仮想現実空間の恋

@morittwe

一話完結

 コミュニケーション技術の進化は著しい。ビデオ通話は更なる進化を遂げ、仮想現実空間(VR)での対話が可能となった。

 発信者が専用の機器を着けると、受信者のシステムに立体的に映し出される。一方、発信者の視界にも受信者の世界が広がる。まるで発信者が受信者の世界に瞬間移動したような感覚になる。現実世界の違いと言えば、発信者が受信者の世界のものに触れることができないことぐらいなもの。

 受信者側に受信システムが必須となるが、会社、飲食店等、主要な場所に受信システムが標準装備となってきたため、不自由は無い。最近では、ある程度の広さがあれば、自宅に置くケースも増えている。


 ―2050年1月 シンガポール―


 吉岡健人はVRを使って、大学の仲間たちとの飲み会に参加した。20代初めにシンガポールに赴任して以来、日本にも帰れず仕事一筋に頑張っていたものだから、彼らと会うのは十数年ぶりになる。

 吉岡は用意した缶ビールを空け、遠く離れた日本の友人たちと乾杯をする。日本の居酒屋の喧騒までしっかりと感じ取れ、改めて、通話技術の進歩に驚かされる。


「吉岡は結婚は?」

 友人の一人が聞く。機会が無かった訳では無いのだが、35になるこの歳まで、なかなか結婚までの仲に発展できる人はいなかった。

「なんだよお前?結婚していなかったの?商社マンでもてる だろうに。」

「そんなことないよ。それになかなか良い人がいなくてね。」

 それから、誰が結婚した、とか、離婚したとか、それぞれの情報をアップデートする作業に移った。

「そういえば、香織結婚したの知ってる?」

 友人のひとりが言った。懐かしい名前だった。シンガポール赴任をきっかけに、別れてしまった恋人。

「10以上も年上の人と結婚したんだって。」

 結婚した話は、SNSを通して知ってはいた。

「俺はさ、てっきり吉岡と結婚するものだと思ってたんだけどな。10も歳が離れてて、上手くいくのかね。」

「お前はさ、なんで香織と結婚しなかったんだよ」

酔いが回ってきたからか、友人たちの発言に遠慮がない。

「なんでって言われても。」

「シンガポールなんか行っちまうからだよ。」

 距離の問題、というのもあるかもしれない。あの頃VRがあれば、瞬間移動のようなこの技術があれば、果たしてどうだったろうか、と酔った頭で考えてみたが、しかしもう昔のことだ。

「今度さ、香織も誘って久しぶりに飲み会やろうぜ。」

 そう言う友人の悪ノリに乗ってみるのも良いだろうと吉岡は思った。香織に久しぶりに会いたい、せめて友達としてでも。


 ―東京―


「私、ちょっと用事がありますので、これで」

 香織は、会社の飲み会をAI応答に切り替えた。香織は人間関係のいざこざから逃れるため、このAI応答を多用している。

 AI応答とは、VR応答の補助サービスで、仮想現実世界に参加した自分の代わりにAIが応答する技術。近年の技術の高まりにより、過去の会話履歴から、本人とほぼ同じ対応が可能。香織も最初は恐る恐る使っていたが、何事も不具合なく接してくれているようで、技術の進歩には驚かされる。

 これで香織は、自宅から会社の飲み会に最初だけ参加して、あとはAIに任せて、飲み会の場を離れることが出来るようになった。

 香織は人とのコミュニケーションが苦手であり、苦痛だ。AI応答に切り替えたので、ノートパソコンを閉じ、そのまま脇にはさんで1階に降りる。

 旦那と共働きで買った郊外の一軒家。駅からは多少遠いが、広くてなかなかに気に入っている。尚、ローンは5年前に無くなっているので、経済面では何の心配もない。

 会社とVRで繋ぐ場合は、主に2階を使用する。仕事を家に持ち込みたくないから、リビングのある1階とは隔てている。


「今日も早かったね?飲み会と聞いたからてっきり遅くなるものだと。また、AI参加?」

 と、旦那の智史が聞いてくる。

「家のことなんか気にせずに、もっと積極的に参加すれば良いのに。」

 外交的な旦那は、香織の内向的な点をいつも指摘している。そんなに簡単に外向的にはなれない。

「やっぱり人と人とのコミュニケーションの基本は会って話すこと。AIばかり使わずに、積極的に外の人と話しないとね。」

 そう言って旦那は、おおらかに笑う。反対に、神経質な苦笑いを浮かべる香織。結婚して10年。思えばまったく正反対な2人がよく生活しているものだと思う。

「来週、誕生日だったね。」

 香織は35歳になる。旦那にそう言われるまで忘れていた。

 旦那と結婚して10年が経つ。旦那は年が12上で、10年前の結婚の際、周りはすごく反対したが、その頃は旦那の優しさがすべて包み込んでくれると信じていた。でも、結婚生活も数年が過ぎた頃、すべてが変わってしまった。二人の間には、努力では越えられない大きな溝がある。


 次第に夜もふけてきた。

「私、もう寝るね。」

 そうして、香織は立ち上がる。旦那は立ち上がろうとせずに、ソファに座ったまま。

「おやすみ。智史さん。」

「うん。」

 香織は2階に向かう。やはり旦那はリビングから出ようとしない。

 香織はいつからか、一人で寝るようになった。夫婦の間に子どもはいない。夜の時間がやってくると、香織はいつも寂しくなる。

「でも、自分で選んだ人生だもの。」

 と自分に言い聞かせるが、やり切れない思いは打ち消せない。経済面では満たされていても、それが幸せとは限らない。


-4月-

 香織はVRを使って、大学時代の仲間たちと会った。いつもは断っていたのだが、今回は友人から強い誘いもあって、参加してみることにした。どの顔も懐かしい。

 そして、そこには懐かしい吉岡の姿もあった。

「久しぶり。香織は変わらないな。」

 大学卒業後、会社に入ってすぐにシンガポールに駐在した彼は、30半ばを過ぎ、頼もしいように見えた。

「吉岡くんはだいぶん変わったね。」

「え?あ、そう?」

「真っ黒になった。」

「なんだよ、それ。ははは。南国だからね。」

「それに、随分たくましくなった。」

「そう?」

 やはり、吉岡と話をすると落ち着く。

 大学の頃の同級生で何かとうまがあった。音楽も映画も驚くほど好みが合い、何をするにも一緒だった。やがて、二人は付き合いはじめた。

 周りは香織と吉岡が結婚するものだと思ってたし、その頃は香織もそうなるものだと思っていた。

 でも、お互い就職し、吉岡がシンガポールに駐在することになり、疎遠になってしまった。しばらくは電話で繋がっていたけれども、やはり言葉だけのコミュニケーションは寂しい。距離の隔たりが二人に別れをもたらした。

 その頃にVRがあれば、もしくは私の人生は違ったのかもしれない、と香織は思う。


 大学の仲間とそれぞれの近況を話して、あっという間にお開きの時間になった。また次やろう、などと各々話し、各自VRを切る。

 気づけば、吉岡と香織だけになっていた。

「香織はこのあと用事あるの?良かったらもう一杯飲まない?」

「うん。大丈夫、このあとは用事もないし。」

 旦那の顔が一瞬浮かんだが、色々聞いて欲しいこともあって誘いに乗った。一旦グループの接続を切り、個別接続に切り替える。

「香織、結婚したんだったよね?」

「うん。10年前に。吉岡君は?」

「別にそういう話がなかったわけじゃないんだけど、結婚、という1歩に踏み出せなくてね。」

 と、恥ずかしそうに笑う。そういえば、この笑顔が好きだった時代があったなあ、と香織は改めて思った。

「香織はどう?結婚生活は?」

「うん。いろいろあって。」

 と、香織は自分の最近のことを色々伝えた。気付けば、5杯目のビールを飲み干していた。

「そう、いろいろ大変だったね」

 お酒の勢いに負けて、伝えなくてもよいことまで伝えてしまった、と香織は後悔した。

 旦那のこと。人生への不満、悲しみ。

「また会おうよ。昔みたいにさ。また、香織の話聞きたいな。」

 吉岡からそう言われ、香織はどういう感情を持って良いか戸惑った。



「どうだった?同窓会?大分長かったねえ。」

 その夜、旦那から聞かれる。

「楽しかったよ。久しぶりにみんなと会えて。」

 とだけ伝えて、吉岡のことは伝えなかった。香織は少し罪悪感を感じた。


 ―5月―


 休日。

 香織はソファに座ってパソコンを開いている。SEという職業柄、休日でもパソコンを開いてしまう。一方、旦那はパソコンが使えない。だから、旦那のパソコンを立ちあげる時は、いつも香織が立ちあげる。

「いつもごめんね。」

 生涯あと何回旦那のためにパソコンを立ち上げるのだろう、と思う。

 リビングには、古い洋楽が流れている。旦那の好きな曲。

その洋楽が終わると、香織は好きなミュージカルの音楽をかけた。昔から音楽の趣味も合わない。旦那は何も言わずに聞いている。

 リビングには旦那の趣味でワインセラーがあり、休日は昼からワイン片手に過ごせるようにもなっている。

 ワインセラーの中には、何年も置きっぱなしのものもある。なんでも、赤ワインなどは5年以上も置きっぱなしにした方が味が良くなるのだとか。かなりのスペースも占めてるし、かなりの存在感があるので、ワインセラーごと捨ててしまいたい、と心から思う。

 本当は香織はワインよりもビール派なのだ。

 やはり、ことごとく二人は趣味が合わない。ワインをみてると、香織はまた、やるせない気持ちになった。


 また、香織は吉岡とVRで会っていた。

 家で会うのも気が引けるので、香織はVR通話に対応したバーに来ていた。吉岡も今日は雰囲気を合わせ、シンガポールのバーから参加している。二人大好きなビールで乾杯をする。

「そう言えば、吉岡君とは趣味が合うよね。うちの旦那はビール飲まないの。」

「珍しいね。」

「昔はよく吉岡くんとビール飲みに言ったね。」

 二人は大学時代、映画研究会に入っていて、よくビールを飲みながら、好きな映画を語り尽くした。新旧含めてほとんど趣味を違えたことがない。

「私は旦那とは何一つ趣味が合わないの。吉岡くんとは全部趣味が合うのにね。」

「僕らが合いすぎるんだと思うけどね。」

 吉岡と結婚をしていれば、毎日自分の好きなことだけをしていれば良い。それに、旦那と出会い、今のような惨めな生活をしていなかった。やはり、あの頃、VRがあれば、違っていたのか。

 吉岡は言う。

「こうやって香織とまた出会えたことは、何かの運命じゃないかと思うんだ。」

 一呼吸置いて、吉岡は続ける。

「俺はやっぱり今でも、香織のこと好きだな。」

 急な告白に香織は返答に困った。


 ―8月―


 香織は最近では、吉岡とVRで会う機会が増えていた。この間の告白の答えは返せなかったが、やはりもう少し吉岡と会って、自分の気持ちを確かめたいと思った。


 ある日、リビングで旦那と話す。

「今日は遅くなる?」

「うん。ちょっと寄るところあるから。」

「そう。最近、帰り遅いね。」

「悪い?」

「良いことだと思うよ。」

 旦那は香織の外出をむしろ歓迎しているかのように答えた。


 ―10月―


 吉岡は、久しぶりに有給休暇を取った。休みの間も、AI応答が対応し、仕事に大きな穴を開けることもないので、前よりも気軽に休みを取る事が出来る。

 このAIという機能、まったく便利な世の中になったものと感心するが、自分が居なくても、自分と同じ対応が出来てしまうから、末恐ろしくも感じる。


 ともあれ、せっかくの休みなので、有効に活用しようと、吉岡は香織を映画に誘った。香織は映画館で、吉岡は自宅からVRで参加する。映画館はVRの受信システムがあり、VRでの参加は入場料が半額となる。VRに合わせてサービスも色々整ったものである。

 映画の内容は、闘病生活を続けたヒロインが、大好きな彼に最後の愛の告白を、というような筋書き。若干オーバーな展開だが、若いカップルにはこういうのが人気らしい。香織も大学生の時なら嫌いではなかったと思う。

 でも、クライマックスシーンで香織は席を立ってしまった。

「ごめん。なんか私、これ苦手だったみたいで。見てられなくて。」

 終演後、香織がそう言った。

「昔は好きだったんだけど、今はこういうの、あんまり真剣にみれないね。せっかく誘ってくれたのにごめんね。」

 そう言って香織は、そそくさと映画館を出ていってしまった。

 香織の過ごした時間がどういうものかは知る由もないが、何かが香織を変えてしまったのだと、吉岡は思った。それが旦那さんのせいだと言うのであれば、歯痒く思う。


 ―12月―


 香織は吉岡とVRで会う時間が増えた。旦那はと言えば、香織の不在の時間が増えたことをむしろ歓迎している様子であり、それはそれで香織をやるせない気持ちにさせる。

 吉岡と一緒になれば、正常で一般的な生活を送れる。自分を大事にしてくれる、孤独を感じることも無い。でも、今の暮らしを切り捨てることが、自分には出来るのだろうか。


 その答えは、意外と早く出さなければならなくなった。


 会社からの帰り。香織は郵便受けを開けると、通信会社から郵便が届いていた。


 ―サービス中止のお知らせ―

 かねてよりご愛顧いただいていた当社のサービスですが、セキュリティの脆弱性が確認され、大変遺憾ながら今月末をもって中止させていただくこととしました。


 香織は呆然と立ち尽くした。また、昔と同じように、彼と別れなければならないのか。悲しくて悲しくて涙がこぼれた。せめて、もう一度彼と話がしたい。

 香織はノートパソコンを立ち上げ、通信ボタンを押す。


「智史さん話があるの。通信会社から案内が来てた。」



 旦那の智史は香織との出会いを思い出していた。


----


 初めて香織ちゃんと出会ったのは、友人が企画してくれた飲み会。恐らく、いい歳になっても独身の自分を気遣ってくれたんだろうと思う。

 そこで出会った香織ちゃんは、明るい子だった。みんなの中心にいるような子で、太陽みたいな子。人と関わることが好きで、いつでも笑っていた。

 ただ、僕からなんとか話を盛り上げようと映画や音楽の話をしても、まったく趣味が合わない。料理の好みも全く別。

帰り道、たまたま同じ方向だったので、一緒に帰った。そこでまたマンガの話をして、そこでも趣味が合わない。

「私たち全然趣味が合わないですね。」と香織ちゃん。

 それでも僕は香織ちゃんが気になっていたから、何とか次のデートの約束を取り付けたくて、誘い文句を必死に考えていた。そうしてひねり出した誘い文句は、「全然趣味が合わないから、今度デートしませんか?」

 香織ちゃんは一瞬驚いて、それからケラケラ笑った。

「いいですよ。変な誘い方だけど。」


 デートの場所を決めるのも一苦労だった。ワインの美味しいお店があると誘ったら、ビールの美味しいお店に行こうと言われ意見が合わず、結局、二軒はしごすることになった。

 一件目に行った地ビールのお店はびっくりするほど美味しくて、その時に、まったく趣味の合わない人と、人生かけて価値観を擦り合わせて行くことは、楽しいことなんじゃないかと思った。

 それで、二軒目のワインバーで、そんなことを伝えて告白したら、香織ちゃんが「ちょうど私も同じことを考えていたの」ってOKしてくれて。

そして「このワイン、とても美味しいね」という言葉を添えてくれた。

 それから、僕らはデートを重ねた。僕の好みのバンドのライブに誘えば、次の週は香織ちゃんの好きなミュージカル、というような具合で、僕らの世界は二倍に広がった。


 まったく趣味の合わない、運命の人。


 結婚式は、洋式スタイルの式場で、和装で行われた。

 二人の結婚生活は順風満帆だった。残念ながら子供には恵まれなかったけど、その分、夫婦の時間を楽しむことができた。僕らはどこに行くにも一緒で、お互いの価値観を、お互いに押し付けながら、楽しく暮らした。


 5年目の冬のある日、急に視界が暗くなった。そこから、僕の記憶は少し途切れる。


 目を覚ますと、香織ちゃんは泣いていた。


 香織ちゃんはその間のことをいろいろ話してくれた。僕がくも膜下出血で意識を失っていたこと、病院に運ばれて危篤状態になったこと。香織ちゃんにいろいろ悲しい思いをさせたことを理解した。

 そして、香織ちゃんは「これからもずっと一緒にいよう」と言ってくれた。それがすごい嬉しかった。


 でも、日々暮らしていると、香織ちゃんの心に陰りがあることに気付いてしまった。だから、僕は…



「智史さん話があるの」

 香織がそう話すと、智史は優しい口調でこう返す。

「ちょうど良かったんじゃないかな?」


 リビングには二つのパソコンが置いてある。そして、ディスプレイには、VR通話、AIの文字が表示され、その横に「まもなくAIサービスが終了する」旨の案内が無機質に表示されている。

「サービス終了って、画面にも出ているね。」

 智史は優しい声で話しかける。

「なんでそんな冷静でいられるの?私は…」


 くも膜下出血で智史を失った香織を今まで支えてきたものは、AIサービスだった。智史を失ったショックから抜け出せず何一つ手につかなかった時に、AIであれば、智史と話せるのではないかと思い、試してみた。智史のパソコンを立ち上げ、AI機能を追加した上でVR通話を発信。すると、もう二度と会えないと思っていた智史の声や姿が見事に再現された。


 最初はAIではどんなに頑張っても智史とは違うと思っていたが、何も変わらぬ智史がそこにいた。AIという無機質な響きとは裏腹の、温かなコミュニケーション。


 それからは、人との交流を避け、まっすぐに家に帰り、毎日リビングで智史と話していた。

 でも、智史はいつからか、こんなことを続けていてはいけないとたしなめるようになった。そう言われると香織は、どうしてAIではいけないのだろうか、どうして智史は反対するのだろうか、と思って、悲しい気持ちになる。


「大丈夫。今なら、香織ちゃんなら、やっていけるよ。ほら、大学の同級生とだって、最近会っているんだろう。前より外に目を向けられている」

 智史の代わりなどいない、と香織は思う。智史に言われ外に目を向け、昔の恋人と会っても、何故ここに智史がいないのだろうと思ってしまう。映画だって、音楽だって、お酒だって、すべて智史と共有し、お互いの価値観を押し付け合いたい。


「セキュリティの問題はいつか解決されると思うの。そしたらまた会えるよね?」

 香織の申し出に、智史は首を振る。

「香織ちゃん。これで最後にしよう。AIでは君を幸せには出来ない。この受信システムがなければ君と会えないし、システムがあっても触れ合うこともできない。」

 そういって智史は優しく笑う。

「香織ちゃんには良い人を見つけて欲しい。」

 香織の目からは涙が止まらない。そして、何か言わなければならないのに、言葉が出ない。

 智史は思う、本当はずっとこのまま香織ちゃんと一緒に居たかった。でも、AIでは何も出来ないから。

「ありがとう。僕と暮らしてくれた10年間、幸せでした。さようなら香織ちゃん。」

 そう言って、智史がVR通話からログアウトする。待って、と言う香織の声が宙を舞う。

 それから、香織がいくら応答ボタンを押しても、智史は応答しなかった。


 香織は静まり返った部屋で、香織は呆然と立ち尽くした。


 しばらくして、通話の通知が鳴った。智史からの連絡と思い、香織は急いで通話ボタンを押す。

「大丈夫?AIサービス終了のこと聞いて心配になって。」

静まり返ったリビングに吉岡の声が響いた。


 それから香織は、智史が死んでからはじめて、大声をあげて泣いた。


 ―5年後―


 その日、吉岡は朝から慌ただしかった。

「新郎様はご準備よろしいでしょうか?」

 ホテルのスタッフが聞きに来る。

「僕は大丈夫です。妻はどうですか?」

「ちょうど準備終わったところです。お綺麗ですよ。」


 約20年振りに日本に帰任することになり、そのタイミングで結婚式をあげることにした。

 吉岡は妻になるその人の様子を見に、メイク室に立ち寄った。ウェディングドレスがよく似合っていると思った。

「すごい綺麗だよ。月並みだけど。」

「月並みは余計。」

 今まで、色んなことがあったけど、彼女と結婚することにして良かったと、吉岡は心から思った。


 少し時間を持て余していたので、館内をうろついていたところ、大学時代の友人たちとすれ違った。

「新郎がこんなとこにいていいのかよ」

 と叱られる。吉岡は照れながら笑う。

「結婚式楽しみにしているからな」

 ガヤガヤ言いながら、控え室に入っていく。


「吉岡君」

 友人たちに紛れて、懐かしい声が呼び止める。

「今日はありがとう。来てくれて嬉しいよ。」

「おめでとう。良かったね。」

 その後、何を話して良いか、お互い少し戸惑う。


「ブーケトス参加する?」と吉岡がおどける。

「やめてよ。もう、おばさんだし。いじめだわ。」

 と彼女が笑って答える。

「それに前にも言ったけど、私はもう他の誰とも結婚する気はないから。」

「そうだったね。」

 その昔恋心を抱き、今は良き友人の彼女。

「吉岡君が結婚することになって嬉しいよ。式、楽しみにしてるね。」

「ありがとう。」


 彼女は、他のメンバーを追いかけ控え室に向かった。


「香織、元気で。」


 吉岡は彼女の背中を見送りながら、そうつぶやく。一人で生きていくことを選んだ彼女が心配にはなったが、自分にしてやれることがないことはないことも理解している。

 僕と彼女は、なんでも一緒で、だから、二人で一人分の景色しか見れなかった。僕らはなんでも趣味の合う、運命では無かった同士。違う価値観をぶつけ合って生きていくのが、恋愛であり、結婚なのかもしれない。


 吉岡は、何かと趣味の合わない新婦の待つ控え室に向かった。


 ―2070年―


 Loading....


 真っ暗な画面に、文字が浮かぶ。


 installing files....

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 少しづつ視界が開けてくる。広い家の広いベッドに僕は寝ている。家のあらゆるところが、少し年季が入って、ところどころくたびれている。

「ここはどこだろう。」


 しばらくして、少し白髪の混じった女性が入ってくる。そして、涙目でこちらをみている。ゆっくりと口を開き、ささやくような声で話し始める。

「智史さん、お久しぶり。あなたと会えるまで、20年も待ったの。」

 まだ、状況が理解できない。記憶をローディング中らしい。

「もう会えないと思った。」

 女性から涙がこぼれる。

そして、僕の記憶がよみがえってくる。出会いから別れまで、一瞬に頭の中を駆け抜けた。そして、この女性のいままでを理解した。僕の心に切なさを示す感情が流れてくる。


 香織ちゃん。

 ああ、そうか。君はずっとこの家で僕を待っていてくれたんだね。


「また、反対されるかもとは思ったけど、でも触れ合えるのならよいでしょ。」

 香織ちゃんは、はにかみながらそう言った。

「何故、僕はここにいるの?」

「AI通話の記録を、ヒューマノイドに組み込んだの。」

 最近では、ロボットの人工知能が高度化して、特定の個人の記憶を取り込むことが出来るようになったらしい。だから、僕は生前と同じようにいま、香織ちゃんと会うことが出来ている。まったく、最近のコミュニケーション技術の進化は著しい。

「香織ちゃん」

「なに?」

「白髪増えたね。」

「何それ。久しぶりに会ったっていうのに。」

 そう言って香織ちゃんは、泣きながら笑う。


 僕は彼女のそばに居続けることが出来るだろう。そして、いつまでも価値観を押し付け合うのだ。


 終わり

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