VR初戦闘

 擦れるような草の音が鼓膜を揺らす。

 葉の青臭さは鼻を通り、嗅覚を軽く刺激する。

 沈んだ意識は瞼の裏に光を感じて引っ張り上げられた。

 逃れるように手で空を仰ぎ、思い瞼を開き切る。


「……」


 言葉が出なかった。

 喉から通った言葉は口にならず戻っていく。

 焼きつくように視界に飛び込んだのは、爽やかに草葉が揺れる草原。

 都会とはまるで違う鮮やかな青い空。

 目を数回パチクリさせて周辺を見渡せば、遠くに人工的で無機質な壁が見えた。


 ……すげぇ。

 凄く幻想的で、凄く綺麗で、一度は行ってみたいと思った景色。

 あまりの凄さに語彙力が吹っ飛んでしまった。

 頭上で鳥が鳴きながら飛んでいる。

 これがこの世界のVR。

 夢にまで見たファンタジー世界。

 だけど――僅かな疑問が脳裏をよぎる。


「風を感じる。日の光も」


 おかしい。

 おれは手で顔を覆い隠す。

 太陽をなぜか忌々しく感じる。

 それにこの突き刺す光は。

 まるでリアルと同じだ。

 流れる突風からは暖かさすら感じる。

 それに、


「あ、ああー」


 試しに声を出してみれば声優のロリボイスよろしく可愛い。

 現実の性別を無視して本当に少女になったかのようだ。

 これは体に合わせて、自動でボイスチェンジャーが発動しているのかもしれないけど。


 確か五感を感じさせる機能は、現実の脳に影響が出る恐れがあるっていう理由で禁止されていなかったっけ?

 既に開発自体はされているけど、疑問視する声が上がったからとニュースで大々的にやっていたのを覚えている。


 考えてみれば接敵系が困るか。

 斬る時や殴った時に感触がなければそれこそ違和感だな。

 しかしどうしたものか。

 即ログアウトってのも流石に少し味気ない。

 どうせこのキャラとは最後だし、今の状況を楽しんで見ても良いだろう。

 さて、ここは確か……クロステイル近くだっけか。

【黄泉】を創るために動いていたからな。


「――ッ!」


 ――流石にゲームキャラとなれば耳も良くなるようだ。

 誰かが戦闘しているのか?

 ググっとバネのようにして足に力を籠める。

 そのままおれは地を蹴りだした。


 ――速っ!

 いや待ってほんとに速い!

 気分は完全にジェット機。

 おれの体は遥か上空へと放り出されていた。


 空気が壁のようになって、肌と鼓膜を貫く。

 確かに感じる痛み。

 なんで痛覚まであんの! どうなってんのこれ!

 そしていた! 

 馬車とそれを取り囲む、見覚えのある子どものように小さな体。

 日も反射できない寂れたナイフ。

 耳が三角に尖り、緑の肌をしている。

 あれはゴブリン! それが10匹!


 相対するは深くフードを被った人物。

 白銀のナイフ片手に、アクロバティックな動きで一匹、また一匹とゴブリンの首を跳ね飛ばしている。


「すごいな」


 集団行動を重んじるゴブリンだけど、普通三匹ぐらい倒したら、身の危険を感じて逃げ出してしまう。

 だからゴブリンを逃がさず討伐できるのが、初心者脱却の第一歩といえる。

 それをあのフードの人はできている。

 相当腕が――


 って冷静に分析している場合じゃない! 

 こっちも問題だ! 

 現実逃避をしている場合じゃない!

 今着ている巫女服、肌の露出が多いせいで風にどんどん体温を奪われていく。

 ……ってそうだよ風だよ!

 おれは今バリルのはず。なら呪術が使えたっておかしくない。使えなきゃ運営に文句言ってやる!


 落ち着け。

 とりあえず【風符かぜふ】をイメージしろ。

 とにかく風を使うイメージだ。

 それは奇妙な感覚だった。

 風? それとも膜? 

 右手に変な感覚が纏わりつく。

 次の瞬間には指に一枚の札が挟まれていた。

 おれはその札を上方面に叩きつける。


 天へと昇る龍のような風が、一瞬にして周囲の雲をすべて消し飛ばす。

 まるで太い鉄板で殴られたかのような衝撃がおれの全身を震わせる。

 一瞬意識が途切れそうになった! 

 というかやばい! 

 吐きそう!

 しかもこの状況だと間違いなく!


「死ぬゥゥぅゥゥゥゥゥゥ!!!」


 天を貫き、おれは遥か天から地獄へと一直線にきりもみ回転。

 土は好きだけどこの勢いで大地と熱い接吻は勘弁!

 加速した落下速度のまま、目標にしたゴブリンをクッションに大地へと不時着した。


 死んだ?

 いや死んでないな。

 体の感触はないけど多分ギリセーフ。

 まだまだ死にぞこない。


 舞い上がる砂埃を吸い込み、おれは数回咳き込んだ。

 もう完全に痛みは引いた。

 この辺りは流石バリルとしか言いようがない。


 クレーター状に抉れた地面から抜け出しながら、服についた塵やら埃やらを掃う。

 馬車の方はといえば馬が暴れている位で被害はない。

 いや、逆だな。

 おれのせいでより酷くなったような気がする。

 ……ゲームだからいっか!

 どうせ謎の不思議パワーが働いて勝手に修繕される。


 馬車から数人の男女が降りてきた。

 見た限り大して強そうにない軽い装備。


 その中にゴブリン相手に無双していたフードの人が加わった。

 おもむろにナイフまで構えてくる。

 他男女も、躊躇いながらそれぞれ武器の柄に手を掛けた。

 雰囲気の時点で警戒心マックス。

 完全に不審者を見るそれ。


「横入りしてすまない。こちらに敵意はないから」


 これで済めばいいんだけど。

 結果的には獲物を横取りする形に……あれ? 

 ……ゴブリンが消えていない?

 ……現実に寄せるということか?


 飛び出た魂は霞のように空気に溶けて消えていく。

 まぁゴブリンは妖精だし。

 ほっといても大丈夫だな。

 御者が完全に馬を鎮める頃には、フードの人は武器を下ろしてくれた。


「……新手の魔物かと思った」


 相手の物分かりが良くて助かった。

 それにしても第一印象と違い、随分と高い声をしている。

 におい的にはどっちだろ。

 ……砂埃のせいで完全にやられてる。

 フードの下はギリ見えるけど……女の子なのかな?

 この子もネカマの可能性……。

 選べるからなぁ。

 無きにしも非ずっていうのが辛いところ。


  *  *  *


 突然、フードの人が何かを察知したかのように明後日の方向へと振り向いた。

 数歩前に出て冒険者風の人達の前に出て、静かにナイフを構える。

 何かいるのか? ならおれも。

 【風符】が使えたとなると、当然【魂魄こんぱくがん】も使えるよな。


 【魂魄眼】は呪術と妖術を組み合わせた力だ。

 妖術とは、簡単に言えばその種族が持つ固有能力。

 おれの場合、【吸血鬼】だから【コウモリ化】や【飛翔】がそれに当たる。

 呪術は逆に、東洋の魔術とも言うべきおれが創造した力。

 厳密にはのろいと神も関わってくるけど、概ねそんな感じだ。

 誰が呼んだか【黄泉の巫女】。

 呪術と妖術の力を持っているおれは魂をも見通せる。


 瞼を閉じて【魂魄眼】を念じる。

 再度開眼すると、リーフの視線の先に透明な人型が見えた。

 見え方としてはサーモグラフィに近い。

 中央にひとつ、器の中で緑色の魂がゆらり燃焼し続ける。

 へー、実際の目で見てみるとこんな風なんだな。

 魂って。


「おれがやっていい? 今日が初日でさ」

「……いいよ。ただし、私達の目に映る範囲で」


 おれは返事を手を上げるだけに留める。

 背後からひっそりと「初日?」と疑問とも取れる呟きが聞こえた。


 ……というかまたゴブリンかよ。

 数はさっきと同じ。

 流石に多い。

 こう言っては何だけど良い土の香りするな、こいつら。

 自然の権化ともいうべき妖精でもあるから当然っちゃ当然なんだけど。


 それは置いといてゴブリンの中にデカいのが2匹混じっているな。

 餓鬼のようなゴブリンと比べ、その体形は変わらないながらも筋肉質。

 手に持つ武器はナイフから長剣になっている。


「……ホブ」


 それだけ呟くと、フードの人は迅速に御者と冒険者風の人達の元へ行ってしまった。

 そしておれの方へ向かって「2体はまずい」と手を招いている。


 ……確かにホブゴブリンは初心者の頃は強敵だ。

 その振り下ろしといえば初見殺しの代名詞といってもいい。

 おれも昔は苦戦した。


 けど今のおれからすればただの雑魚だ。

 念じるのではなく、今度はあくまで使うと意志を明確にする。


「……いけた」


 もしやとは思ったけど。

 おれの手に水色の札が出現した。

 これあれだな。

 もっと早く発動させる方法があるな。

 じゃないとあまりにも遅すぎるし。


「キャギャー!」


 空気を読めないホブゴブリンが長剣を振り下ろす。

 その前におれは水色の札、【ひょう】をホブゴブリンに飛ばした。

 呪力で形作られた【氷符】は火山ですら一瞬にして凍らしてみせる。

 ピタリと貼り付いた【氷符】から、一瞬だけ光が瞬いた直後、ホブゴブリンを中心に巨大な氷の花が満開する。

 全員氷結確認。

 こうなってしまえばもう逃げることすらできない。

 続いて投げた【火符】は空間を強打する爆風となって氷を儚く散華させる。

 何もかもが終わった後は、何も知らずに吹いた風が何事もなかったかのように雑草を愛でていた。


 ……すげぇなこれ。

 VRだとまるでコンサートの演奏を聞いているかのような立体音響だ。


 自分でやっておいた引いたわ。

 ゲーム世界こえぇ。

 それにしても流石は呪術。

 火柱を立てておいて草原に焼跡無し。

 忘れずに【集魂しゅうこん】でゴブリンの魂は回収しておこう。

 呪術は魂を扱うことで真価を発揮するからな。

 魂も搾りかすになれば、幽霊レイス化できなくなる。

 呪術の癖に無駄に派手なのが今後の課題だけど。


「こっちにまで呪いは届かなかったか?」


 なんか、フードの人達固まっていない?

 他男女からも「すげぇ」とか「マジかよ」とかいう賛美の声が聞こえる。

 驕れるつもりはないけどさ、これくらいは割と普通だろ? 

 上位プレイヤーならよくやるよくやる。

 

「…………大丈夫」


 それは良かった。

 ボッチプレイ故におれの呪術は仲間に配慮するような作りにはなっていないからな。

 再度、フードの人以外が馬車へと戻っていく。

 ウマが嘶いたのをきっかけに馬車は出発する。


「すごいね。びっくりしたよ。その陰陽道」

「だろ?」


 おれのは呪術であって陰陽道とは違うけど。

 しかし陰陽道をおれ以外に使用する奴いたっけか?

 まったく身に覚えがないんだけど。


「けど学校で習ったのとかなり違う」


 ……学校で習う?

 待って待って、おれ未だに学校で陰陽道を習ったことがないんだけど。

 そもそも陰陽道なんて習う訳がない。

 そんな異世界じゃ……あるまいし。

 五感、ゴブリンの死体が消えない。

 陰陽道を学校で習う……。

 ……いや、まさかな。

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