クロハ(第一部)

ペアーズナックル(縫人)

第一部 特異点クロハ

アーリー・セブン

第1話 謎の革ジャン男

日本に住む青年、城戸ロトはひどくSF好きであった。国内作品は勿論の事、海外の作品にも首ったけである。中でも電話ボックス型の宇宙船兼タイムマシンでシーズンごとに代わるコンパニオン(相棒の意)と共に時空を自由に行き来する世界最長のSF作品、ドクター・フ―なんかはその筆頭だ。彼のっぷりは社会人になって少々金銭に余裕が出来たころにはピークに達し、とうとう休日に出かける時の服装を全てその作品の主人公であるドクターの服にしてしまうほどであった。


ドクターはキャストを変更しても何ら違和感がないようにするためのつじつま合わせとして、シーズンの節目ごとに服装や顔が変わる――最近は性別も変わることが分かった――と言う設定だが、中でも彼のお気に入りなのは9代目ドクターの服装だ。暗い色のズボンを履き、Tシャツの上に革のジャンパーを羽織った丸刈りに近い短髪のスタイル。9代目ドクターのシーズンが日本の地上波で初めて放映されたシリーズという事もあってかなり思い入れが強かった。


流石に髪型は変えられなかったが、初任給の殆どを使い果たしてまでそろえた服を着こんで鏡に映るその姿はまぎれもなくドクターだ。気分を良くした城戸は早速家を出て街へと繰り出した。


城戸の服装は確かにおしゃれではあったが、そもそもドクター・フーがSFの激戦地ともいえる――あくまでも城戸の主観ではそう思える――日本ではスター・ウォーズやスター・トレックほどの存在感は示せず、フーヴィアンも存在しないわけでは無いが数が少ないこともあって、センスがいいとは言われてもそれが9代目ドクターのファッションであると見抜く人は皆無だった。すぐに見抜ける人と言えば、同じくフーヴィアンで固められた彼のSNSのフォロワーくらいなものである。


だがそれでも彼は街に出ることをやめなかった。週に一度の休日は必ず出かけることにしていることもあるが、何よりこの格好をしてこの街のどこかにいるかもしれない、まだ見ぬフーヴィアンに同好の士は確かにここにいるぞ、という隠れたメッセージを飛ばす意味もあった。あわよくば、この服装を見て声をかけた人にドクター・フーを勧めて同じフーヴィアンにしてしまいたいと思ってはいるものの、そんな目論見が成功したのはたったの一例のみ。それより後はお察しのとおりである。


「はあ~あ。」


今日も同好の士フーヴィアンは見当たらないし、見つからない。いつもの事であったが、城戸は思わず大きなため息をついた。もうこれ以上街を練り歩いても意味がないと、彼は早々に諦めてわが家へと引き返そうとしたとき、それは視界に飛び込んできた。


自分から見て道路を挟んで向かい側、ごみごみとしたショッピングモールの中を一人の男が歩いていく。恰好は自分と同じくざんばらな頭に、暗い色のズボンとTシャツに、革のジャケットを羽織っている。思わず二度見した。・・・間違いない、9代目ドクターのスタイルだ。まさか、まさかとおもってよく目を凝らしたが、やはり自分の目に狂いはない。本当にこの街に居るとは思わなかった。ぜひともお近づきになりたい。そう思った時には既に彼はガードレールを飛び越えて反対側の歩道に移っていた。


「ばかやろう、死にてえのか!!」


いきなり道路に飛び出してきた彼に急ブレーキをかけて止まった車の運転手の怒号も気にせずに城戸は人込みを避けながらその男を追う。男は大通りから人気の少ない裏路地に入った。すかさず城戸も裏路地に入り込むが、すでに男の姿はそこにはなかった。どこへ消えたのだろうか。人込みに紛れたならまだしも、ここは大通りほど人はおらず、また隠れられるような主な障害物もない。ではどこへ行ったのだろうときょろきょろしていると、突然後ろから声がかかった。


「俺になんか用か?」


声に反応してはっと振り向くと、すぐ後ろに探していた男が立っていた。おもわずわあっ、と声を上げて半歩後ずさる。


「い、いつの間に後ろに・・・?」

「職業柄後をつけられることが多くてな。これは癖なんだ。・・・で、俺に何の用だ?」

「え、えっと・・・その服装・・・僕が間違っていなければ・・・ドクターの格好ですよね?・・・9代目の。」

「・・・え?」


男は想定していたものとは違った返答が帰ってきたことに少し拍子抜けしたらしく目を丸くした。


「ど、ドクター?9代目?」

「はい!英国では2005年から、日本では2007年から放映された、ドクター・フーという番組の主人公ドクターです!」

「・・・」


男は勿論そんなつもりでこの服を選んだわけではないし、そもそもドクター・フーなんぞこれっぽっちも知らなかった。テレビ番組というのはすっかりご無沙汰だ。だがこの青年は、おそらくその作品のファンなのであろう。しかもをするくらい筋金入りの。偶然にも同じ格好をしている自分を見ておそらく同類と思ったのだろう、しかしここで適当に話を合わせても決して良いことではないと思った男は、やんわりとそれを否定した。


「いや、俺は、そういうのはあまり興味ないんだ・・・この服だって俺が適当に選んだものだし・・・」

「あ・・・そ・・・そうですか・・・」


城戸はがっくりと肩を落とした。そうですよね、偶然同じ格好をしただけのただの一般人。その可能性も考えずに突っ込んだ僕がいけないんですよね、と心底落ち込んでいる。そんな城戸の心情をおもんぱかってか、男は頭を掻きながら


「い、いや、でもまあなんかタイトル的に面白そうだし?丁度なんか面白い番組ないかなあって探してたところだし、ドクター・フー、だっけ?とりあえず帰ったらちょっとだけ見てみるよ。」

「ほ、本当ですか!?」


落ち込んでいた顔がいっぺんにぱあっと期待に満ち溢れた表情に変わった。ひとまず持ちなおしたようだ。


「ぜひみてみてください、かなり面白いので!出来れば十代目に再生してすぐの第二シリーズまで・・・」

「ああ、分かったよ。じゃあ、俺は急ぐから、あばよ。」

「さようなら!」


男は裏路地の奥へと去って行った。やった。二例目だ。これでまた一人フーヴィアンが増えた。好みは人それぞれなので、絶対そうなるとは言い切れないが、少なくともきっかけは作ることが出来た。それだけでも城戸は満足であった。男を見送った城戸は裏路地を出て大通りに戻ったとき、思わず通行人の男にぶつかってしまった。


「あっ、す、すいません!」

「・・・」


城戸がぶつかったのは帽子を深くかぶった黒いトレンチコートの男だった。よく見ると、周りに同じような服装のガタイの良い男たちがぞろぞろと取り囲んでいる。何やら様子がおかしいと思った城戸はその場を即座に離れようとしたが、すでに後ろに回り込まれており、身動きが取れなくなっていた。


「な・・・なんなんですか、あなた達・・・」

「・・・車に乗せろ。」


言葉が発せられると同時に、男たちは城戸を捕らえると手早く路上に止めていた真っ黒のバンに放り込んだ。乗せられた城戸は悲鳴も出す隙も与えられずに突然男たちに襲われて訳が分からず、ただもがくしかない。


「は、はなせ!!誰か!!助けて!!」

「黙らせろ。」


リーダー格の男が命令すると、城戸の横に座っていた男がポケットの中からスタンガンを取り出して首筋に力強く押し付けた。一瞬金属特有のひやりとした感触のすぐ後に生じたバチバチッ、と言うスタンガンの作動音を最後に城戸の記憶はいったん途切れてしまった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る