2、リペアリング・ユニット

「『スパイダーネット』の映像記録から銃撃事件の犯人の面が割れたぜ。室長ボス


 ここはRINGの室長室、そこにいる二人の人物はそれぞれタブレットで資料を確認していた。

 技術班の班長、白雪篝理と室長と呼ばれている女性、矢車やぐるま菊乃きくの

 矢車は室長という役職に就くだけあって非常に貫禄のある面立ちの妙齢のメスゴリ……腕っぷしの強そうな女性だ。


「……これを、晴川達に見せろと?」


 タブレットの液晶には、本日未明、サンシャイン屋上で行われたユメとアリスによる問答の一部始終が映っていた。


「それは室長の判断に任せる」

「お前の意見を聞いてる」


 そう言われ、篝理は自嘲するように、あるいは皮肉を込めたように、ほくそ笑む。


「アンタも酷なことを言うなぁ。全部知ってるくせに」

「お前も同じだろ」

「同じじゃないぜ。ただ知ってるアンタと、香澄夢芽の身体を維持するために疑似人格『スパイダーネット』を実際に作って搭載した自分とでは罪の重さは月とすっぽんだ」


 やや軽薄な態度でおどける篝理だが、矢車は依然、厳格な態度を崩さない。


「だから、お前の意見が必要なんだ」

「……警察の一員としては、伝える必要はない。詩音班は全員、先の交戦で大怪我をしている。捜査から外す理由には十分。捜査への貢献もまた十分。逮捕には別のRINGを導入すれば戦力的には問題ない」

「一応、私的な意見も聞いておこう」

「本当に酷だねぇ……自分個人としては……少し迷って、伝えるべきかな……」

「理由は?」


 問われ、篝理は矢車から視線を外しながら語る。


「ゆめめちゃんが知ってしまった……そうなった以上は遅かれ早かれ、彼女の自己は崩壊する可能性がある。同一性アイデンティティの喪失だな。それを阻止するとまでは行かなくても緩やかにするためにも、詩音ちゃん、葵くんの協力は不可欠だ」

「……お前の感情が含まれていないぞ」

「だから少し迷ったんじゃん。自分は死者を辱めた悪逆なマッドサイエンティスト。非難は甘んじて受け入れるべきなんじゃないか?」


 クククっとわざとらしく不気味に笑う。


「……そうか」


 矢車は難しそうな顔をして頭を抱える。


「それは、私も受けるべき非難だろう……だが、アイツらのことを考えると、どれが正しい選択なのか……」

「RINGの室長ともあろうお方が、私情を挟むのかい?」


 笑うのを止め、机の上に手を付け、不躾にも室長、矢車菊乃に顔を近づける。


「事件の解決を優先するなら、アンタはこう言うべきだ『白雪、このことは晴川班には一切伝えるな。スパイダーネットのメモリーから該当箇所を削除しろ』ってな。これが今後も詩音班を使っていくならベストな選択だ」


 判断するだけでいい。手を汚すのは自分だ。

 その目は、そう言っている。


「そうやって、記憶を消しても。一度、自信を貫いた感情までは取り除けない」

「そう、よくご存じで。だから言ったじゃん『遅かれ早かれ』って」


 タブレットをいじくり、矢車の方の端末にも反映させる。

 そこにはカレンダーが映っており、そう遠くない日付に赤く印がある。八月二十四日。夏の終わりの一週間前。


「ゆめめちゃんが、アリス……香澄夢芽の片割れに出会ってしまった時点で、彼女の『ユメ』としての人格は崩壊する」

「……アリスの口ぶりから、この銃撃事件はそれが目的の可能性もある」

「だとしたら、随分とリスキーなことで。映像記録の香澄夢芽は無謀ではあっても馬鹿じゃなかったんだがな」

「それほどまでに香澄に、いや……現状を生み出した我々に恨みを持っていたのか、はたまた……」

「銃撃事件は、つるんでた深海の方の目的だったってことだろ」

「……少し、判断に時間が掛かる」

「いいのかい? 特捜は今この瞬間も、睡眠を削って捜査してるんだぜ」

「分かっている!」

「……まあ早めに決断することだ。自分は伝えるべきは伝えた。そろそろ部屋に戻らせてもらうぜ」


 全権を委ね、篝は室長室を後にする。

 一つ、篝理は室長に黙っていたことがある。


「まあ、自分はアンタの判断より、ゆめめちゃんの希望を尊重するかも知れんがな」 


◇♦◇♦◇♦◇♦◇♦◇♦


「おはよう。ゆめめちゃん」

「……篝理さん」


 見慣れた技術班の検査室。

 ユメが目を覚ますと真っ先に篝理がいた。


「たまには使ってくれとは言った記憶があるが。ぶっ壊れるまで使えと言った記憶はないぜ」


 篝が指さす方を見ると、かつて病院のベッドから起きた時と同じように空っぽの右腕があった。


「……」

「まったくプラネットはボコボコになってるわ、右腕は粉々だわ。たった一晩でよくもこんなに仕事を増やしてくれたもんだぜ」

「……私、生きてる?」


 力なく羽音のように発せられた音は、ユメの問いだった。


「ああ、危ないところだったな。エンジンのいかれたプラネットが最後の力を振り絞ってなきゃ、お前は人生二度目のパラシュートなしスカイダイビングで地面に叩きつけられていたぜ」

「そうじゃなくて……ですね」

「……あん?」

「私は、本当に人間として……香澄夢芽として、生きているんですか?」


 その瞳は懇願するように、篝理を見つめている。


「……どう答えてほしい?」

「はぐらかさないで……真実を」

「真実なぁ……その言い方は少し引っかかる。だってゆめめちゃんは今こうして生きているじゃないか」

「貴方が私の右腕を作った。何か知ってるんじゃないですか……事故で私、本当は夢芽がどうなったのか」

「自分は真実という言葉があまり好きじゃない」

「だから、はぐらかさないでください!」

「ただの『事実』なら話をすることが出来る」


 回りくどい口調でそういったあと、彼女は立ち上がり、デスクで沸かしているコーヒーをマグカップに淹れてユメに渡そうとする。

 少し戸惑ったあと、残った左手で受け取る。


「話をするときにコーヒーは必須なんだぜ、特に不景気な話をするときは」


 篝理は自分のマグカップに角砂糖を五、六個ほど放り込み、粉末ミルクを半分くらいまで盛ってからコーヒーを注ぐ。一口含んで、さらに二個投げ入れて、椅子に腰かける。

 普通なら篝理を心配するか、胃もたれしそうな光景だが、ユメは気にせず自分に淹れられた真っ黒なコーヒーを口に含む。

――いつも通り。うん、いつも通り、


「さて、散々はぐらかすなと言われてしまった以上、ゆめめちゃんの意思を尊重して、お前の身に起きたことを話そうか」

「……」


 ユメはもう一度コーヒーを口にし、胃の中に温かい物が入る感覚をその身に感じている。


「十年前の八月二十四日ベルリン空港行きの旅客機RH712便は成田空港を離陸後、30分頃、およそ400㎞進行後、空中分解した。乗員乗客は全て日本海上空、高度10000mから投げ出された」

「……」

「まあ、こんなことは当時のどの新聞の一面にも載っているほどの大事故だ。だが、どの新聞にも伏せられている事実がある。――総勢300名の内、生存者はゼロだった」

「……」

「落ち着いてるな。まあ当然だろ、航行中の飛行機から突然放り出されれば、落下の衝撃以前に高高度下の低温と低気圧に晒される。どんなに超人的な能力を有している指環持ちとて、そんな状況で生還できるなんてオカルトはそうそう現実には起きてはくれない」

「そう……ですよね……なんとなく、分かってました」

「香澄夢芽の遺体の捜索が行われ、我々が回収できたのは、右腕と頭部を失ったズタズタの胴体だけだった」

「……そして、私を再生する話が持ち上がった……」

「そうだな。指環持ちはただでさえ貴重な存在。それを、世論のイメージアップのためのプロジェクトで絶命させたとあれば、その当時の政治家は二度と表を歩けない――だから、莫大な資金を投資して、研究機関に肉体の再利用を求めた」

 ほんのわずかな一拍。


「自分はその一人だ」


 ショックだったのだろうか。雪崩込む情報に整理が追いついていないような気もしている。


「無論。それを断るという選択肢は無かったさ。機械で生身の肉体を生かす、それがどんなに冒涜的で倫理に背いていていて、どんな結果が待っていたとしても……未来の礎になったから」


 実際、今の世において、ユメのような蘇生例があるかは定かではないが、失った身体パーツを機械で補填し、それが日常生活を送るのに支障がない以上のパフォーマンスでの実現に成功している。

 まさに、革命が起きた。


「頭部、右腕部、機能不全を起こした臓器、器官を当時の叡智を結集させて、機械で再現し、それらを網のように連結し、統括処理が可能な脳に相当する複合型生命維持ユニット『スパイダーネット』を完成させた」


 まるでフランケンシュタイン。それともサイボーグ。どちらにしても、現実味がない。


「それが今、自分の目の前にいるお前だよ……ゆめめちゃん」


 白雪篝理。彼女が告げたのは、実際に起きた、ただの純然たる事実。


「私は……やっぱり、偽物だったんですね……」

「は?」


 ユメの弱気な呟きに、反射的に篝理は苛立ちを露わにする。


「黙って聞いていたかと思えば、何を聞いていたんだお前は」


 そのまま篝理はユメに詰め寄る。どうやら大層ご立腹のようだ。


「自分は、事実を述べただけだ。今の話の中のどこに! お前が真か偽か、そんな益体もない話があったんだ!?」

「え……? だって、私は、私の頭は作られた機械だって……」

「脳みそが機械なら偽物だぁ? 誰がそんな下らない理屈をこねやがった」

「それは、アリス……夢芽の脳を持ったあの子が」

「あんなのは多少、弁が回るだけのひねくれ野郎だろ?」

「え? でも、アリスの脳が本物で……」

「お前の心臓も身体も本物だろうが! たかが脳の一つくらい機械で何を言ってる」


 目から鱗というのは、こういうことを言うのだろうか。


「お前がどう考えているのかは、作った自分にも分からん! だがな、人間が心臓と脳それぞれ別々の人間に分かれた例など、お前らが初めてだ! どちらに同一性があるかなど誰も立証していない! そして自分は科学者だ。しょうもない思考ゲームやパラドックスなどに興味はない。何が「テセウスの船」だ。馬鹿馬鹿しい」

「……えっと」


 篝理が一人で熱くなっている。


「そもそも、人間の細胞なんざ十年もあれば入れ替わるし、記憶も経験も考え方も時間とともに変化する! 十年前の香澄夢芽など、もはや他人だ!」

「篝理さん、分かったから落ち着いてください」

「うっせぇ!」


 もはや冷静なのはユメの方だ。


「ともかく! もし、お前が自分を偽物だと言いたいなら、定義しろ! どちらが真で偽であるか、命題を明らかに、条件を設定し、その上で証明しろ!」


 頭に血が上ると、理論武装を構え始めるのは白雪篝理の悪いとこだが、そんな彼女の姿がどこか、ユメの不安を和らげる。


「ありがとうございます……」

「何が!?」

「私を励ましてくれたんですよね?」

「違う! これは自分の正当化だ! お前が何をどう受け取ったのかはまるで興味ない! ただ、自分や他の研究者が、非人道的だと罵られることは認めん、お前の脳を! 腕を! 作ったことは何一つ間違っていない!」


 きっとこんな粗雑なことをいう篝理にも、負い目はあったのだろう。ユメは彼女になんと言うべきだったのだろうか。

 それは分からないが、ただ、彼女に伝える。


「……まだ、私の中ではっきりしないことは多いけど、篝理さんの言う通り、私も事実を」


 ユメはバランスが悪い身体で立ち上がり、ややよろめく。

 その姿を見て、思わずキレ散らかしていた篝理も思わず駆け寄ってしまう。


「何やってるんだ。生きてるとは言え、お前はまあまあ重症なんだぞ」

「大丈夫です……けど……ちゃんと伝えたくて」


 ややふらつきながら立ち上がり、ユメは頭を下げる。


「ありがとうございます。篝理さん。私を生かしてくれて」

「……馬鹿言うな」


 治るまで大人しくしてろ。とだけ告げ、篝理は部屋を出て行ってしまった。

 ユメはまだ、彼に、彼女にこの事実を告白すべきか、結論を出せていない。ただ、自分を生み出した人間の一人から、少し勇気をもらった。


 部屋の外で、扉にもたれかかっている白衣の女は呟く。


「……ちゃんと笑えるじゃねぇか」


 白衣の中から煙草を取り出し、喫煙所に向かう。


「一服したら、飛び切り頑丈な右腕でも作ってやるか」

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