第一章・廃都復活篇

第1話 ここで類型的なヒロインが現れる

「何だこりゃ……俺の知ってるサクソニアと違うぞ。明らかに雰囲気がおかしい」


 にわかに不安感が込み上げる。これは、相当に用心して行動しないとせっかくの来世があっという間に終わるかもしれない。

 

(……俺は今どうなってる? まさか死んだ当時のままか? 危険が迫った時に対処できる能力はあるか?)


 まずは自分の現状を確認しよう。記憶にある限り、死んだ時点での俺は四十四歳。健康に気を遣う余裕などなく、体は過労と寝不足と栄養の偏りでガタガタ、末期にはちょっと外に出て歩くと息切れがするありさまだった――だが、今はどうやら違う。

 

 呼吸にかかるストレスもないし、やたらと体が軽い。俺は自分の手を、そして胸から下の胴体と足をしげしげと眺めまわした。

 血色のいい皮膚。健康そうなピンク色の爪。腹回りは自然な感じでほっそりと引き締まって――どうやら俺は若返っている。

 

 身に着けているのは襟の開いた生成りのシャツと茶色いなめし皮のベスト、毛織物らしいグレーのズボン。足にはフェルト底の短いブーツ。おまけに腰には鞘に入った短めの剣が吊られているようだ。あの女神はひとまず最低限のおぜん立てはしてくれているらしい。

 

 さて、そうなると――俺はもう一度さっきの標識柱を振り返った。

 

”レヴァリングまで5キロメートル” そう書いてある。


(ははあ。メートル法を採用してんのか……)


 ゲームでは距離についてメッセージで言及されることはなかったが、たぶん分かりやすさ重視ということだろう。

 

(うーん……5キロ。5キロか……)


 少し長いが絶望するほどの距離じゃない。この体でならちょっとハードな散歩といったところだろうし、王都までたどりつければ何かしらその先の見通しも開けるだろう。

 あたりの陰鬱な空気にともすれば心はしぼみがちだったが、俺は無理やりに自身を鼓舞して、街道をレヴァリングに向かって歩き出した。

 

 

 

「いや、参ったなぁ……本気で寂れてる、いや、むしろ滅びに向かってるって感じだ」


 ゲーム内ではこの街道沿いはところどころにリンゴの木が植えられていて、実のなる季節には旅人が自由にとって食べることが許されていた。初心者救済のための無料回復アイテム、といった意味があったのだと思う。


 だが、今やそれらの果樹は見る影もなく葉を落とし、枝に残った実らしきものはすっかりしわがれて縮み、どす黒く変色した果皮に黄色いカビをまとわりつかせて、辛うじて形を保っていた。

 

 この様子だと、食糧事情などがだいぶ悪化していそうだ。あの女神は『最近管理下に入った』とか言ってたが、その前からこうだったのか、それとも管理下に入ってからこんな風に模様替えしたのか。 

 後者だとだいぶ悪趣味な話だ。普通に回ってた世界を、わざわざ「サービス終了後」という定義に相応しくこんな風にしたのだとしたら、ちょっとあの女神を許せそうにない。元からいた住人などはいい迷惑だし、まわりまわっていくらか自己嫌悪さえ覚えてしまう。

 

 そんなことをぐるぐると思いめぐらせながら歩いていると、街道は枯れかけた森へ向かっていることがわかった。木々の葉が残っていない分、中はそれほど暗くなさそうだが、殺伐としたたたずまいがいかにも何か潜んでいることを予想させる。


 森の入り口を前に足を止め少しばかり進むのをためらっていると――不意に、甲高い悲鳴があたりに響いた。

 

 ――ひぃぃぃいいいいやぁあーーーーーーーッ!!!

 

「なっ!?」


 東京の街中で同じような悲鳴を聞いたら、俺は頭をかばいながらどこか物陰へ駆けこんでいただろう。だがこの時俺はどうしたわけか、とっさに左腰の短剣を鞘から抜き放っていた。うかつにもその気になっていた、という感じ。

 

 ――だれか! だれか助けて!!

 

 やや具体的な内容の叫びが、下生えをかきわけるガサガサいう響きと共に近づいてきた。かなりの移動速度、どうやら年若い女性が何かに追われているのだ。


 俺は剣を構え、迫りくる遭遇の瞬間を待った。そして、木々の間を縫って駆けだしてきたのは――頭の左右で赤色の髪を結わえて横に垂らし、革製のカバンを肩にかけた少女と、その後ろで牙の生えた口を開く、犬めいた四つ足の肉食獣だった。

 

「う、うらぁあ!!」


 大声で威嚇、さもなくばこちらに注意を惹きつける。怯んでくれれば良し、襲い掛かってきたらこの剣で何とか――何とかできそうな気がするのがむしろ危ういが。

 

 獣はこちらに鼻先を向けると、半開きの口に牙をむきだしてグルルと唸った。目がきゅっと細められてニヤニヤ笑いのように見える。ああ、分かったぞ――

 

「こいつ……ニタリジャッカルか」


 ゲームで散々見慣れたモンスターだ。レヴァリング近郊にも出没していた比較的弱いモブだが、攻撃速度が速く索敵範囲が広い。

 低レベルの初心者だと何気ない街道の移動中に引っ掛けて延々と追跡され、逃げきれずに倒されたり、より厄介なモンスターの生息地に追い込まれたりしたものだ。 

 歯牙をむき出して威嚇するときの顔つきがまるで笑っているように見えるのが名前の由来、とされているが、画面で見た限りではそこまで再現されてはいなかった――

 

 ニタリジャッカルがグッと身を沈める。

 

(来る!)


 バネを弾くような勢いで跳躍。まともに当たれば突き倒されて喉笛を噛み裂かれる――俺はジャッカルが跳んだ直後に左へ小さく流すようにステップした。攻撃を外した獣がバランスを崩したその着地を狙って、斜め上から剣を叩きつける。

 

 ――ギャン!!

 

 ニタリジャッカルが悲鳴を上げた。首の付け根近く、筋肉が盛り上がった肩のあたりが大きく裂けて血が流れている。頭を巡らしてこちらの足にかみつこうとあがくが、足元がよたよたと定まらない。

 

 そう、こいつは比較的弱いのだ。可哀想だが俺も怪我はしたくない、剣をもう一度振り下ろしてジャッカルの頸動脈を叩き切った。

 

「ふーっ……」


 息を吐きながら周囲をぐるりと見回す。犬は群れることの多い生き物だ、次がいないとも限らない。

 だが一分ほど待っても変化はなく、俺はようやく戦闘を切り抜けたことを実感した。今ごろになって手が震えてくる。膝の力が抜けて座り込んだ。

 

「は……はは。やったぜ……マジかよ。畜生……ッ!!」


 サービス終了後のMMOにログインする、などという体験はネタ動画で見たことはある気がするが、実際には不可能だ。

 サービス終了後はサーバーは停止され、ログインなどできないのが当たり前。だが――もともとがどんな世界であれ、現在のここは俺が知るサクソニアに、地形も生物相も酷似している。

 

 あの女神、どうやら本当にを再現しやがったのだ。

 

 

 これからどうすべきか。王都に行くとしても、それでどうなるものなのか。途方に暮れていると、背後から声が掛けられた。

 

「あ、ありがとうございます、助かりました。あの……旅の方ですか?」


 振り向く。先ほどの、赤毛ツインテールの少女がおろおろした表情で立っていた。

 

「あ、うん……怪我はないかい?」


 情けないところを見られたものだ。俺はすました顔を装って立ち上がると、膝のあたりを手ではたいて土ぼこりを落とした。


「少し枯れ枝で引っかいたくらいです……本当にありがとうございました。もうダメかと」


 少女の名はエリンといった。王都で病に苦しんでいる病人のために、薬草を取りに来たのだという。群生地を見つけてつい我を忘れ、森の奥へ踏み込み過ぎたためにニタリジャッカルと遭遇してしまったらしい。

 

「まあ運がよかったな……こっちへ走ってきたのは本当なら悪手だが」


 町や城から遠くなると、だいたいどこでも出現モンスターのレベルが上がって行った覚えがある。


「すみません……でも、みんなのところへ近づけちゃダメだと思って」


 ふむ。つまり自分の安全よりも、共同体を優先したということか。感心なことだが、危うくもある。

 

「俺はレヴァリングまで行くところなんだ。送ろうか?」


 初戦闘の衝撃はまだ抜けきらない。だがまた何かに遭遇しても、ニタリジャッカル以下なら何とか対処できるだろう。

 

「あっ、お願いします……! それともう一つ――」


「何だ?」


「えっと、その犬の皮と肉、剥ぎ取らせてもらえますか? 食料の足しになりますし、あとみんなの防具の修理にも役にたつので……」


 ……薬草取りの少女は、意外とたくましかった。

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