6、無駄な抵抗

「これで、全部元通りだ」


 時間を遡り、閲覧される記録。あの室長室での告白の時の話だ。


「ふざけないでッ!」


 間髪を入れずに、詩音が悲痛な金切り声を上げる。


「アリスを捕まえて、アリス説得して、すぐには無理でもユメも一緒にいればいいじゃない。どちらか一人しかいちゃいけないなんてないのに……」


 話しながら、詩音の瞳から涙が零れ落ちる。


「篝理さん、ユメは本当にどうにも……」

「ならん」


 救いを求める葵を、篝理は一蹴する。


「一種の防衛装置のようなもんだ。人格プログラムの崩壊ってのは簡単に言い換えりゃ、心が破壊された状態になる。そうなった場合、他害衝動や自傷行動を取る危険がある、そうなるのを直前に防ぐための初期化だ」


 いつもだらけていた彼女は、今回に限っては大真面目だ。


「だがまあ、手がないわけでもない」


 そう、篝理は続ける。


「ゆめめちゃんの記憶データは毎度のメンテナンスでバックアップを取っている」

「本当ですか!」


 詩音の顔が晴れる。「だが」と、篝理は続ける。


「パソコンじゃねぇんだ。記憶だけ入れても人工知能に学習させなきゃ意味がない。ゆめめちゃんが最初に人格形成の為に学習したデータは精々八年分だが。それでもゆめめちゃんとしての人格形成に半年かかった。それに目覚めてからの十年分追加での学習、単純に増えるわけじゃねぇ、複雑化した記憶と感情の変化を学習するのに、何年かかると思う? 現時点では何とも言えない」

「そもそも、それじゃあ、十年前と同じだろ」

「察しがいいな筋肉ゴリラ。そうだ、どうやっても、今のゆめめちゃんは戻ってこない。オリジナルの香澄夢芽の記憶を学習したゆめめちゃんの記憶を学習した別の人格のゆめめちゃんが生まれるだけだ」


 それが、現実。あの日と同じだ、一度、嫌というほど味わった。進んだ針は逆には進まない、壊れた者は二度と同じ形には戻らない。

 そんな運命を覆したかった愚かな子供の願いが、ユメとアリスという、歪みを産んだ。という事実を。


「だからさ。仕方ないんだよ。しおちゃんも、葵も、これ以上傷つかなくて大丈夫だから」


 詩音は子供のように大粒の涙を流し、葵は何か案はないかと考える。もう、二人の本来の役割が煩雑している

 室長も課長も各々、頭を抱えている。

 想像していた通り、悪い結果になった。


「なんで……? アタシが……アタシのせい……」


 周りに誰がいるかなど気に留める余裕もないほど、溢れて止まらない。

 ついには、わんわんと鳴き声を上げてしまいそうだ。


「……………………………だあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!」


 考え込んでいた葵が、堰を切ったように大きな声を出す。

 その場にいた誰もが葵に注目する。冷静さを書いていた詩音ですら、目を丸くしている。


「俺より百万倍頭が良い篝理さんでも方法がないって言ってんだ! だったら! どう動いたって、変わらないんだとしても……」


 結局、出来の悪い頭で何も思いつかない。だけど、それでも。


「それでも! 俺は特捜に残ります! どっちでも変わらないかもしれない、でも俺は、最後まで! 無駄な足掻きだったとしても! もう、諦めたくないです!」


 本当に、本当に、本当に無駄な抵抗だ。

 それでも、諦めてしまった彼女に、あの少女の記憶を受け継いだあの子の運命を何もせずに受け入れてほしくない。

 葵は詩音を見る。

 だから、今度は。


「決めただろ。アリスからもユメからも逃げないって。だから、詩音」


 葵が手枷を引っ張る番だ。


「これは契約だ」


 そして、次は詩音が選ぶ番だ。

 葵は詩音にハンカチを差し出す。


「やらないなんて言ってない」


 そのハンカチを詩音は奪い取るように、葵から受け取る。


「そうだよな」


 袖で涙をハンカチで鼻をかみ、詩音は落ち着きを取り戻す。


「取り乱して申し訳ございませんでした」

「ですが、改めてお願いします。俺たちに最後までやらせてください」


 二人の巡査部長は頭を下げる。

 事実を知って、もう手遅れで、この先の結果は分かり切っている。それでも藻掻かずにはいられない。これは、もう二度と、後悔しないために、二人受ける罰だ。


「キミはそんな夢芽が好きだったんだよね……」


 ユメは誰にも聞こえない程微かな声で呟く。諦めの悪さは夢芽から貰った。好きな人への憧れなのかもしれない。それでも、曲げなかったのなら上等。


「やっぱりキミが羨ましいよ、夢芽」


 それでも。と彼らが言うのであれば、ユメも受け入れる。


「そこまでキミたちが言うんなら、私は止めないよ。室長、発言が翻るようですが、彼らを最後の作戦に参加させてあげてください」


 これは、独白。多分、聞いたらしおちゃんも葵も怒ってしまう。


 私は。夢芽じゃなくて良かった。と心底思っている。夢芽のためじゃなくて、二人は自分のために泣いてくれた、諦めないでいてくれた。

 これは夢芽にはあげない。私だけの、私が生きた十年の証。

 なら、偽物でよかった、機械でよかった、生まれてきてよかった。


 だから、今なら胸を張って、死にに行ける。

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