ころしてない:5

 俺は考えた。父親を殺す。水岡さんも殺す。それとも自殺する。選択肢はこの三つあると。

 なんとかしなければ。人殺しはよくないが、自殺も避けたい。何か方法はないか。しかし、制限が多く行動範囲が狭まる中、どうしたら実行に移せるのかいい考えが思いつかなかった。


 貴明は悲観な気持ちになり、いっそう心中するのが一番よいのではと思い始めた。

 モニタの時刻を見る。そろそろ業者の納品時間だ。ハンドルを握り、トラックを動かし始めた。


「続いて交通情報です。昨夜未明、山陽自動車道加古川北区間下り方面で乗用車二台が絡む事故が発生しました。この事故で先頭を走っていた自営業の六十代男性がその場で死亡しました。追突した三十代男性は軽傷、事情を聞いたところ『むしゃくしゃしてて自動運転制御を解除して煽り運転をした』と供述していることから、危険運転致死傷罪の疑いで現行犯逮捕しました。なお、この事故により下り車線は数キロ渋滞していましたが、現在は解消しています」

 昨日見た事故のことだった。自動運転機能を解除してしまうとは相当な人物だ。

 数十年前、高齢者によるアクセル踏み間違い事故や若年層の煽り運転が社会問題となり、それから自動運転制御の設置義務化の法整備が進められた。その中で、衝撃被害軽減ブレーキ、通称AEBSはちょうど十数年前に法的に設置義務化となっている。

 AEBSは歩行者の飛び出しや前方車との距離などを検知し自動的にブレーキを操作する仕組みで、赤外線レーザー、光学カメラ、ミリ波レーダーなどを駆使し、人間の反応よりも早くブレーキをかけることができる。この技術によって歩行者飛び出しによる事故は、今や国内で年間数十件レベル、車同士の追突事故に至っては年間数件レベルにまで大幅に減ったのだ。

 さらに今では直線距離の多い高速道路や国道では、ハンドルさえ握らない自動運転への切り替えも法的に推奨されている。そのため自動運転技術搭載の車による事故はよっぽどのことがない限り起こらないのだ。

 自動運転制御の解除。この情報から俺は良い考えを思いついた。上手く使えば自殺しなくても済むかもしれない。


 貴明は県道を走り、伊予市内を横断し、海沿いにある納品先の企業に定刻通り到着した。

 付近一帯が倉庫地帯になっている。その一つの倉庫から従業員が出てきて一連の引き渡し作業を行う。

 時刻は十時半。滞りなく納品完了だ。

 これにて本日の業務は終了である。あとは家に帰るだけだ。

 このままとんぼ返りしてもよかったが、せっかく生まれ故郷に来たので少しだけ、地元を見て回ろうと思った。

 伊予市内をトラックで走らせる。わずか数十分で貴明が昔暮らしていた地域にやってきた。貴明が生まれ育った団地地帯は今は大型ショッピングモールとなっていた。

 十年前に来たときにはまだ団地が残されていたのだ。そこからすぐそばの児童公園はまだあった。近くの路肩にトラックを止め、車から降りた。

「懐かしいな」

 貴明は公園に入っていった。遊具は昔の物とは別になっていたが、ベンチやトイレの位置は昔と変わらない。

 子供の頃は大きく感じた公園だったが、だいぶこぢんまりした印象だ。子供たちが遊具の周りをかけっこしている。ベンチに座りその光景を眺める。

 ここでよく親父とキャッチボールをしたのを思い出した。キャッチボールをしながら学校での出来事を話した。

「今日の給食はどうだった?」

「今日も食べられなかった」

「そうか。今日は何が出たんだ?」

「今日はシチュー」

「ザラザラした感じがするもんな」

「うん。でも頑張って少し食べたよ」

「おぉ、偉いな」

 学校で嫌なことがあって親父に相談すると、褒めてくれたり、ポジティブに的確なアドバイスをくれた。いつも貴明の味方だった。いつもポジティブだった。

 中学生になるとキャッチボールはしなくなった。だけども親父との会話はなくならなかった。

「部活はどうだ?」

「朝練が結構きつい」

「毎日早くに学校行ってるもんな」

「朝早いのは別にいいんだけど、先輩が厳しくて」

「たまには息抜きもしろよ」

 つかず離れずの距離を保っていてくれたので、思春期特有の反抗期になることもなく、親父に対して鬱陶しいと感じることもなかった。むしろ困ったことがあったらすぐに親父に相談していた。

「どうだ? 進路は決まったか?」

「いや。全然」

「進学するのか?」

「いや。俺、勉強嫌いだし」

「父さんも嫌いだったな」

 高校でも社会人になっても親父はいつも貴明のそばに寄り添っていてくれた。親父のことを信頼していた。

 今の貴明があるのも、親父がいつもそばにいてくれたおかげだと思っている。

 いつしか親父は認知症になり、うまく意思疎通が出来なくなってしまった。いつしか介護の疲れから親父を殺そうとしてた。いつしか自分も死のうと考えていた。

 目の前の公園で遊んでいた小さい頃の自分の姿が頭に浮かぶ。親父が笑っている。

「今度はもっと早いの投げるぞ。捕ってみろ貴明」

 今日の夜明けに見た夢のような乾いた笑いではなく、優しく笑いかけている。

「貴明、走れ走れ!」

 親父を殺すのはやっぱりよそう。

 簡単な理由で親父を殺そうとしたのと同じくらい簡単な理由で殺すことをやめにした。

 「見守り介護」サービスに契約しよう。デイサービスの水岡さんに来てもらう回数を増やすのは費用的に厳しいし、介護施設の入所も条件が揃っていないから出来ない。だけど「見守り介護」は格安費用で申し込める。カメラの設置をするから悪徳業者が上がり込むこともなくなるだろう。

 貴明の部屋にもカメラが設置されるが、それさえ我慢すれば、いくらか介護が楽になるのではないか。自室にカメラがあったところで、貴明自身、仕事で外に出ていることが多いので、それほど気にならないだろう。

 殺そうとネガティブな考えにならず、親父のようにポジティブに考えたらまだまだ出来ることはあるかもしれない。

 そう考えたら少し気が楽になった。

 

 公園の向かいに和菓子屋がある。ここのくるみ大福を昔から食べていた。親父も好きだった。ひとつ買って帰ろう。

 くるみ大福のこと、親父はまだ覚えているだろうか。

「うまいな、この大福」

「うん。僕、この大福大好き」

「貴明、くるみ大福と父さんどっちが好きだ?」

「お父さん!」

「そうか、そうか。それはよかった」

 渡したら笑顔になるだろうか。早く帰ろう。

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