あこがれの女教師は娼婦(その49)

冒頭にも書いたように、私は警察官でも検事でもありません。

はっきり言って、あなたを告訴して有罪にできる物証を持っているわけではない。

あなたが、『それはすべて君の妄想だ』と言うのなら、それはそうかもしれません。

だが、こころの奥底からふつふつと沸き上がるあなたへの疑念は、どうしても消し去ることができないのです。


美祢子先生が、あの日の授業で、Agatha ChristieのAND THEN THERE WERE NONEの犯人がボトルに入れて海に流した遺書の一部を紹介しました。

なにげないフレーズですが、『殺人や淫乱な性欲への抑えられない性向を持って生まれついた人間は、欲望のままに突き進んで最後は破滅するしかない』と、先生は教えようとしたのではないでしょうか。

そして、他者の生を破壊するだけではなく、最後にはじぶんの生をも破壊してしまう・・・。

Agatha Chirstieの小説は、単なるエンタメのミステリーではなく、現代の大量のサイコパスの誕生を警告する予言の書です。

あの小説を忠実に再現した古いモノクロ映画もDVDで繰り返し見ました。

裁判にはかからなかったが、明らかに犯罪を犯した者たちを私刑に処するとして、次から次へと殺す、不気味で陰惨な救いのないストーリーに変わりはありません。

しかし、それは殺人を正当化するための言い訳でしかなく、おのれの殺人への欲望を満たしたかっただけのことなのです。


あなたに殺される2時間ほど前、D坂のホテルの前で、客の男と金のことで言い争うところや、居酒屋でひとり安酒を飲んで店主とののしり合う先生の、どうしようもない孤独な姿を見てしまいました。

教室では、あれほど知性とウイットにあふれた先生が、娼婦に身を落としてまで孤独なこころの隙間を埋めようとして、欲望を剥き出しにして生きていたのです。

あなたは高校時代に、森本くんが知性が劣っていると小馬鹿にしていましたね。

その森本くんにすべての罪をなすりつけるための筋立ての道具として娼婦たちを利用して殺しました。

どうして娼婦たちを虫けらのように殺せるのです?

・・・すべてを知的に判断するあなたは、おそらく、良心などという意味不明な概念などは持ち合わせてはいないのでしょう。

その良心ということばを持ち出せば、あなたは軽蔑することでしょう。

たしかに、「良心」は手垢にまみれ、洗い晒しになったことばです。

「良心」は、良くも悪くも、ひとがひとであるために拠って立つこころの在り方と言い換えてもよいかもしれません。

それがなくなれば、ひとはひとではなくなるのです。

他者を単なる道具としてしか見ず、同胞を平気で殺すあなたは、もはやひとではありません。

あなたは、・・・真っ暗闇の地獄の底を、得体のしれない異形の獣たちとともに汚泥にまみれてはいずり回る、虫けら以下の生き物です。

“The third (clue) is symbolical. The manner of my death marking me on the forehead. The brand of Cain.”

Christieのあの小説の最終章で、犯人は、じぶんはカインの末裔の罪ある人間だと告白して自殺しました。

みずからが構想した、マザー・グースのわらべ唄にならって、順にひとりずつ消える10人のインディアン少年に見立てた、孤島での連続殺人の完全無欠な完結のために・・・。

何といういう傲岸不遜でしょう!


今さら良心とかは問いません。

あなたは、罪を認めますか?

・・・まず、罪を認めることからはじめてください。


東條裕史

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