5、ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
「昨日の今日で悪いな。アリス」
「いえ、僕の方は全然、むしろ雨森さんの方がお疲れのようですけど」
一日が経過して、土曜日ということもあってか、午前のうちにアリスは新宿署を訪れていた。
当直ではないが、特捜が立ち上がった今、半端な状態で帰るわけにはいかなかった葵は班内で情報を共有後、課長に報告後、おっさん臭さが充満する仮眠室で一夜を明かして業務をこなしているところに、名刺を持ったアリスがやってきたのだ。
今は聴取を終えて、署の前までアリスを見送りに来ている。
「昨日の話はお力になりそうですか?」
アリスの姿は昨日の学生服姿とは打って変わって私服姿で、都会の女子校生を絵にかいたような、だと語彙が足りなすぎるな。
ホットパンツにダボっとしたシルエットの長いTシャツ姿で非常に可愛らしい。
「凄く助かってる」
スーツの怖いおじさんばかり目に入る警察署内でアリスの姿を視界に納められているだけで、とてつもない程の眼精疲労回復の効果をもたらしていた。
「なら、良かったです。とても忙しそうにされていたので、もしかしらお邪魔なんじゃないかと思っていたので」
「そんなことないさ。昨日も本当は家族のこと警察に聞かれるなんて嫌なはずなのに話してくれたし、今日の被害者聴取にもすぐに対応してくれた。アリスがいなかったら、そもそも捜査が進展しなかったかもしれない。本当に感謝してる」
葵も不器用ながら精一杯、アリスに感謝を伝える。
どこか、安心しているのか、いつもの仏頂面がほころんでいるようにも見える。
「あの……もし、またなにかかあったら、雨森さんに相談してもいいですか?」
「え……俺の所属してるところ忙しいからすぐに返事できないかもしれないが」
「それでもいいです! あ、いえ……ご迷惑でなければですけど……」
葵は思わず口をついて出てしまった言葉でありすを不安にさせてしまったと思い、慌てて言葉を紡ぐ。
「迷惑なんかじゃないよ。俺なんかで良ければいつでも力になるから」
「ありがとうございます! 約束ですよ、あおいさん!」
少しいたずらっぽく微笑みながらアリスが小指を差し出す。
「……! ああ、約束だ」
アリスからの呼び方が変わって、少し距離が近くなったと感じた葵は、心なしかいつもより力強い言葉で応え、小指を結ぶ。
「それじゃ! ありがとうございました!」
こんなにいい顔をしながら警察署から立ち去る人を見送ったことなど今まであっただろうか? いつも、送り出すときは不安さを拭いきれなかった被害者か一方的に絡んできて暴言を吐き捨ててくる酔っ払いばかりだったからか、やさぐれていた葵は今この瞬間とても満たされていた。
これが、そうか、この掌にあるものが――
――心か
「今のが例の情報提供者?」
「おわっ! なんだ……詩音か」
玄関の柱からひょこっと尾行用にラフな私服を着用した詩音が顔を出す。どことなくいつもより視線が冷ややかな気がする。
「私もいるよ」
その後ろからユメも現れる。その表情はいつも以上に凍り付いているように見える。
「なんだよ……」
「べっつにー、アタシらが必死こいて聞き込みしてた間、若い子見ながらにちゃにちゃデレデレしてるクソ野郎がいるって思ったら、無性に腹が立っただけだから」
「葵、知ってる? 日本の法律では、成人が未成年に手を出すのは極刑なんだよ?」
「いつからそんな厳罰主義になったんだ、この国は……何を勘違いしてんのか知らんがアリスは男だぞ」
「は? 関係ないが」
「その言い訳は時代錯誤だよ」
「随分、寛容な社会になったもんだ……」
たった二人の大切な絆が軽蔑の視線で綻びかけているが、それはそれとして、昨日、葵が持ち帰った情報をもとに、三人は重要参考人と目されている『深海太陽』の尾行、張り込みを行うこととなっていた。
「ユメはすぐに追いかけられるように、少し離れた広めの通りでプラネットと共に待機。アタシとショタコンゴリラは公用車で深海が自宅としているアパートの出入り口を見張る。質問や提案はユメからのみ受け付ける」
「班長! 新しいコールネームに悪意を感じます!」
「黙れショタコンゴリラ! 発言は許可していない!」
「はい、しおちゃん」
「どうしたのーユメー、お前への窓口は二十四時間受け付けているぞ、なんでも聞いてくれ?」
静かにショタコンゴリラは涙をこぼしていた。
「女装男子とショタを混同することは大変危険だとグーグル先生がおっしゃっています。ショタコンゴリラは火種になりかねません。解明を提案します」
「提案を全面的に指示する」
「俺の人権は?」
ショタコンゴリラ(仮)を無視してユメは新しい呼称を提案する。
「女装少年発情ゴリラ、略してジョじ……」
「略さなくていいから……もうそれでいいから……」
「汚ねぇ手でユメに触ってんじゃねぇ! 女装少年発情ゴリラ!」
寸でのところでショタコンゴリラ、改め女装少年発情ゴリラは夢の口をふさぐことに成功したが、その代償に何処から取り出したのか詩音にバッドで殴り飛ばされ、地に伏す。
「ゴリラは絶滅危惧種、少しは大事に扱ってあげよう……」
「ユメが優しい子で良かったな! 女装少年発情ゴリラ!」
「大変差し出がましいお願いとは存じますが、署内の駐車場でその名を連呼するのは控えていただけないでしょうか……!」
自分よりも小柄な女性警官にアスファルトに額をこすりつけ懇願する大男の絵面というものは、どうしてこうも美しく輝きを放って見えるのだろう、真白に眩く灼熱の太陽のようにとてもではないが直視できない。
強面のおじさんたちからすららも白い目で見られて、女装少年発情ゴリラの心は作戦開始前だというのに脆くも崩れ落ちそうになっている。
「大変満足した。それでは現場に向かうぞ、さっさと積みこまれろ、ゴリラ」
「お心遣い……痛み入ります」
流石に良心が痛むのか、詩音は公用車の助手席を開けてやり、心に重傷を負ってズタボロのゴリラの搬入に手を貸してやる。
「遊んでないで、そろそろ行くよ」
「はいはい! さっさとシートベルトしなさい、葵」
「うほ……ってえ?」
「いつまでゴリラごっこしてんのよ。それとも女装少年発情ゴリラのままが良かった?」
「いやそんなことないけど」
「じゃあシートベルト、警官がシートベルト付けないとかありえないから」
そう言われて釈然としないながらも葵はシートベルトをして、詩音の運転で深海の自宅へと向かう。
「さっきのはちょっと悪ノリがすぎた。ごめん」
「いや、そんな気にしてないけど」
「アタシが気にすんのよ、ただの八つ当たりでガキみたいに癇癪起こしたみたいで……」
「癇癪?」
なんで自分の交友関係で、詩音が癇癪を起こすのか、いまいち、葵の中で繋がらない。
「アンタが誰に気を許すかなんて、アンタの自由だってわかってる。ただ、なんか漠然と不安になったのよ『このままアンタの中でユメの優先順位が下がるんじゃないか』って」
「それだけはない。絶対」
即答。と同時に合点も行く。まるで反射神経で応えたのか、とも思えるほどに、葵の中でそれはちょっとやそっとで揺らがないほどに、重い。
「本当にごめん。信じ切れてなかった」
「なんでお前が謝るんだよ」
これは契約だから。
あの日、十年前のあの日、二人で契った誓いはちょっとやそっとでは揺るがない、それは命よりも重いはずだから。
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