あこがれの女教師は娼婦(その32)

アメリカに帰る日曜日の昼下がり、エリカが路地に停めたオンボロ車の窓をノックした。

「パパとママがお礼をしたいって」

エリカはそう言って母屋に連れ出した。

自宅の食堂のテーブルには寿司桶とビーフストロガノフとサラダが並べてあったが、肝心の両親の姿はなかった。

気を使ってわざと姿を現さないという粋な計らいのようだ。

「それに、東條くんに成田までうちのBMWで送ってほしいの。これって私からのお願い」

エリカはいたずらっ子のような目をして笑った。

「その代わり、アフリカ行きはあきらめた。ああ、夏の卒業旅行のことよ。インターンが終わったら、最初の赴任地としてアフリカに行くことに変わりはない」

ここを早く出て、成田でゆっくりディナーをしようとエリカは言った。

ディナーの前に成田まで無事たどり着けるかどうかが大いに不安だった。

大型の外国車で高速道路を走ったことはないし、車そのものにめったに乗らないので車に慣れていなかった。


ともかく出発して首都高から高速道路に乗った。

BMWが成田の手前にさしかかったころ、脇坂から電話があった。

森本が黒いトレンチコートに顔が隠れるほどの大きなサングラスに黒マスク姿でアタッシュケースを提げて実家を出たという。

しばらくすると、

「ああ、タクシーを拾ってD坂方面に向かっている」

と電話があった。

脇坂は、父親のセダンで実家の前に張り込んでいたはずだ。

D坂は成田とはまったく逆の方向なので、少し安心した。

そんなやり取りを助手席で聞いていたエリカは、ただならぬ気配を感じたのか、

「森本くんに何かあったの?」

とたずねた。

危機はすでに去ったと思ったので、4年前と同じような殺人予告の手紙が届いたことを話した。

「今夜8時にD坂のホテル街で娼婦が殺される訳ね。私の身代わりに・・・」

エリカは悲しそうな顔で窓の外を見やった。

暮れなずむ藍色の空から銀色の雨滴が飛んで来た。

一滴、二滴、三滴・・・

やがて、空一面が真っ暗になり、雨滴はたちまちフロントグラスを覆い、激しい雨と風が車を揺すった。

あわててワイパーのスイッチを探したがなかなか見つからない。

一般道へ降りる集金所の前で車列が止まり、1ミリも動かなくなった。

電光掲示板には、成田空港手前で事故のため渋滞10キロと表示されていた。

進むことも退くこともままならなかった。

そこへ脇坂から、

「森本を見失った」

と電話があった。

森本はD坂の中ほどでタクシーを降り、高級レストランが各階にある雑居ビルに入ったが、そのビルの地下駐車場に車を入れている間に、森本を見失ったと脇坂は言った。

『娼婦を殺す前に豪勢なお食事か・・・』

と思ったが、エリカの前でそれを口にするのは憚れた。

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