元公の本気を引き出す事。真田昌幸、真田幸村軍で徳川秀忠軍を上田城で足止めする事。東軍別動隊の徳川秀忠軍が合流出来ない中で、毛利輝元公が豊臣秀頼様を錦の御旗として参陣していれば、天下分け目の合戦は確実に西軍の勝利となる」

「毛利輝元公は参陣せぬのか……」

「そして、最も重要な事は東軍の総大将たる徳川家康と嫡男の徳川秀忠を確実に殺る事。それが果たされない限り、豊臣の時代は必然として徳川の時代へと変わっていく。但し、家康を殺るのは簡単ではない。合戦中にも、本陣を桃配山に置いていながらそこにいるのは影武者で、自身は赤坂にいる。歴史の書き換えによって、影武者が自身と置き換わる可能性もあるから、必ずどちらの徳川家康も殺る事が肝要だ。そして、中仙道から西へと向かって来る徳川秀忠軍38000は挟撃する事で殲滅出来る」

「うむ」

 石田三成の目に確信の光が宿った。

「知恵袋殿、最後に一つだけ教示頂きたい。貴殿は、何故歴史を変えてまで太閤殿下の世が続く事を欲するのか、貴殿に何の得があるのだ?」

「仕事だからですよ」

「?」

 大坂城を後にしたリキは、プロジェクト推進の重要なポイントへと向かった。

「ぺぺ、次に行くぞ」

「所長、どこへ?」

「毛利輝元を本気にさせに行くんだよ」

「なる程、これで西軍の勝ちっすね」

「あぁ、毛利が動けば西軍の勝利は間違いないだろう」

「という事は、豊臣幕府が出来て日本の首都は大阪って事ですね?」

「いや、それはどうかな」

「何故?」

 歴史は変化に富んで中々に面白く、同時に頑固な爺さんのようでもある。1+1が3になる事もあるが、当然の如く2になる方が圧倒的に多い。

「その内わかるさ」

 再び、秀吉のスマホが鳴った。

「おぅ、智慧袋殿。何じゃな、毛利?輝元は居城の広島城におるであろう。わかった、書状を三成に渡しておこう。代物は高いぞ、イチゴダイフクじゃ」

 これも記録にはないが、豊臣秀吉はイチゴ大福が大層好みだったらしい。

 リキは、秀吉からの紹介書状を携えて毛利輝元の居城を訪ねた。五ケ村に築城された毛利輝元の居の城である広島城は見るからに要害で、西側の太田川だけでなく本丸を三重の堀が囲み、五重の天守閣が聳えている。

 門番に書状を渡した途端、物々しい警護で城内に通された後、謁見となった。時の絶対的権力者からの紹介書状だからなのか、極端な緊張感が伝わって来る。

 暫くの後、毛利輝元が訝し気な顔で着座した。三本の矢で有名な毛利元就の孫である毛利輝元は、120万石の大大名であり、豊臣五大老の一人でもある。

「そのほうが太閤様の書状の者か?」

「はい。御館様に早急にお知らせしたい事があって参りました」

「知らせたい事とは、何じゃ?」

「私は未来を知っております」

「未来とは何か?」

「これから先に起こる事です」

「太閤様の書状の者が何かと思えば、未来じゃと?これはまた可笑しな話じゃ、太閤様の書状がなければこの場で手討ちにするところだが、まぁ良い。その未来とやらを語ってみるが良い」

 暫くの後、リキは関ケ原の後の毛利家の惨状を伝えて、タイムマシンに戻った。

「所長、早かったですね」

「まぁな、元々説得に言った訳じゃない。「お知らせ」と「脅し」に行っただけだからな」

「どうでした、少しは理解したんですか?」

「とうかな。多分、事が起きれば理解は出来ると思うけどな」

 リキは、未来の話を全く本気にしない毛利輝元に『これからの未来では、天下分け目の合戦が起こり、西軍総大将に担ぎ出される事』『参陣しなかった未来では、徳川家康に敗北して所領安堵の密約を反故にされ、領国だった安芸、周防すおう、長門、石見いわみ、備後、備中、出雲、隠岐の120万石全てを没収される事となったが、結果的に周防、長門のみ36万石となる事』『自身が出家する事』を伝えて、城からワームホールを使って出て来た。

 城中は大騒ぎとなり、奇妙な未来話を語り光の中へ消えたのはきっと妖怪に違いないと言って、早速厄払いが行われた。

 リキとペぺは、慶長5年(西暦1600年)9月15日の関ヶ原にいた。既に石田三成軍は大垣城を出て関ケ原に陣取っている。他方、徳川家康軍も9月14日に桃配山に布陣した。徳川秀忠軍38000は、真田昌幸の上田城攻略に手間取り、未だ家康軍に合流出来ていない。西軍8万と東軍7万5000が対峙しているが、小早川秀秋軍がこの合戦の要所である事に変わりはない。

 早朝から両軍は激突し、結果的に関ケ原の合戦は6時間の激闘の末に西軍の勝利に終わった。立花宗茂が参陣し小早川秀秋軍の前に布陣した事で、小早川秀秋その他の西軍武将の裏切りはなかった。また、豊臣秀吉の嫡男である豊臣秀頼を奉じて参戦した毛利輝元本隊により、西軍の士気は最高潮に達し、東軍は敢えなく壊滅した。徳川家康は影武者、徳川秀忠とともに討ち取られ、歴史は書き換えられた。徳川幕府は日本の歴史から消滅した。

 電話が鳴った。

「リキ、おるか?」

「所長は外出中ですよ」

「リキのヤツにな「バイオロイドのままでエエから、せめて電話くらい埋め込んどいてくれ」て言ぅとけや」

 リキが怒り心頭で、事務所に戻った。

「所長、高島さんから電話ですよ」

「高島よ、どうでもいいけど何で日本の首都が広島なんだよ。第二次大戦で、東京に原爆が投下された上に、東京が片田舎でコンビニさえないんだぞ」

「いつまでも、東京なんぞにおるからや。早ぅ、大都会広島に来たらエエやんか」

「嫌だね。今川幕府が織田信長の日本神国になって、首都駿河(静岡)から首都尾張(名古屋)へ引っ越した途端に徳川幕府になって、首都江戸(東京)に引っ越したと思ったら今度は広島だ。いつまた変わるかわかったもんじゃない、俺は片田舎の東京のままでいい」

 かつて、今川義元が天下を取って征夷大将軍となり都を駿河(静岡)とする駿河幕府が存在した。だが、1560年に桶狭間で織田信長が今川義元を討ち天下を掌握た事によって歴史は書き換えられた。本能寺の変が起きる事はなく、織田信長は室町幕府の足利義昭と嫡男足利義尋あしかがぎじん、更には朝廷の正親天皇と皇子誠仁親王さねひとしんのうをその手に掛けて滅亡させ、自ら初代神王に君臨し日本神国が誕生した。日本の首都は尾張から名古屋へと名称を変えながら世界最大の金融都市へと発展した。

 しかし、1582年に本能寺で織田信長を明智光秀の謀反によって自刃させると、再び歴史は書き換えられて豊臣秀吉が天下人となった後、徳川家康が天下分け目の合戦関ケ原で勝利し、征夷大将軍となって江戸幕府が誕生し初代将軍となった。その結果、日本は第一次、第二次世界大戦を経て世界第二位の経済大国へと驚異的な発展を遂げるに至った。

 徳川家康が天下分け目の関ケ原で敗退して更に歴史は書き換えられ、西軍総大将の毛利輝元が勝利して征夷大将軍となった。

「内府(徳川家康)ではなく、ワシの天下こそが『理想』の日本国の夜明けとなる」

 そして、安芸幕府が264年間続いた後、安芸を中心とする明治維新の近代革命が起こった。安芸から広島へと名称を変えた今、日本は世界一の金融経済大国且つ軍事大国となっている。

「それとな、言い難いんやけど、今回の徳川家康の件の残り報酬ゼロやわ」

「何でだよ?」

「クライアントから「何で、豊臣幕府にならへんのや」「何で、石田三成の天下にらんのや」てクレームがあってな、踏み倒されたんや」

「そんなの西の総大将が毛利輝元なんだから、広島になる事くらい想像出来るだろよ。それに、石田三成の天下にしろなんて聞いてないし、そもそも石田三成本人にそんな気がねぇんだから、そんなのなる訳ねぇだろよ」

「仕方ないやんか。それより、次の仕事やで」

「ふざけるな、そんなもん誰がやるかよ」

 高島が口端を上げて何やら意味ありげに告げている。高島がこんな言い方をする時は、必ず何か嫌な話が続くに決まっている。

「これは断れへんで」

「断れないって、どういう意味だよ?」

「前に第三次世界大戦を阻止した事があったやろ。ところが、歴史が元に戻ってしもたんや。そやから、もう一遍同じ事やらな第三次世界大戦が勃発してまうんや。それはEDITOR改竄者としてのお前のプライドが許さへんやろ?」

「元に戻っただと……」

「まぁ、そんな事もあるやろ。直ぐに対応してや。このままやと第三次世界大戦勃発で『理想』の地球の歴史が狂ってしまうからな」

 確かに、以前に第三次世界大戦が勃発する直前に、一人の超能力者の若い男を立てて回避した。極々偶に、歴史の修復力が強いとそんな事もある。歴史が戻ってしまったとなれば、メンテナンスとしてやらざるを得ない。

「しょうがねぇなぁ。『理想』の歴史の為にやるとするか」

「リキ、頼んだで」

「ぺぺ、今から行くから用意しろ」

「所長、今日はノー残業デーですよ。だから、ボクの『理想』としてもう帰ります」

 時計の針が5時を過ぎた。

 理想の未来を手に入れる事の最大の問題は、理想が人それぞれ違う事にある。

『理想』とは、人それぞれの恣意的な思惑でしかない。その結果、平和を求める理想は理想であって理想ではないという愚昧な矛盾を常に孕み、不整合が奥歯に引っ掛かり、そしてそれは必然的に確執と対立と諍いを生んで紛争となって戦争へと発展していく。『理想』である筈の大義が、必然として戦争を生み出していくのだ。何という滑稽な不条理だろうか。

 しかし、そんな『理想』の名を冠した幻想こそが人類の歴史であり、本質的で絶望的な現実でもあるのだ。果たして、未来は誰のものなのだろうか。


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時空超常奇譚3其ノ四. EDITOR/未来は誰のものか 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

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