第8話 揺れる森 ②

「ごめん! お願いだからしっかり掴まってて!」


 ファンチの背に何とか引き上げた兵士2人に声を掛けて、必死に手綱を繰る。鋭さを増して追跡して来る根を避けるために右に左にとジグザクに戦場を駆ける。


 はぐれの追跡は凄まじく、執拗にフェスタローゼを追って来る。

 その内の1本がファンチの足に絡みつき、ファンチがガクンと体勢を崩した。それに気を取られて振り向いた瞬間、更に伸びて来た太い根があっという間にフェスタローゼの体に巻き付いて、ファンチから彼女をもぎ取った。


「姫様!!」


 フェスタローゼの体が大きく弧を描いて後ろへと飛んで行く。ラムダの絶叫が耳を掠めて、瞬時に遠のいて行った。

 何本もの根に絡め取られたフェスタローゼの体が地中に引きずり込まれる。


「どけぇぇぇ!!」


 ラムダがはぐれに飛びかかり死に物狂いで斬り付ける。精道を乗せた刃が何度も何度も振り下ろされるも、何重にも組まれた枝が邪魔となってその根元に到達できない。

 

 辛うじて地表に出ていたフェスタローゼの手が、じりじりと地中に吸い込まれる。ざり、ざり、と土を掻く軌跡だけを残して、遂にその手までもが引き込まれて行った。


「はぐれの枝を打ち払ってください! 早く!!」


 エルマイネの号令で近接部隊が大斧を振って参戦する。

 はぐれの方も天を覆わんばかりのその巨体を震わして、応戦して来る。茂る葉を打ち鳴らして向かって来るその姿は、山が迫って来るがごとき圧倒感だ。


 樹人は獲物を地面の下に捉えて養分とするため、救出が遅れる程にフェスタローゼ生存の可能性は加速度的に低くなっていく。

 そのことが一同を焦らせて、はぐれを狩る手に力を込めさせるものの、力押しが通用する相手ではない。


「ああ、くそっ!!」


 焦れたラムダの叫びが空を衝いたその時、無数の根が縦横無尽に這い回って荒れ果てた地面に、ボコボコと内側から土が盛り上がった。

 盛り上がった土が内側に少しだけ凹む。直後、ばこぉぉん、という破裂音が辺り一帯に響き渡った。


 噴きあがった土塊と共に、はぐれの根が千切れて四散する。甲高い悲鳴を轟かせるはぐれの根元から飛び出したのはハヤカゼだ。驚く一同の頭上を大きな影が横切る。

 すたっと華麗に着地したその口元には、しっかりとフェスタローゼの襟足が咥えられていた。


「姫様!!」


 いち早く駆け寄って来たラムダが、土にむせるフェスタローゼをがばりと抱きしめる。彼は土まみれの彼女の頬を手荒に拭いてやると、額を寄せて「良かった! 姫様、良かった……!」とその背中を何度も何度もさすった。


「ハヤカゼ! お前っ、大好き!!」


 ラムダに耳と耳の間をわしゃわしゃと、もみくちゃにされたハヤカゼは誇らしげに胸を張って、悠然とお座りをした。だが、直ぐにぴょんと立ち上がって上空に鼻を向ける。


 ひゅうぅぅ、と風を切る音が上空からする。


「お前達っ! 邪魔だ、下がれ!!」


 ナギハの怒声がして、光の柱が一条、空から地面へと駆け抜けた。ずんっと腹に響く重低音がして風に巻かれた枝が、爆発的な勢いを持って周囲に飛散する。ごうぅぅぅと荒れ狂う突風が収まった頃には、はぐれの巨体は最早、存在していなかった。


 そこにあるのは、一刀両断された無惨な切り口を晒して横たわる巨木と、抜身の刀に縋って地面に膝を着いたナギハの姿のみだ。


「ナギハ様!」

 駆け寄ろうとしたエルマイネを片手で制して、ナギハは苦しい息の下からなおも指示を出す。


「……全軍の指揮権をお前に渡す。……残敵を殲滅しろ、エルマイネ……」

「承知……致しました!」


 エルマイネはすぐにファンチに飛び乗ると「左翼を再編した後、一定の間隔を持って前進! 焦らずに、着実に進んで下さい!」


 彼の冷静な指揮に、平常心を取り戻したカザクラ大公軍が流れる速さで見事な陣形を組んでいく。今の帝国軍で、これほどの動きのできる方面軍がどれだけあるか。

 口中に残る土の残りかすを、ジャリとフェスタローゼは噛み締めた。


「お前、動けないのか」


 ラムダの声がする。

 はぐれの傍らにうずくまったナギハをラムダが見下ろしていた。刀に縋ったままの彼女は、諦めたように小さく笑んで「情けないことにな」と、返す。

 対するラムダの声は固く、若干の怒りを含んでいた。


「お前、体内の精道が尽きかけてるじゃないか。まだ250歳前後だろ? 幾らなんでも早くないか」

「……私はこのカザクラの地、唯一人のエフィオンだ。守役達のような教導が私には全くない」

「それなのにあんな無茶なことを」

「無茶は承知の上」


 ナギハはぐいと顔を上げて、ラムダを挑戦的に睨み上げる。やや釣り目がちの瞳が強い思いを宿して午後の光に煌めいた。


「この身はカザクラ家とこの地に住まう全ての民に捧げている。無茶が如何ほどのものか」

「……切り株嬢はしゃあねぇなぁ」


 ラムダはガシガシと首元をさすってから、おもむろに左手をナギハのうなじに当てた。

「動ける程度に融通してやるよ」

「流石、若い身から渡されると快感だな」

「……言い方、やめて? 姫様見てるし」

「2人して何をしてるの?」

「ふふ、秘め事だ」

「本当にやめて?!」


 ラムダはぴしり、とナギハのうなじを叩くと肩を貸して、彼女を立ち上がらせた。

「俺達、エフィオンはね“教導”つって、お互いの精道を交わし合うことがあるの。そうやって個々の精道を浄化して、体の機能を正常に保つんだよ」

「ではナギハ様は」

「年は取りたくないな」


 トットッと歩いて来たハヤカゼがその背中に柔らかくナギハを受け止める。

「ほら、姫様もこっち。2人共、負傷兵だからね!」

「分かったわ」


 素直に頷いて、ハヤカゼの背に乗る。

 座ることができずに、くたりとしたナギハの上体を後ろから支える。抱き留めた彼女の背中は思いの外に薄く、頼りない。見た目は同年代でも、老いは確実にナギハの体を蝕んでいた。


「守役、エルマイネの遊撃隊はお前に頼んだ。先程の奮戦は見事だったぞ」

「はいはい。負傷兵はとっとと運ばれてください」

 ほら、行った行ったとわざと邪険にラムダは追い払う。


 ファンチに飛び乗って去って行くラムダを見送りながら、ナギハは嬉しそうに口元を綻ばせた。

「あれはいいな。いい奴だ」

「ええ」

「ところで、皇太子。お前に尋ねたいことがある」

「何でしょうか」

「エルマイネはお前に兵士を助ける様に指示をしたか」


 厳しく問い詰める口調にフェスタローゼは唇を噛み締めた。

「……いいえ」と冷えた胸の底から絞り出す。


「あれは私の独断です」

「戦場にあって、指示のないまま個別に動く事は却って全体の窮地に繋がることもある。戦場では指揮は絶対だと覚えておけ」

「承知致しました。勝手な振る舞いはもう致しません」

「分かればいい」


 ナギハの体からふぅと力が抜ける。

 彼女はフェスタローゼの胸にそっと頭をもたせかけると、「でもまぁ」と呟いた。


「カザクラの民を2人救ってくれたことは礼を言う。ありがとう」

「……はい」


 風に乗って、勝鬨が聞こえて来る。2人は背後を振り返った。

 拳を突き上げて、勝利の雄叫びを上げるカザクラ大公軍を見つめるナギハの目は、愛し子を見守る母の眼差しそのものだ。

 辺境にあり、その土地と民を包み込み続けたその眼差しの優しさと、揺るがない在り様がフェスタローゼの胸にひしひしと迫って来る。


「どうだ、皇太子。これが我らカザクラ家の戦いだ」


 誇りを込めて言い切ったナギハの言葉に応える代わりに、フェスタローゼは彼女の肩にそっと額を当てた。

 ハヤカゼの背に揺られて退却していく2人の上に、早い春の陽光が浅い光を投げかけていた。



◆◇◆


 帝紀467年 3月カリュナール

 前年、玉都アディリス=エレーナを脱出した皇太子フェスタローゼは、度重なる試練を乗り越えて、ついに南方の雄・カザクラ大公領に至った。

 一方の玉都では、変調を来しはじめた皇帝リスディファマスの乱脈ぶりが宮廷を静かに蝕み始めていた。


 巨大帝国の混迷は、ゆっくりと深まりつつある。



                             第2部【完】

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