第2話 側室との対面


 目覚めると、何故かヘルガが隣りですごい寝相で寝ていた。今にもベッドから落ちそうになっている。


(狭いのになんでわざわざ····)


 類は起こさないように、そっとヘルガの頭をベッドの端からずらす。


「ん····」


 モゾモゾと体を動かして、ヘルガは寝返りを打った。まだ起床時間まで時間があるし寝かせておこうと思い、類はそろりとベッドから降りた。

 時計の針は五時五分をさしていた。時計で時間を管理するのも人間界と同じなんだなぁと思う。

 49日経つまでにここを出る。その目的を達成するためには、まずは雷帝に近づかなくてはならない。あと残り48日。それが長いのか短いのか、今は判断出来ない。


(気に入られすぎても離してくれなかったりするかな?)


 昨日のヘルガの話を思い出しふとそう思うが、類は自慢じゃないが男にそこまで気に入られたことはない。その逆を心配した方がいいだろうと思い直す。


(とりあえず初見で殺されるのは嫌だから、徹底的に女装して気に入られて、その後徐々にさり気なくメッキを剥がす形で幻滅させるとか····)


 雷帝の姿は知らないが、見知らぬ恐ろしい男に鋭く尖った剣の切っ先を向けられる映像が脳裏をよぎり、青ざめる。


(いや、幻滅させたら駄目か····。どうやって雷帝に天上界の門を開いてもらうかは、考えものだなぁ)


 類は椅子に腰掛けてうーんと唸る。死を回避するために仕方なくここへ来たが、死神も『雷帝は恐ろしい方』と言っていたし、そう簡単に元の世界には戻れそうにない。


「おはよ」


 突然声がしてふと横を見ると、ヘルガがベッドから上半身を起こしていた。メデューサのように髪の毛が様々な方向に跳ね上がったまま、ボーッとしている。


「あ、おはよ」


 類は顎に手をやったまま返事をする。


「····王子様」

「え?」

「みたいね、あんたって」


 何を言うのかと思ったら。ヘルガからもそんな言葉を聞くとは思わなかった。


「寝ぼけてないで顔洗って来たら? そろそろ食事の時間だよ」


 ヘルガはモゾモゾとベッドから降り、洗面台へ向かった。部屋にはトイレと洗面台が備え付けられている。まるでビジネスホテルの一室のようだ。下働きでこれなら、女官は一体どんな部屋に住んでいるのだと想像を巡らす。優雅な暮らしをしているとしたら、ヘルガが女官にこだわるのも頷ける。




 食堂へ行くと、大勢の下働きの女たちが集まっていた。

 その広い空間には20メートルはあるだろうかという長テーブルが4台並んでいて、その上には所狭しと人数分の食事が並べられている。昨日厨房の管理者が言っていたように、下働きの女は随分数が多いらしい。

 食堂は建物の一階にあって、扉の反対側には庭が見える。


「あ! ルイ様!!」


 目の前の女が類に気づき、ザッと道をあけた。それに続くように、他の女たちも道をあける。類とヘルガの前には、二人並んで歩けるほどの通路が出来ていた。その先はテーブルに繋がっている。

 

「あんた、ヤバいね」


 ヘルガがまた笑いを堪えるように言った。とりあえず通路をヘルガと二人で歩いていると、ヒソヒソと声が聞こえる。


「あの女、何? 何で当然のようにルイ様の真横を陣取ってるのかしら」

「あのふてぶてしい顔! ちょっと綺麗だからって図に乗りすぎじゃない!?」

「昨日も一緒に作業してたわよ? 同じ部屋って噂もあるわ」

「嘘! やだぁ! ルイ様ぁ」


 類は何度もこういう場面を経験したことがある。類が特定の誰かと一緒にいる時、その人物は嫉妬の対象になる。母親と歩いていた時ですら噂になった。だから類は誰とも仲良くなりすぎず、当たり障りなく接してきた。親衛隊が取り巻くようになってからは、特にそうだった。


 チラリと隣を見ると、ヘルガは全く気に留めた様子もなく、上機嫌で歩を進めている。女たちの声は聞こえているはずだが、気にしないフリをしているのか。しかし動揺した素振りは全く見られない。


「どうかした?」


 視線に気づいたのか、チラリと横目で類を見るヘルガ。その口角は上がっている。


「う、ううん」


 類は慌てて首を横に振る。ヘルガなら、自分の隣にいてくれるかもしれない。堂々としたヘルガの態度を見て、類はそんな淡い期待をせずにはいられなかった。


 席につくと、周囲がソワソワしているのが容易に感じ取れた。誰も自分たちの隣や正面に座ろうとしない。


「快適快適! 一番眺めの良い席で、前も隣もいないしゆっくり食事出来るわー」


 ヘルガがよく通る声でそんなことを言うので、さらに目をつけられるのでは? と類はヒヤヒヤする。案の定、少し離れた席からギロリと数人の女たちの鋭い目線がヘルガを射抜いている。しかし全く気にしないヘルガは、ムシャムシャと機嫌良くパンをかじる。



 しばらくして、後ろが突然ざわついたので、思わず類とヘルガは後ろを振り返った。


 その目線は迷うことなく一点を捉える。


 一際目立つ豪華なドレスを身につけて食堂の入り口に立ち、切れ長の鋭い目を下女たちに向けている人物。


「エリサベト様!」


 下女たちは一斉に席を立ち、頭を下げる。類が呆然としていると、「ルイ様! 雷帝のご側室のエリサベト様です」と近くの下女が教えてくれた。慌てて席を立ち、頭を下げた。見るとヘルガもそうしていた。


「“ルイ”っていう女はどこ?」


 エリサベトはドスの効いた低い声で、近くにいる下女に聞いた。下女は恐る恐る離れた席にいる類に目線を向けた。


「あ、あの人です。背が高くて黒の短髪の····」


 その瞬間、類に鋭い視線が突き刺さる。エリサベトが、標的を捉えたとばかりに目を見開き、その眼力で射殺すようにオーラを放ってくる。


「あちゃ〜、南無阿弥陀仏」


 ヘルガがどこで覚えたのか、お経を口にして頭を下げたまま目を閉じている。


 エリサベトはゆっくりとこちらへ足を運ぶ。ヒールの音と共に、ゴージャスなロングドレスの裾がスリッスリッと床を擦る音がする。類と同じ長テーブルの近くに立っていた下女たちは、エリサベトが近づくにつれ、徐々にテーブルからスススと離れていった。


 エリサベトを立ったまま凝視する類の目の前に来た時、わずかに怯んだようにエリサベトは表情を動かした。


「お前が“ルイ”?」

「は····はい」

「········」


 類が戸惑いながら突っ立っていると、エリサベトは美しい顔を歪め、不機嫌な顔になる。


「無礼者!!」


 突っ立っていたのが気に触ったのか、突然叫んで類の頬を持っていた羽つきの扇子で叩いた。スパーンという音がして、類の頬は赤く染まる。


「ルイ様!!」


 思わず叫んだ下女は、ハッとして口を手で押さえる。


「ルイ····『様』ぁ?」


 叫んだ下女を血に飢えた鬼女きじょのような恐ろしい顔で睨んだエリサベトは、類の前を離れ、下女の元へゆっくりと進む。

 周囲に立っている下女たちは一様に顔を青く染める。空気が一気に張りつめた。


 下女はガタガタと体全体を震わせ、座り込む。目を見開き「も、申し訳ございません、申し訳ございません」と唱えるように呟いている。


「もう一回言ってみなさい? 誰に『様』をつけたの?」


 扇子を振り上げ、下女の頭に向けて振り下ろされた時、類はその腕を力いっぱい掴んだ。


「! いっ!」


 そして捻り上げるようにすると、エリサベトは苦悶の表情で「ぎゃああっ!」と叫んだ。


「ルイ!!」


 ヘルガの声で、ハッとした類は手を離す。ペタリと座り込んだエリサベトは、はぁはぁと肩で息をして腕をおさえる。

 周囲の下女たちはどうすることも出来ず、息を飲んでその光景を見守っている。誰も微動だにしないその広い空間で、エリサベトの荒い息遣いが響く。


「あんた····どうなるか分かってんでしょうね····」


 低く唸るように放たれた言葉を、類は受け止める。雷帝の側室に手をかけた罪は軽くないだろう。分かってはいたが、あの状況ではああするしかなかった。自分のために叫んだ下女が叩かれるのを、黙って見ていられるわけがない。


 すると食堂の入り口から、パタパタと二人の女官たちが駆けてきた。


「エリサベト様!」


 女官たちは腕を押さえて座り込むエリサベトを見て青ざめる。差し出された女官の手を振り払い、エリサベトは類を睨みつける。


「あんたは雷帝に会う前に、この私がここから追い出してやるから覚悟してなさい!!」


 スクッと立ち上がり、類より十センチは低い身長で下からめつけながらそう叫んだ後、くるりと踵を返しカツカツとわざと怒りを表現しているかのようにヒールを踏み鳴らして、女官と共に食堂を出て行った。


 嵐のようにやってきて、去っていったエリサベトを、皆呆然と立ち尽くしたまま見送った。



 一息つくために椅子に腰掛けたところに、ヘルガがスススと近寄ってくる。


「これはもう、絶対に側室になるしか道はないわね」


 そう耳打ちして、ニッと口角を吊り上げた。


「追い出してやるって言われたよ?」

「ライバルがいた方が燃えるでしょ?」

「····ヘルガと一緒にしないでくれる?」

「あら、この状況にしたのはあんたじゃない。何とかこれを打破しないとねぇ」


 楽しむように、ヘルガは笑いながら自分の席に座った。


 食事を終えて、持ち場に向かう。皆あのエリサベトの一件があってから、類を避けるように下を向いて通り過ぎて行く。


 厨房に着いて、料理長のサンドラの指示を受けた後、類とヘルガは今日は別々に作業場へ向かった。ヘルガはバイバイというように、手をヒラヒラさせて笑顔でサンドラに連れられていった。

 類はエリサベトの件を考えると頭が痛いが、仕事中は考えないようにしようと思い作業場に入った。


 今日の仕事は数人の下女と共に行う流れ作業だった。類は麺を湯掻く担当だ。ひたすら麺を湯掻いていると、汗が流れてくる。額の汗を腕で拭っていたら、突然さっと何かに目の前を遮られた。


「ど、どうぞ。使ってください」


 横を見ると一人の若い下女が、類に手ぬぐいを差し出している。


「ありがとう」


 有り難く受け取る。ポッと顔を赤らめたその女は、「いえ」と言ってから「今朝は、格好良かったです」と言い、逃げるように去っていった。


 後宮は女の園だ。しかしその中で雷帝の后(側室)になれるのはごく僅か。それ以外の女たちは、他の男と付き合うことも結婚することもなく、ひたすら女だけの世界で生きていく。少なくとも類の知っている後宮とは、そういうところだ。


 だから擬似恋愛の対象となる者が必要なのかもしれない。普通の社会ですら類の周りではそうだったのだ。こんな閉鎖的で禁欲的な世界ではよりそうだろう。


 雷帝一人だけのために集められた大勢の女たち。類は隣で作業している下女たちを見る。

 

(罪深いよなぁ、このシステム)


 続けて麺を湯掻きながら、類は女たちの人生を考え溜息をついた。

 そして厨房へ向かう間にヘルガに聞いた話も思い出す。


 雷帝には、エリサベトの他に三人の側室がいて、正妻はいないらしい。

 側室に順位はなく、皆同じ地位だそうだ。


 フローラ、シルヴァ、セシリア


というのが他の側室の名前だ。


 後宮に入ったのは、フローラ、シルヴァ、セシリア、エリサベトの順。


 どんな古株かと思いきや、どうやら四人とも側室になってそれほど長くはないらしい。ヘルガによると、雷帝は飽きるのが早く、側室も定期的に一新するのだそうだ。雷帝には子供がいないため簡単にそう出来るらしい。


(確かに寿命がないなら子供を作る必要なんてないよね)


 それなら側室はいらないんじゃ? とふと気づく。


(それはまた別なのかな?)


 湯掻き過ぎそうになって、慌てて麺を上げる。湯掻き終わった麺は、別の下女がせっせと氷水に浸し、それをまた別の下女がザルに上げて皿に盛り付けている。護衛兵の食事らしい。会話もなく、皆黙々と作業していた。定期的にサンドラが様子を見に来るからだろうか。

 

 休憩時間に庭の端で合流したヘルガと一緒にお昼を取っていると、パンをちぎるヘルガの頭に何かがついているのを発見する。


「髪に何かついてるよ」


 手を伸ばす類を制し、ヘルガは首を横に振る。


「触らない方がいいわよ。ネトネトだから」

「え?」

「卵の白身。ぶっかけられた」

「えぇっ!?」


 類は目を見開いて、大きく口を開ける。もしかして自分のせいかと心臓が脈打つ。


「だ、大丈夫····?」


 心配そうに顔を覗き込むと、ヘルガはじっと類の顔を見て、「心配?」と心情を察するようにニンマリと笑う。


「そ、そりゃ····」

「嬉しい」

「え?」

「大丈夫よ。二度とこんなこと出来ないように徹底的に脅かしてやったから。ここにはもう来れないかもね」


 一体何をやったんだ····。ヘルガのことだから本当にやったんだろう。類は恐ろしくて内容は聞けなかった。


 休憩後はひたすらパンの生地をこねる作業をした。類は黙々とこういう作業をするのも案外楽しいと思った。

 午後の仕事も終わり、ヘルガと共に食堂へ向かう。今朝の一件があったからか、通路は出来なかった。しかし類とヘルガが歩いていると、さっと道があく。人だかりが出来ていても、すんなりテーブルに向かうことが出来た。

 そして例の如くヒソヒソ話が聞こえる。


「あの女、またルイ様と歩いてる」

「しっ! ····あの女、ちょっとヤバいやつらしいから手出さない方がいいわよ。聞いた話では、嫌がらせした下女が腕をへし折られたとか」

「え? あたしは頭かち割られたって聞いたけど」

「それ死んでるじゃん····」


 類は聞こえないフリをした。噂とは尾ひれがつくものだ。大げさに言っているに違いない。隣を見ると、相変わらず上機嫌なヘルガの顔がある。とりあえずヘルガが落ち込んでなくて良かった、と思った。


 食事を終え部屋に向かう途中、人気ひとけが少なくなったところで類は何となく違和感を覚えた。徐ろに後ろを振り返る。


「どうしたの?」


 ヘルガが察して聞いてきた。


「ああ、いや、何かつけられてる気がして····」


 類は今までの人生で誘拐されかけたことが何度もある。ストーカーに合うなどしょっちゅうだ。親衛隊が出来てからは随分減ったが、それでも警戒は常に怠らなかった。

 経験豊富な分、そういう空気を敏感に察知することが出来る。


「エリサベトかしら」

「····かもね」

「どうする?」

「····寝込みを襲われても嫌だな」


 二人は中庭に出た。時折数人の女官が足早に通り過ぎるのが見えたが、夜なのでそこまで人通りはない。


 夜の空気はひんやり冷たく底冷えする。類がブルッと震えて腕に手をやった時、


「! ルイ!」


 突然ヘルガが叫んだ。かと思うと、類の背後に素早く回る。


「ぎゃっ!!」


 鈍い音がして、後ろを見ると下女の格好をした女が、一人は地面に倒れ、一人はヘルガに背後から首を腕で締め上げられている。その素早すぎる仕事に類は驚く。


「え!?」

「また来たわよ」


 ハッとして類は、同じく茂みから現れた下女の格好をした女が突進してきたのを見て構える。女は少し武術の心得があるようで、構えた類を見ると少し間合いを取るように立ち止まってから上段蹴りをかましてきた。それを避けて、女の背後へ回る。類も都合上必要不可欠だった護身術を使うことが出来る。実践したことも何度もある。女の腕前は大したことなかった。隙だらけだったので、背後から両腕を掴み少し捻った。


「きゃああっ!」


 腕を捻られた女は、痛みに叫び声を上げ、ふるふると震えだした。「ごめんなさい、ごめんなさい」と独り言のように小さく声を発する。


 類はそれを見て、女たちの意思で襲ったのではないと判断する。


「誰に言われたの? エリサベト?」


 類が聞くと、女はフルフルと首を横に振る。


「シ····シルヴァ様です····」


 シルヴァ。側室の一人。


「雷帝は性格悪い女が好みなのね。趣味悪っ」


 ヘルガは下女の首に腕をかけたまま、うぇっと舌を出して言う。


「シルヴァはここに来ないの?」


 類は目の前の下女の腕を解放し、正面に向き直らせ尋ねる。至近距離で類に見つめられた女は、ポッと顔を赤らめ身じろぎした。


「は、はい。『ルイという女を連れてこい』と言われています。ご側室の居所に」

「そこに案内してくれる?」

「ルイッ!? 行くの!?」


 類の言葉を聞いて、ヘルガは眉をひそめ大きく口を開けて言った。


「だって、行かないとこの人たちが責任取らされそうだし。どうせ近いうちに対面することになるんだしね」

「はぁ、どんなお人好しよ。殺されても知らないわよ」

「殺····?」

「ありうるわよ。雷帝がいない今、後宮ここの最高権力者は側室たちよ」


 類はさすがにそこまではしないだろうと思いながらも、少し不安になる。ここで殺された場合、一体どうなるのだろう。冥界とやらに行くのだろうか。そうなったらもう人間界には戻れない可能性が高そうだ。


「仕方ないわねぇ、付き合ってあげるわよ。あんたに死なれたら困るし」


 ヘルガは抵抗しなくなった下女から手を離すと、両手の平を上に向け、はぁと溜息をついた。


「ありがと、ヘルガ。心強い。でも危なくなったら逃げてよ」

「それはこっちのセリフ。あたしは強いから大丈夫。あんたこそ死なないでよ」


 類とヘルガは、気絶していた下女が目を覚ますと、下女たちに案内されシルヴァの居所へ向かった。

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