RING 組織犯罪対策第三課特異事例対策室 

文月イツキ

一幕 テセウスの夢

プロローグ

彼方からの君に捧ぐ

 緩やかな坂の上、少年は芝生に寝っ転がりながら夕焼けが群青に食われ始めている空に左の掌を伸ばしていた。


「あーおーいっ!」


 名前を呼ばれ少し視線を上げると夕焼けの橙がよく反射する銀色の髪の少女が、少年を覗き込んでいた。


「……黄昏ごっこ?」

「違う」


 おとぼける少女から視線を外してもう一度左手を見る。

 薬指には銀色の指環がくっついていた。


「裏側からじゃ手相は見れないよ」

「違う」


 しつこくおとぼける少女も、少年の視線の先にある指環に目を向ける。


「あのさあのさ、さっきまで図書室にいたんだけどさ」

「急になに?」

「指環って、昔は漢字が違ったんだって、知ってた? 輪ゴムの『わ』だったんだって。可愛くない?」

「漢字に可愛いもなんもねぇだろ」

「わっかんないかなぁ……あ、今のは『輪っか』と掛けた小粋なジョークじゃないよ」

「わざわざ言うなよ……」


 気が付いたら、少女は寝転ぶ少年の隣に腰かけていた。


「あ、制服のまんま芝生に寝転ぶと後から大変だよ」

「お前も今気付いたろ」

「下敷きでも引いておけば良かった……」

「もう、遅い」

「だよねー」


 暫く少女は黙ってたかと思えば、ぼんやり眺めていた少年の左手をガッと握り出した。


「え? え? なに?」

「いや……なんか、待ってた、っぽいから?」

「なんでお前も疑問形なんだよ」

「パーで放置されてる手が気になったのかも」

「考えるより先に動くなよ……」


 心臓止まるかと思った。これは言わない。


「で、なんで左手君をパーで放置してたの? 眩しい?」

「そんな時間じゃないだろ……考え事してた」

「わお、めずら」


 空いた左手でわざとらしく驚いたふりをする。


「かもな」


 実際考え事なんてらしくないなと、少年も我が事ながら疑問に思っていた。


「で、何考えてたの?」

「なんで、ここに指環くっついてんのかなー? って」

「え、14年生きてて今更?」

「いや、普通気になるだろ。ほとんどの人間に指環はねぇんだから」

「授業でやったくない? ウチらは十万人に一人のハイパーレア人間だって」


 西暦がいつからだったろうか、年号はいつのころだったろうか、ある時を境に、世界中で人種性別を問わず極めて稀に指の皮膚が爪のように硬く変質した『指環』がくっついた赤ん坊が生まれるようになったのは。

 変質した皮膚はまるで指輪のような形でありながら、一生涯その指から離れることはない。

 その時代のダーウィンは言う「人類の進化」の新たな形だと。

 最初は装飾品としての指輪と区別を付けるために呼ばれた『指環』。

 指環を持って生まれた人間は一つの例に漏れず、超人的な才能や特技を開花させた。

 その時代の杉田玄白は……あ、いや玄白は訳者で著者ではないが、著者の名前より伝わりやすいだろう。ともかくその時代の医学者は、その指環は人体の異常発達の証であるとした。

 指環があるから超人的な力を発揮するのではなく、超人的な能力を持つからその力に対応した指環が表出するのだと。

 そんな話を、この時代の中学生は歴史だか理科だかの授業で習っている。ましてやこの少年少女はその当事者なのだ。


「いや、それは知ってっけど……なんで左手の薬指ここなんだ? って」

「それ、『自分はなんで日本に生まれたんだろう』みたいな話だよ。完全に神のみぞ知るってやつですよ。運命的な? あるいは、馬鹿みたいな確率の運の話っすよ」

「そんなこと分かってる。どうしても知りたいってわけじゃねぇし」

「じゃあ君は、そんなどうしようもないことに十代の貴重な時間を浪費してたわけだ」

「馬鹿にしてる?」

「いや、ぎちぎちに意味のある時間だけで過ごしてもつまらないしね。あ、今のはぎちぎちに詰まってるはずなのに、つまらないっていう激うまギャグ」

「わざわざ言うなって……」


 少女は制服のまま座ってしまったのなら背中に芝生がついても変わらないと思ったのか、少年の手を握ったままその隣に寝転がり、それに伴い、少年の視界から握ったままの手が消え、芝生のチクチクとした感覚がやってきた。


「まあ、けどさ。まだ指環が、輪っかの方の字で、みんながみんなアクセサリーとして使ってた頃はさ、相手に送ったりして、特別な意味にしてたんだってさ」

「意味?」

「相手に送る指輪は、本当に特別なんだってさ。んで、その指輪は絶対左手の薬指」


 きっと得意気に話してるんだろうな、と少年は思い、少女の方に顔を向ける。すると案の定、得意気な笑顔を少年に向けている少女の顔が間近にあった。


「だ、だから、その意味って?」

「図書室情報だけど知りたい?」

「……知りたい」

 

「『あなたと離れたくない』」


 少女の表情が、変わる

 それはまるで――


「だってさ。だからエンゲージリング。らしいよ」


 まるで……なんだっただろうか、例えるよりも早く、いつものへらへらゆるい口元の表情に戻ってしまっていた。


「……へぇ」

「あれ、反応薄くない?」

「だってよぉ、そんな意味があんのに俺は生まれたころからそこにくっついてんだから。あんま意味ないなって」

「いいじゃん。もともと付けたらその通りの効果が続くってもんじゃないんだし、意味なんて。後から勝手に付けただけ。それにさ」


 愛らしい笑顔で、強く少年の左手を握る。

「僕は右の薬指こっちで良かったって思ってる」


 少女は強く強く少年の手を握る。

 こつん。と渇いた音が静かに耳に伝う。


「ほら、こっちの方がくっついてる」


 少年は負けないくらい、少女の右手を強く握り返した。



 これは別の記憶。


「しおちゃん! しおちゃん!」


 銀色の髪の少女が、チョコレート色の髪の眼鏡少女に声を弾ませながら近寄る。

 近づかれたカカオ40%くらいのチョコ色の少女は、唇に人差し指をかざす。その人差し指には指環がくっついている。

 ここは放課後の図書室、他には司書と上級生たちがいるくらいの閑散具合。


「あぁ、ごめん」


 二人だけで会話が出来るラインまで声のボリュームを落とした少女は話を続ける。


「でねでね、指輪ってピアスとかみたいに着飾る意味だけじゃなくて、色んな意味があるんだってさ」

「試験勉強さぼって何読んでんのよ」

「『指輪から指環へ~意外と知らない時代の変遷~わかりやすい図解付き』」

「タイトル聞いてないから……」

「集中切れちゃったんだよ……今は休憩中~あ、チョコ頂戴」

「ん」


 言われるがままにチョコレート少女は受け入れ準備が万全の銀色少女の口にアーモンドチョコを入れてあげる。


「まあ、アンタが赤点はないだろうけど、絶賛勉強中のアタシに少しは気を使えんかね」

「別にしおちゃんも試験落とさないでしょ」

「まあね、アタシ頭いいし」

「じゃ、なんで問題集解いてるの?」

「これは試験勉強じゃなくて、次の範囲の予習」

「はえ~勉強熱心~」


 わざとらしく感心してみせる銀色にチョコは、シャーペンの動きを止める。


「あんたらが不真面目なだけでしょ。そう言えばもう一人の不真面目は?」

「『試験勉強しようぜ』って誘ったら逃げてった」

「あそ」

「あおいは体力あるから。直前に何とかするんじゃない?」

「提出課題もあるの忘れてるわね」

「言わんどこ」

「そうね」


 器用にペン回しを始めてしまった銀色は、くるくるやりながら大きく口を開ける。


「ふぁあ~あ、甘いもん食べると眠くなるね」

「ここで寝ないでよ、アタシまで眠くなる」

「うい」


 気の抜けた返事に若干呆れながらも、再びチョコはシャーペンをノートに這わせる作業を続ける。


「んじゃ」

「うん、それじゃ」

「晩御飯の前には起こしてね」

「ちゃんと制服着替えてから布団に入っときなさいよ」

「あーい」


 だらしない猫背になった銀色の背中を見送る。


「あ、あいつ本返し忘れてる」 




 これもまた別の記憶。


「あおい、しおちゃん」


 銀色の少女は空港の滑走路が見える窓に向き合っていた。


「向こうに行っても、僕ら幼馴染で親友だから」


 バッと振り返り、うるませた瞳に、二人の幼馴染を映した。



「夏休みに親の実家に帰るだけだろ」

「しかも一週間で戻ってくるし」

「もー、せっかく雰囲気作ったのに」


 ひらひらと隠し持っていた子供用の目薬を振りながら不貞腐れる。


「てか、よく海外なんて許可下りたわね」


 指環持ちはきわめて希少価値の高い人材だ。それゆえに、その身の安全、他者への影響まで鑑みているうちに国際的に定められた法案の議事録はとてつもなく分厚くなっていた。

 特に未成年指環持ちの指定区域からの外出は慎重過ぎる。

 学生の間は衣食住、教育が完備されてはいるものの、その生活は学内での軟禁と言って差し支えない。

 今回、三人もの未成年指環持ちが学外の空港にやってこれたのは、多少の大人の打算が絡んでいたとしても、特例中の特例といってもいい。


「日頃の行いと、精神鑑定の結果が良かったからね……まあそのせいで残りの一週間しか向こうにいけないんだけど」

「まあ良かったじゃん、いつも来てもらってばっかりで申し訳ないって言ってじゃんお前」

「そうなんだよね。おばあちゃんも「来てくれるの楽しみにしてる」ってさっき電話で聞いたよ。めっちゃ張り切ってる」

「ドイツかぁ、アタシも着いてきたかったなぁ」

「詩音が勉強以外に興味持つとか珍しくね?」

「アタシを何だと思ってんのよ」

「そう思ってるのはしおちゃんだけじゃないよ。みんなもっと色んなものが見たいんだ……いつか、みんな自由に旅が出来たらいいね」

「だな」

「そうね」

「よし! 指環持ちの海外旅行の成功例の一つとして、指環持ちの明るい未来の懸け橋になってくるよ!」

「……」

「スケールがでかい。遊びに行くだけでしょ」

「そうだけどさ、いつかみんなで色んなとこ行きたいじゃん?」


 特例が認められた理由の一つが、実験的な未成年の海外渡航の成功。

 希少がために大切に扱われていると言えば聞こえはいいが、指環持ち、特に未成年の人権は往々にして軽んじられやすい傾向にある。

 どこかのなんとかっていう政治家が、この問題に切り込み世論からの支持を得るために今回の話に協力したとかなんとか。


「いいんじゃない。気概はデカいくらいで丁度いいって言うし」

「そだね。あ、そろそろ飛行機の時間だ」


 空港内に銀色の少女が乗る飛行機の搭乗アナウンスが流れる。


「うん、お土産待ってるから」

「りょーかい」

「…………」


 少年は何やら浮かない表情で黙りこくっている。


「あれ、あおいはお土産おねだりしないの?」

「あ、いや、いるっけど」


 銀色の少女に声を掛けられ、少年は思い出したように口を開く。


「どしたの?」

「え? あぁ、いや、一週間って言ってもそんなに離れるの初めてだからさ」


 言葉を覚えたての子供のように、その口調はどこかたどたどしい。


「えぇ、なに? 寂しいの?」

「ち、ちが……くない」

「珍しく素直じゃん」

「だ、からさ。この間、お前話してたじゃん」


 少年はポケットから『あるもの』を取り出した。


「もう、指輪なんて売ってないからさ、こんなんだけど」

 それは針金を不器用に編み込んで作った、無機質だけど一生懸命で不格好な『指輪』

「え……えぇぇぇぇぇ!」


 公衆の場ではしたなく大きな声を上げる銀色に「うるさい」とチョップをかましチョコがたしなめる。


「で、なにそれ」

「いや、こいつがこの間言ってたんだよ、昔は相手に送ったりしてたって」

「言った! けど。これって……」

「やっぱ……こんなへたくそなのいらない、よな」

「いる! めちゃくちゃいる、めっちゃ欲しい!」


 少年が引っ込めようとしたその手をとっさに掴み取る。


「あ、あとで、いらないとか」

「言わない、絶対」


 掴まれた手と反対の手でつかみ返し、少年は指輪を彼女の裸の方の薬指に優しくはめる。


「なんで、指のサイズ知ってんのさ」

「測らなくても知ってる」


 掴んだ手を離す。


「戻ってきたらさ――僕も渡すから」

「待ってる」

「あ、しおちゃんにも作るから」

「え? 何の話?」


 少女はキャリーケースを引っ張って振り返らずに飛行機の搭乗口へと向かっていく。上がった体温を悟られないように。




 ここからの記憶はとてもつまらないので振り返らなくていい。

 結論から言えば――約束は果たされなかった。


 翌日、某新聞社の一面より抜粋

『300人乗り旅客機、空中分解』

 成田空港発、シンガポール経由、ベルリン空港着の旅客機RH712便(乗員乗客含三百人)が日本海上空で空中分解した。行方不明者は百五十人を超え、現在も海上自衛隊が捜索活動を続けている。原因の可能性として機体の整備不良が上げられ――

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