神憑りの巫女
緋色
第壱夜
黄昏時。それは太陽が沈み、夜の帳が降りる頃。暗闇を恐れた人々が、安全な場所に逃げ帰る時間。
逢魔時。それは怨霊達が目を覚まし、生者を襲う前触れ。幽世から溢れ出した魑魅魍魎が、人々を連れ去る時刻……。
「華弥、早く起きるんだ。学校に遅れるぞ」
太陽が昇り、死者達が鳴りを潜めた頃、私は夢の世界から引き戻された。
そう。私の名前は
「んん、んん……お早う、叔父さん」
のそのそと布団から顔を出す私の真上には、髭面の大きな男性が見下ろしてきている。
この人は私の叔父、
言うまでもないけれど、私が暮らすこの家は、代々受け継がれた神社の中だ。
「それじゃ、行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
黒貴叔父さんに小さく手を振り、石階段を駆け下りる。と言っても、百段にも満たないなだらかな石段だけれど。
私が暮らすこの土地は、関東の中でも飛び抜けて緑いっぱいの片田舎だ。通っている学校まで行くのにも、一日に数本しか出ていないバスに乗る必要がある。
まぁ、街に着けばそれなりに栄えているから、そこまで不自由も無いか。
でも私は、この景色が好きだ。一面に広がる田畑には、心穏やかな農家の人。透明な河原で無邪気に遊ぶ、お母さんと子供達。
それもこれも、全部黒貴叔父さんのお陰だ。
だってこの土地には、古くから人々を脅かす怨霊が住み着いているのだから。
「ねえ、この動画面白くない? 事故物件に住んでみた、だって。絶対無理だよね」
「ええー、どうせ作り物でしょ? 目立ちたいだけじゃん」
バスに揺られながら、スマートフォンの画面を覗く学生達。たとえ田舎に住んでいても、流行っているものは何も変わらない。それが今の情報社会。
むしろ最近では、わざわざ好き好んで都心からここに引っ越してくるくらいだ。
そもそもこの土地は、古くから霊が集まる場所として一部の界隈では有名だった。
それに加えて、自然豊かな山々に囲まれ、澄んだ川が穏やかにせせらぐ。今では避暑地として密かな人気だけれど、かつては忌み嫌われた土地だと恐れられていたのは事実。
一家惨殺事件。自殺の名所。曰く付きの儀式。ただのオカルト好きが作った噂話だと、人々は言う。
でもそれは、全て実際にあった話だ。
「久保ヶ淵駅前ー、久保ヶ淵駅前ー。お降りの際は、お忘れものにご注意ください」
学校近くの停留所で降りた私は、街の中を歩いていた。閑散とした商店街を抜け、大通りを目指して。
『あぁぁ、あぁぁ……いたい。いたいぃ』
街中の雑踏をゆらゆらと進み、唸るように呟く虚ろな男性。その人は、私の顔を覗きながら通り過ぎていく。
普通なら変な人だと注目を浴びるはずが、他の通行人は見向きもしていない。
例えその人の身体が、右半身だけでも。
そう。私の秘密とは、死んだ人の姿が見える事だ。
恐らくこの男性は、去年の冬に電車に轢かれて亡くなった地縛霊。事故当時は身体の左半分が見つからなかったみたいだけど、車両点検の時、電車の底にこびり付いていたのを発見された。
本来なら余程の未練が無い限り、死人はすぐに成仏するはず。でも、この土地だけは違う。
遡る事大正時代、この土地を囲む山々の山間には、大層栄えた村があった。
そこは
でもある日、一夜にして村は滅んだ。
世間では土砂崩れや地震なんかの災害などと言われているけれど、真実は文字通り、闇の中。
それからと言うもの、この土地は穢れを纏っていった。そしてその穢れは、決して死者を離しはしない。
全てはあの山、神影山から始まったんだ。
━県立高校・放課後━
キーンコーン、カーンコーン。
いつも通りの学校生活を終えた私は、急いで教科書を鞄に詰めていた。
それは黒貴叔父さんが趣味で始めた喫茶店を手伝う為。私が早く帰らないと、夕刻から忙しくなるお店が回らなくなるから。
「ねえねえ、貴方って陽咲神社の娘さんだよね!」
廊下を速足で歩く私に、何のお構い無しに声をかけてくる一人の女子生徒。
確かこの人は、この学校でも有名な三年生、
頻繁に曰く付きの場所に行っているせいなのかな。彼女の姿を見る度に、腰の辺りには白い手が巻き付いている。それに男の人が隣に立っているし。
まぁ、害は無さそうだし、本人が気づいていないなら良いか。
「今から
「あー……ごめんなさい。今日はちょっと、用事があるので」
「そっかぁ、残念。樒御さんがいたら心強いのになぁ」
神影山。その名を聞いた瞬間、私は言葉を詰まらせた。
夜のあの山は本当に危ない。今すぐ引き止めるべき。心の奥ではそう言いたかった。
でも、呪いなんてものを誰が信じるだろうか。引き止めるどころか、却って好奇心を刺激させ、より深くまで探索してしまうかもしれない。
「あの、棗先輩、神影山に行くなら、陽が沈む前に……」
「あっ! 琴音ちゃーんっ!」
せめて少しだけでも助言を、と声をかけた瞬間、美嘉さんは他の女子生徒の元へと駆け出していってしまった。
……きっと大丈夫よね。動画を配信するだけなら、流石に夜に行ったりはしないだろうし。だって、未成年なんだから。
「今からみんなで生配信やるんだけどー!」
「すみません、忙しいので」
艶やかな黒い髪をさらりと流すその子は、あしらうようにそう返す。
しかしその子は、私も美嘉さんの仲間だと誤解しているのか、鋭い目付きで睨んできていた。それもずっと前から、不振そうに。
「えー、残念。琴音ちゃん可愛いから、絶対バズるのに」
「ちょっと美嘉ちゃん、私の妹まで巻き込まないで!」
慌てて割って入ったのは、普段から美嘉さんと一緒にいる三年生、
美嘉さんとは対称的に、大人しめな性格の優しそうな先輩。そんな彼女だから、美嘉さんには振り回されてばかりいるみたいだけれど。
「はいはーい。まっ、いざとなればぁ、和琴の谷間を見せて再生回数を稼げば……」
「絶対見せないからね!」
「二人共、おふざけはそれくらいにして、そろそろ行くよ。どうせ幽霊なんか居やしないんだし、私達だけで十分だって」
そしてもう一人の美嘉さんの取り巻き、
そんな性格も容姿も散り散りな三人だけど、戯れ合う様子を見た限りでは、本当に仲の良い友達だったのだろう。
……でも、この日を最後に、彼女達を見た者はいなかった。
翌日には彼女達の失踪が話題となり、多くのメディアに取り上げられた。ネット上では、ありもしない陰謀論まで飛び交っていて。
拉致監禁。遭難。家出。様々な視野から警察やボランティア、地元の自警団が捜索に当たった。
でも、僅かな手掛かりさえ、見つかりはしなかった……。
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