第39話 父の過ち
「――おはよう。君が海以君かね」
どうしよう。まさか最初にこの人が来るとは思わなかった。
俺より背が高い。恐らく180cmほどはあるだろう。
その顔はとても若々しい。三十代……いや、二十代後半と言われても信じられるかもしれない。
「朝早くに失礼しました。そして、お初にお目にかかります。凪さんの友人の海以蒼太です」
「……娘に男友達が居るのは初耳だが」
「事実です、旦那様。海以様はお嬢様のお友達です。……とても大切な」
須坂さんがそうフォローしてくれて。彼は眉をピクリと動かした。
「……入ってくれ。話をしよう」
「ありがとうございます」
「それと。無理に敬語は使おうとしなくて良い。一学生にそこまで礼儀を求めてはいないからな」
「分かりました。ありがとうございます」
正直、敬語は苦手である。いや、敬語は使うのだが。かしこまったものはよく分かっていないのだ。
そのまま俺は男の人について行く。
「ああ、そういえば自己紹介をしていなかった。私は東雲凪の父親。
「……では、宗一郎さんと」
「好きに呼んでいい」
会話も少なめに。俺は宗一郎さんと……後ろに須坂さんと共に、歩いた。
「ここだ。適当に座ってくれ」
「は、はい」
そうして連れてこられたのは客室。やはり、と言うべきか畳の部屋で。一つの長い机と、座布団が敷かれている簡素な……いや。簡素とは呼べないか。座布団も机も豪華な装飾がされているのだから。
しかし……ええと。確かこういう場所ってルールとかあったような。上座と下座だっけ。
「海以様はこちらにどうぞ」
「あ、すみません」
結局須坂さんに言われた場所に座った。そして……
「聞きたい事は山ほどあるが。先に用件を聞こう。海以君」
「はい」
俺はドクドクと早くなっている心臓を無視し、宗一郎さんを見て。
「凪さんのお見合いを止めに来ました」
そう、言った。宗一郎さんの眉がピクリと動く。
――理由は?
そう、聞かれているように思えた。
「このままだと凪さんが幸せになれないから、です」
俺の言葉に宗一郎さんは顔を動かさなかった。
……考えているな。
「旦那様。実は――」
「待ってください、須坂さん」
先に言おうとした須坂さんを俺は止める。
これは、俺や須坂さんが伝えるべきことではない。
気づいてもらうべき事だ。
「俺は。昨日、凪さんと遊園地に行きました」
「なっ……!?」
――やはりそうなるよな。
知らなくて当然だ。……凪が話していないのだから。
「それと。凪さんは毎週土曜日、我が家に遊びに……そしてお世話をしに来ます」
「君の、所だったのか?」
宗一郎さんの言葉に頷く。
『お互いの思いがすれ違っている』
そう伝えるのは簡単だ。だが、だめだ。
自分で気づいてもらう必要がある。……俺達が介入するのは最低限にしなければいけない。
「だとすると。待て、私は何を…………」
宗一郎さんが見るからに慌て始めた。それを須坂さんが驚いた表情で見つめている。
……本当に珍しい事なのだろう。
「そして、あと一つ。私は昨日、凪さんに伝えられました。『もう会う事は出来ない』と。ですが、俺は諦められませんでした。だからここに来たんです」
宗一郎さんが……いきなり立ち上がり。顎に手を置いた。
……あ。これ、凪がしていたものと同じポーズだ。
「旦那様は何かに集中したい時は決まってこうするんです。……客人の前でするのは初めての事ですが」
須坂さんが耳打ちでこそっと教えてくれる。……初めて、か。
ぼうっと、その様子を眺めていると。ガクンとその膝が落ちた。
「だ、旦那様!?」
「……そうか。そういう、事だったのだな」
宗一郎さんの瞳が俺に向いた。
「君が。凪の初めての友人だったんだな」
……理解が早い。いや、俺なんかとは比にならないくらい頭が良いらしいから当たり前なのか。
「はい」
「……そうか。ああ、そうだったのか」
何度もその事実を確かめるように、宗一郎さんが呟く。
どうしようと思って須坂さんを見たが。大丈夫だと頷かれた。
数分経った頃。宗一郎さんが座り直した。
「失礼した。……少し混乱していた」
「いえ。大丈夫です」
――やはり。瑛二の言っていた通りだった。
『きっかけを与えるだけ。それだけで一番大きな問題は片付く。……他にもまだまだ問題は残っちゃいるが。父親に気づかせれば一旦俺達の……いや。蒼太の勝ちだ』
とりあえずホッとした。……次だ。
そう思っていると。宗一郎さんが口を開いた。
「……酷く、傷つけてしまった事だろう。非礼をお詫びしよう」
「謝らないでください。それより、一つ聞いても良いですか」
次に移る前に。一つ聞きたい事があった。
「なんだね」
「……もし、分かるのなら。凪さんが変わった日の事について、教えて頂けませんか」
――昔。凪は両親に普通に甘えていたと言っていた。
確か、父親に『弱点を見せない事』と言われたから、だったか。
それは、いつからの事で。いつから凪は誰にも甘えず生きていくようになったのか。ずっと気になっていた。
宗一郎さんはじっと目を瞑った。
「……そうか。ああ。うん、そうだな」
何かに納得しているようで。俺は思わず首を傾げた。
今のはただ俺が気になっただけなんだが……
そうして何を言いたいのか待っていると。
「その話をするにはまず、私の犯した過ちについて話さなければならない」
いきなり。宗一郎さんはそう言ってきた。
「昔話をしても良いか。……凪がここに来てからの事だ」
宗一郎さんの言葉に俺は頷く。
「――私は」
続く言葉に。俺は言葉を失う事になった。
「凪の事を道具のように思っていた。彼女が幼い頃の話だ」
数十秒の間、沈黙が続いた。俺も、須坂さんも。視線を宗一郎さんから動かす事が出来ず、口も動かせなかった。
「……で、でも、凪は。愛情を持って育てられたって」
やっと俺の口から飛び出した言葉はそんなものだった。
「もちろん今は実の娘のように愛している。……だが、私がその事に気づいた頃には遅かった……遅すぎたんだ」
その言葉の意味は分からなかった。でも、彼を見ていると。一つ分かった事がある。
彼はとても――とても、その事を後悔しているのだろう。
「私と妻。どちらが悪かったのかは調べていないが。子供が出来ない体質だったんだ」
そのまま、宗一郎さんは話し始めた。
◆◇◆
妻は私の秘書をやっていた。紆余曲折はあったが、結婚をした後。すぐにその事に気づいたんだ。
他に私の後任が見つかればよかったのだが、私の会社の中に適任は居なかった。
それなら自分の子供に教えれば良い、と考えてすぐの事だった。
私も妻も悩んだ。しかし、すぐに答えは見つかった。
「別に血の繋がった子供じゃなくても良いじゃないですか、宗一郎さん」
妻の言葉をきっかけに、私達は養子を貰う事になった。
養子、と言っても優秀な子が必要だ。しかし、直に見て子供を選ぶ事が出来る団体はほとんどない。
そんな中、写真を見て選ぶ事が出来るという団体を私は見つけ、妻と向かった。
そこで私達は凪と出会った。
凪を選んだ理由は二つある。一つは優秀である事。
私は昔から目が良かった。この子は真面目で優しい子だ。そして、要領も悪くないとすぐに分かったよ。
もう一つは――容姿が外国人である事。
私の企業は日本ももちろん、世界を視野に入れて行っている。容姿というのは武器になるんだ。
だから、私は北欧系の血筋を持っているであろう彼女を選んだ。一つ気がかりだったのは、棄児……捨てられた子供だったという事だ。
私達が引き取った時、凪は三歳程だった。しかし、心配は杞憂だったようで。身内からの虐待はなさそうだった。
「今日から君の名前は凪だ」
「――凪」
「ええ、そうですよ。これからは私達の子供ですからね」
そう言って、凪を抱きしめる妻を見ながら。私は考えていた。
どう優秀な子に育てるべきか。教育方針をどうするべきか。
まず、凪には日本舞踊を教えた。続いて茶道と華道を教えた。
理由は一つ。着物を着る外国人の子供を持っている。それだけでも海外では有利に働く事が多かったからだ。相手が日本好きならば尚更。
しかし、一応親としての自覚はある。忙しいながらもそれなりに接し……ああ、妻の提案で一度三人で動物園に行った事もあったな。
そんな中。凪も私にそれなりの尊敬を持ち始めてくれた。ある日の事。
「私、大きくなったらお父様の役に立ちたい。どうすればいいの?」
好機だと思った。子供は勉強嫌いが多いと聞くが、これを上手く使えば嫌いにはならないだろうと
「いっぱい勉強をするんだ。……そして、出来る事なら私の事業を、夢を継いで欲しい。ああ、そうだ。もしかしたら。かっこいいお婿さんが来るかもしれない。その時は仲良くするんだぞ」
視線を合わせ、そう言うと。まだ幼い凪は頷いてくれた。
「はい、分かりました! 約束です!」
これが、一つ目の過ちだった。……先程、君に聞かれて分かった事だ。
そして、二つ目の過ちもすぐの事……それから数日後の事だ。
「お父様がお仕事をする時に気をつけている事ってなんですか?」
その答えに私は少し迷った。気をつけている事は多い。この子に教え込むのならばどれが良いのか。
迷った末、私は――
「人に弱みを見せないようにする、だな。その為に自分を取り繕っている。常日頃これを続ける事で仕事も有利に働く事が多いんだ」
そう、言った。
言ってしまった。
これが、私の二つ目の過ちで――
最大の過ちであった。
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