姦姦蛇螺ははっきり言って巫女の鑑だと思う
メガ氷水
怪異なんだろうけどちょっとかわいそうじゃないか?
姦姦蛇螺ははっきり言って巫女の鑑だと思う。
まずそう思った要因をかいつまんで挙げていこう。
一 巫女は村人たちに裏切られて大蛇の生贄になった。
二 姦姦蛇螺の話。実際には不法侵入してきた若者を懲らしめただけである。
三 現代でも解除できる程度の呪いしかかけていない。
さて、姦姦蛇螺の話を聞いたことがあるものはどう思うだろうか?
怪異? 怖い話? 化け物が出る話?
私もひと昔前は同じ感想であった。
しかしだ。少し落ち着いて考えてみると姦姦蛇螺は巫女の鑑なのではないかというのがよく分かった。
まず姦姦蛇螺の簡単なあらすじについて書いていこう。
母親に暴力をふるい唯我独尊を貫くB。ついに涙までさせてしまうBに耐え切れなくなり、父親はお前に真の勇気があるのなら山奥のフェンスを越えた場所に行けと伝えた。
自分に怖いものなんて存在しない。Bは仲間を募り、山奥のフェンスを乗り越えた。その先に待つ恐怖を知らずに。
とまぁこのような話である。
この後は自分の目で確かめてほしい。
読んでいない人は先に読んでこよう!
さてでは肝心の姦姦蛇螺の誕生について書いていこう。
山に一匹の大蛇が住んでいた。
大蛇は一定の期間で村に降りてきて、村人を丸のみにしてしまうのである。
困り果てた村人たちは先祖代々伝わる巫女の優秀な家系に依頼をすることにした。
巫女と大蛇の力は拮抗していた。このままでは負けてしまうのではないだろうか。そう懸念した村人たちは大蛇に交渉を待ちかけた。
巫女を生贄にするからもう二度と村を襲わないでほしいと。
大蛇は自分を倒すかもしれない巫女を恐れてその了承を飲むわけである。……蛇だけに。
そして村人たちは巫女を食べやすいようになんと四肢を切り裂いた。巫女は大蛇に飲み込まれた。
一時の平穏に興じる村人たち。しかし実は誤算があった。
巫女の力が強すぎたのだ。大蛇を乗っ取った巫女は姦姦蛇螺へと変貌し、村人たちに呪いを振りまくのである。
はっきり言おう。村人たちがクズであると。
ただもし私が村人たちの立ち位置であれば同じことをしていただろう。これについて言及する気はないので一度捨て置いてもらいたい。
さて、まずこの時点で巫女の優しさが溢れているのにお気づきだろうか?
巫女も人間であるのは変わらない。大蛇に困っている村人たちを救おうと身を挺して頑張ったのに。
その結末が村人に裏切られて大蛇のえさだ。そりゃ恨みくらいするだろう。しかも生贄は巫女の家系の提案だという。
この時の巫女の考えは計り知れようもない。だがこの巫女は裏切った現在の巫女の家系、村人のみを怨んだのである。
皆様はこんな言葉を聞いたことがないだろうか?
末代までたたってやる。お前の子孫も、そのまた子孫も、呪い続けてやると。
まぁよくある時代劇のあれである。そんな人間でもやる呪いをこの巫女はやらなかった。
村人の中で4人も生存者が出てきたのである。4とは何分不吉そうな数字である。だが生き残ったこの4人の村人がこの後殺されたという事実は残っていない。
これは4から連想される、幸せに生きてほしいという微かな巫女の願いなのではないだろうか。
そもそもの話、生贄にされた巫女の呪いという部分は村人の解釈でしかないというのが一番のポイントだろう。
実際には、巫女の力を手にした大蛇を今も巫女が必死に食い止め続けているという見方もできる。
その証拠を裏付ける部分の一つとして、この物語内で巫女の連れであるおっさんはこう言うのである
今回は巫女として現れたと。
巫女として現れたというこの部分。ならば、大蛇としての姿で出てくるとも取れる発言ではないだろうか?
作中にも呪いを払った人は2,3年で死んでしまう。払われた人も良い人生が待ち受けているとは限らない。そんな話が出てくる。
この時こそが大蛇の側面という話だろう。
本人は巫女の呪いと言っていたが真相は定かではない。
ただ巫女の呪いではなく、今も苦しめられている大蛇の叫びともとれるわけである。
ギリシャの神々のように巫女と大蛇、二つの側面を持つ姦姦蛇螺。
生贄にされた巫女は今も変わらず大蛇を内側から食い止めているである。
第二 姦姦蛇螺は不法侵入してきた若者を懲らしめただけである。
この話。逆に姦姦蛇螺の視点から見てみればどう思うだろうか。
肝試しと称して自分の家に若者が侵入してきて、挙句自分を表す形ともされる棒を動かしてきた。
これを怒るなというのは非常にエゴではないだろうか?
端的に言えば侵入者が大切なものを壊しに壊して帰ろうとしたのである。
どうだろうか?
ここまでされて逆に呪いだけで済ましてくるのは中々優しくはないだろうか?
第三 現代でも解除できる呪い。
これはまぁそのままである。
皆は八百万の神々と呼ばれる存在をしているだろうか?
俗にいうすべての物に神様が宿るという日本古来の考え方である。
現代の皆様はこれを聞いてどう思っただろうか?
恐らく、「へーそーなのかー!」くらいにしか思わないことだろう。
しかし昔というのはそういう考え方が存在するほど恨みだ、祟りだ、呪いだと信じられていたのである。
時を戻して現在。
想像してほしい。
ビル群が立ち並び、駅もワンタッチで改札を抜けることができる時代。
この世界であなたたちは怪異を信じることはできるだろうか?
巫女の力が昔と変わらず引き継がれていると考えることはできるだろうか?
私の答えは【難しい】である。
確かに医療や化学は進歩してきた。
しかしそれに比例して非科学的現象は否定されてきている現代。
どう考えても呪いを解くなんてほぼほぼ不可能だろう。
巫女の力も弱体化している?
それにしては元が恐ろしい大蛇と拮抗するほどの実力を持つ巫女である。
いくら弱体化していたとしてそう簡単に呪いを解くことはできるだろうか?
これの示す一つの答えは、姦姦蛇螺は現代の巫女でも解除できる程度の呪いしかかけていない事である。
罰にはそれ相応の報いが必要。
そのような考え方で姦姦蛇螺は軽い呪いをかけたかもしれない。
ここからでも姦姦蛇螺の優しさが伝わってくる。
どうだろうか?
姦姦蛇螺は優しく慈愛に満ち溢れた、正しく巫女の鑑とでも呼べるような存在ではないだろうか?
どちらにせよ、姦姦蛇螺の話というのは、本人が被害者ぶっているだけで非常に胸がもやもやする内容である。
昔は村人に。今はBの父親に。
いつの時代も姦姦蛇螺は自分勝手な人々に利用されてきた。そんな皮肉めいた話なのだ。
姦姦蛇螺ははっきり言って巫女の鑑だと思う メガ氷水 @megatextukaninn
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