ハヤカワくんのはやとちり

ハヤカワくんのはやとちり:1


 ハヤカワくんの誕生

 ハヤカワくんこと、早川俊夫はやかわとしおは昭和54年、西暦にすると1979年に、青森県弘前市で生まれた。

 この年、イランでは革命が起き、イギリスでは先進国初の女性首相としてサッチャーが就任し、アメリカでは、航空機事故として最大の死者数となったアメリカン航空191便墜落事故が起き、ソビエト連邦はアフガニスタンに侵攻を始めた。世界から天然痘が根絶したとWHOが宣言したのもこの年である。

 そして日本では、猟銃を持って銀行に押し入り、そのまま三十人以上の人質を取って銀行に立てこもった三菱銀行人質事件が一月に発生し、この年が始まった。

 四月には、『機動戦士ガンダム』が放送開始され、六月には先進国首脳会議が初めて日本で開催され、七月にはソニーは携帯型ステレオプレーヤーの『ウォークマン』を発売し、九月に第一次大平内閣衆議院が解散し、十月に広島東洋カープが四年ぶり、二回目のセ・リーグ優勝を決め、そしてまた十一月には第二次大平内閣が発足し、北九州市では病院長が殺害され、バラバラにされた死体を海に投棄した事件が起きた年である。

 そして何よりも、この年の十一月に、少年期のハヤカワくんを夢中にさせるオカルト専門雑誌『アトランティス』が創刊されたのだ。

 奇しくも後のハヤカワくんを構成する要素のひとつである『アトランティス』と同じ年にハヤカワくんは生まれたのだ。



 ハヤカワくん九歳

 1988年(昭和63年)、小学三年生のハヤカワくんは青森県の県営住宅、いわゆる集合団地に住んでいた。ハヤカワくんの家は三階建ての最上階302号室だ。

 その家のリビングにあった木製のサイドボードの上に置かれていたオカルト雑誌『アトランティス』をハヤカワくんは見つけた。

 表紙には、ギザの三大ピラミッドが手書きで描かれており、その絵の上には女性の両目が透かされたような形でデザインされていた。

 そしてその横に「新解釈! ギザのピラミッド建設には2060年代の未来人が関わっていた!?」という総力特集記事のタイトルが大きく書かれていた。

 ハヤカワくんと『アトランティス』の出会いはこの号が初めてであった。

 ハヤカワくんは『アトランティス』を手に取り、パラパラと中身を見た。小学三年生の語学力では何が書いてあるか理解できなかったが、挿絵を見るだけでも十分興味を惹かれる内容だった。

 もともとハヤカワくんの父親が、超常現象や心霊現象、超古代文明、宇宙、陰謀論などといったオカルト系のハードカバー本を好んで読んでおり、家の本棚にはそれらの書籍が収納されていた。

 それらの本の中身を見たこともあるが、活字情報がほとんどであり、時たまある挿絵もモノクロ印刷で分かりにくいところもあり、ハヤカワくんの興味を刺激するまでには至らなかったのだ。

 ところが『アトランティス』は雑誌の半分ほどがフルカラーであるし、挿絵も充実しているので、ハヤカワくんでも読むことができたのだ。

 この頃のハヤカワくんが好きなジャンルは超古代文明、宇宙人の類いである。


「としくんは、どんな話が好きなの?」

 バランス釜の風呂に入っている父親が尋ねた。ハヤカワくんは身体を洗いながら答える。

「マヤ文明の水晶髑髏どくろとね、コスタリカの石球かな」

「そうかそうか。どんなところが好きなの?」

「だってね、頭蓋骨が全部水晶で出来てるんだよ! 昔の人の技術じゃ絶対に出来ないんだよ」

「コスタリカの石球も?」

「そうだよ。完全なまん丸い石を昔の人が作れるわけないもん」

「でも、としくんだって、すごく丸い泥団子、上手に作るよね」

「あれは、泥だよ! 石とは違うんだよ、パパ」

「石だと難しいの?」

「だって石は硬いもん」

 ハヤカワくんは洗面器で風呂からお湯を汲み、身体にかけて泡を洗い流す。

「知ってるか? そういうの、オーパーツっていうんだぞ」

「知ってるよ! 当時の文明では絶対に作れないものなんだ」

「じゃあ、誰が作ったと思う?」

「僕は宇宙人が地球にやってきてたんだと思う」

「どうしてそう思うの? 背中、まだ泡残ってるぞ。こっちおいで」

 ハヤカワくんは父親に洗面器を渡し、背中を向けた。父親が背中を洗い流してくれる。

「だってね、ピラミッドとかね、絶対昔の人の技術じゃ作れないぐらい精巧に出来てるんだよ。宇宙人の仕業なんだよ。ピラミッドもストーンヘンジも、UFOが来るための目印なんだよ」

大石神おおいしがみピラミッドも宇宙人の仕業?」

「あれは違うよ」

「どうして?」

「だって、ピラミッドじゃないもん」

 ハヤカワくんは頭を横に振った。

 大石神ピラミッドとは、青森県の新郷村しんごうむらにあるピラミッドのことである。自然の山の形を利用したもので、人工的なピラミッドとは異なるが、太陽信仰の象徴とされる巨石が山の頂上に置かれているのを始め、周囲にいくつもの巨石群があることからピラミッドだと言われている。

 また新郷村とは、ハヤカワくんが住んでいる弘前市ひろさきしの公共団地から十和田湖とわだこを挟んで反対側にある村だ。新郷村には大石神ピラミッドの他に、「キリストの墓」なるものもある。

 新郷村の旧村名が「戸来村へらいむら」と呼ばれており、この「戸来」と言う名が、キリストと関わりの深い「ヘブライ」が訛って出来たというのだ。

 もちろん『アトランティス』にも特集記事が組まれたこともあるが、ハヤカワくんはいささか懐疑的であった。

 それから同じ県内にあることから両親と一緒に見に行ったこともあったが、やはりそこまで興味を抱かなかった。

 というのも、ハヤカワくんはあまり日本のオカルトには興味がないのであった。

 しかし宇宙人が関与している、となると話は別だった。

 これまた同じ青森県のつがる市――ハヤカワくんの家からは車で一時間弱でいける場所――にある亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶しゃこうきどぐうについては、その造形物を写真を見なくても細部まで自由帳に描けるほどのめり込んだ。


「ねぇ、ママ見て!」

「なあに?」

「ほら、遮光器土偶だよ」

 キッチンに向かって夕食の準備をしていた母親が振り向く。ハヤカワくんはキッチンの前にある四人用のダイニングテーブルの椅子に座って絵を描いていた。

「上手ね」

 母親はダイニングテーブルの上に置いてある花柄の魔法瓶を手に持ち、麦茶を注ぐ。

「麦茶よ」

「ありがとう! この遮光器土偶はね、宇宙服を着てるんだよ」

「これはなあに?」

「これはゴーグル。イヌイットがつけてる遮光器に似てるからこの名前が付いたんだよ。でもね縄文時代にゴーグルなんてなかったからね。これは宇宙服で、中身は宇宙人なんだよ。身体に付いているこの模様はね、チューブなんだ。空気を送り込んでるんだ。宇宙は酸素がないからね」

 ハヤカワくんは『アトランティス』で得た知識を母親に披露する。

「としくんは物知りね」

 母親はキッチンの方に向き、火にかけている花柄のホーロー鍋の様子を見た。お玉で掬って味見をしている。クリームシチューの良い香りが部屋中に広がる。

「青森はね、昔、UFOの発着場があったんだよ。三内丸山遺跡が管制塔だったんだって。早くパパにもこの絵見せたいな!」

「パパ、そろそろ帰ってくるんじゃない」

 ガチャッと鍵が開く音がして、ちょうど父親が帰ってきた。

「パパだ! お帰りなさい!」


 こうしてハヤカワくんの幼少期、昭和時代は主に家族とオカルト話をして過ごしていった。

 昭和が終わるのは翌年一月のことだった。


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