第弐夜

 女子高生失踪事件から一週間後。

 県警や地元の人間の懸命な捜索も虚しく、何の成果も上がらなかった。

 夜明けから日没まで神影山みかげやまを練り歩き、述べ一〇〇〇人が参加したにも関わらず。


彩葉いろは、すまんがちょっと買い出しに行ってきてもらえるか?」


「えー、面倒臭いわぁ。華弥かやに行かせてよぉ」


「ふざけんな居候。絶対に行かないからね」


 世間から注目されているこの土地で、一際怠惰な喫茶店があった。それは私が働いているお店、休憩処しきみ。

 次いでに紹介しておくと、私に買い出しを押し付けてきた女性は衝羽根彩葉つくばねいろは。大学にも行かず、陽咲ひなた神社に住み込みで働いている二十歳。ちなみに本来の持ち場は、この店ではなく、隣の売店の売り子。

 今日は土曜日だから、彩葉も私も朝からお店を手伝っているんだけど……。


「あー、暇。ねえ叔父さん、こんなに人気無い店なのに、何で潰れないの?」


「……お前なぁ、少しは歯に衣を着せて言いなさい」


「だってー」


 今日は参拝客どころか、散歩に来る地元民すらも訪れない始末。その原因は当然、複数の高校生が奇妙な失踪を遂げた事件。

 地元の老人達は、口を揃えて祟りだ罰が当たったなどとメディアの前で訴える。子を持つ親達もまた、存在もしない不審者を恐れて不要な外出を控える。

 お陰様で、こっちは商売上がったりだ。


 カランカラーン。


 そんな中、店頭の引き扉に掛けられた鐘が鳴った。


「華弥、お客さんだぞ。注文を取ってきてくれ」


「ええー、今はちょっと手が放せない」


「どうせゲームでもしてるんだろう? さあ、早く携帯を仕舞いなさい」


「はーい」


 黒貴叔父さんに注意され、仕方なくスマートフォンをポケットに入れる。そして伝票とペンを手に取り、笑顔で来客の元へと向かった。


「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」


「貴方が樒御華弥しきみかやさんですよね。私は一年生の科ノ木琴音しなのぎことねと言います」


 その来客とは、行方不明となった高校生の一人、科ノ木和琴しなのぎわかなさんの妹だった。その表情は至って険しく、このお店に似使わぬ剣幕。

 彼女がここに来た理由は、爽やかな休日の朝に目覚めのモーニング珈琲を一杯。なんてお気楽な理由ではなさそう。


「へえ、そうなんですね。で、ご注文は?」


「貴方にどうしてもこれを観てもらいたくて、今日はここまで来たんです」


 ……本当に客じゃないのかよ。だったら用は無いわね。


「あー、ごめんなさい。今は仕事中なんで」


 そう言いながら、すぐに踵を返す私。


「お願いします! 少しだけでも良いんです!」


「はぁ……じゃ、観るだけですからね」


 この子の事情を知っているだけに、蔑ろにもできない私は、渋々琴音さんの隣に座った。差し出されたスマートフォンの画面を覗くと、彼女の細い指が画面に触れた。


「この動画、お姉ちゃん達が失踪当時に配信していた映像なんです」


 そこに映っていたのは、やはり美嘉みかさんと和琴さんの姿だった。最後に見た時と同じ制服姿で、手には懐中電灯とスマートフォンを携えていて。


 ━一週間前・配信された動画━


「みなさん、こんばんはーっ! 心霊怪奇女子ちゃんねるの美嘉でーす!」


 動画の始まりは、神影山の麓にある双湖ふたこダムから撮影されていた。二人の背後には、鬱蒼と生い茂った草木と、荒れた獣道が山中へと続く。辺りも薄暗く、街灯さえ灯ってはいない。

 流石に深夜ではないだろうけど、まさか夜の間に訪れてしまっていただなんて……。


 ピコン。


 画面の中から聞こえる通知音。それと同時に、流れるように視聴者からのコメントが表示されていく。


(いつも楽しく見てます! )

(俺、和琴ちゃん派)

(JK二人だけとかwww 痴漢が出たらやばいでしょwww)


 まるで緊張感の無いコメントの数々。

 もしもこの中に、彼女達に警告する者がいたなら……。


「今日はなんと、地元で有名な心霊スポットに来てまーす! 和琴、説明宜しく!」


「あっ、えっと、この先にある廃村は、昔、夏になるとお祭りを開いていたらしいんです。でもある日、精神疾患を患った男性が迷い込んできて、拾った鉈でみんなを殺しちゃったんだとか……だっけ?」


「もう! 和琴の説明、雰囲気無さすぎー」


 画面越しから聞こえる、美嘉さんの落胆する声。


「という訳で、今日はいろんな心霊グッズで検証をしていくからね! それじゃあ早速、行ってきまーす!」


 そして画面の中の二人は、山の中へと入っていった。


 ザザッ、ザザッ、ザザッ。


 大音量で聞こえてくるのは、二人の足音。

 遠くからは野鳥の鳴き声が甲高く響き、獣の唸り声がスピーカーを震わせる。草木が風に揺られる度に和琴さんが背筋を丸め、しきりに懐中電灯を照らす。

 そんな彼女のすぐ後ろには、白い服の女性が付いて歩いていた。僅かに動く口許は、三文字の言葉を延々と発している。

 カエレ・・・、と。


「……ねえ、やっぱりやめようよ」


「駄目に決まってるでしょ? だってこれ、生配信なんだから。ほら、コメントも沢山くれてるよ」


 ザザザッ、ザザザッ、ザザザッ。


 ピコン。


 尚も歩き続ける足音と、通知音が森に反響する。


(和琴ちゃんのおっぱい揺れてる)

(あれ、足音増えてね?)

(美嘉、そこで転んで)

(なんか男の声聞こえた)


 白い服の女性の存在には、やはり誰も気付いてはいない。足音だけは、鳴っているのに。


「はぁ、はぁ、みんなお待たせ! 廃村に到着でーす!」


 二人が山を登り始めて一時間が過ぎた頃、森の中には朽ち果てた木造の家屋が点在していた。

 どんよりとした空気が辺りを漂い、うっすらと霧が立ち込める。


「早速、この家に入ってみますねー」


 ガラガラガラ。


 スマートフォンを向けながら引き戸を開き、躊躇なく侵入していく美嘉さん。玄関跡でレンズを振り、その屋内を映し出す。

 割れた窓の下には赤黒い染みが残り、古い家具が無惨に転がっている。

 柱の裏には、こちらを覗く黒い影が。


 一通り家屋を探索した二人だったが、次第に口数が減り、早い息遣いだけが音声として流れる。

 それはきっと、二人の中で焦りと不安が襲っているからだ。


「……あれ、おかしいなぁ。ここで合ってるはずなんだけど」


 突然足を止めた美嘉さんが、本音を漏らしてしまう。


「ねえ、美嘉ちゃん。亜紀ちゃんが脅かす予定だったのって、この家だったよね。どうしよう、どこにもいないよ」


 ピコン。ピコンピコンピコン。


(ネタバレしちゃったよwww)

(さっきの足音、やっぱりもう一人いたのか)

(はいやらせ~)

(これも演技?)


 次々と通知音が鳴り続け、画面いっぱいにコメントが流れていった。

 でも今の二人には、そんな事を気にかけている余裕は無いのだろう。実際にその場にいるからこそ、彼女達には肌で感じ取れているんだ。

 この家には、何かがいる・・・・・、という事を。


 ガタッ。


 その時、廊下の奥から物音が聞こえた。耳を澄ませば、ひたひたと水滴が零れ落ちるような音も。


「……亜紀? そこにいるの?」


 廊下の奥を懐中電灯で照らし、呼び掛ける美嘉さん。浮遊する埃が照明を照り返し、人の顔を形作る。

 それでも彼女達が注視するのは、磨り硝子の扉だった。ゆらゆらと反復する白と黒のモザイクは、その先に誰かがいる証拠。

 彼女達の制服は、偶然にも白のブラウスとと黒のスカート。だとすれば、そこにいるのは……。


「亜紀……ちゃん?」


 和琴さんがそっと手を伸ばし、扉を引く……。


「えっ……」


 開放された扉から現れたのは……。

 古びた縄で首を吊られた、亜紀さんの後ろ姿だった。


 ドサッ。


 人形のように床に転げ落ちた亜紀さんは、微塵も動かずにこちらを凝視していた。今にも千切れそうなその首からは、多量の血が溢れ、排水溝へと流れていく。


「……い、いやぁぁぁぁ!!!」


 スピーカーが割れるほどの悲鳴が轟き、映像が激しく揺れる。

 往々にして映し出されるのは、錯乱するように駆け出す美嘉さんと、振り回される懐中電灯。

 そして、その照明ライトに照らされた、腐りかけの人型何か。その何か・・に掴まれ、必死に振りほどく和琴さん。


 ガガッ! ガガガッ!


 最後に映っていたのは、森の奥へと逃げ延びる二人の姿だった。

 千切れかけた首をだらりとぶら下げた、血塗れの亜紀さんに追われながら。


 ピコン。


(えっ、何これ……)

(作り物すぎて草)

(本当にやばくね?)

(とりあえず警察呼んどいた)


 ピコン。


(やり過ぎ。エグい)


 ピコン。


(首……取れてた)


 そこで映像は途切れていた。

 この配信を見ていた人は、誰も気が付かなかったのだろう。見えていなかったのだろう。


 二人を追っていったのは、亜紀さんだけではない事を……。

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