叙述トリックってなんですか?

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叙述トリックってなんですか?

「叙述トリックってなんですか?」という詩音の問いに「作者が読者を騙しにいくことです」と千代子は答えた。「もちろん嘘をついてはいけません。人の先入観を利用して本当のことを言わなかったり、本当のことをそれっぽく書くことで、読者をミスリードするのです」「なるほど」とうなずく詩音。千代子はゆっくりとホワイトボードのほうへ移動し、ペンをとった。ペンを滑らせ、少し崩した流麗な字で「叙述トリック 効果」と書く。彼女がキャップを閉めると、狭くて散らかった部屋にかちり、と小さな音が響いた。


「最後の最後まで読者を誤認させつづけることで真相が明らかになったとき、読者に大きな衝撃を与える効果が叙述トリックにはあります。欠点としては、途中でそれがばれてしまうとその後が非常につまらなく感じるという点が挙げられます」「じゃあ、作者にとっては諸刃の剣なんですね」「ええ、乾坤一擲です。それに、よしんば上手くいったとしても読者へのヒントが少なければアンフェアということになってしまいますから、書くのは基本的に難しいと言えるでしょう。大事なのは2回目に読者が読んだとき、『ああ、これはこういうことだったのか!』と合点がいくことです」初めに書いた効果の横にさらに「叙述トリック 分類」と千代子は付け足しつつ答えた。


「まず、一番多いのが男女を誤認させるトリックです。男だと思っていたら女だった、というのと女だと思っていたら男だった、の二通りがあります。人は、中性的な描写を前にするとまず男性だと思い込むようにできているので、前者の方が書きやすいような気がします。それをやりたいときは医者や弁護士、消防士や警察官など一般的に男性が多いと思われている職業に就かせるとなお良しです。匿名掲示板のコピペでも一番多いのが前者のパターンです」


「え、千代子さん、そんなところも見てるんですか?」と驚いた様子で言う詩音に、千代子はゆっくりとうなずいて答える。「もちろん。探偵事務所の助手として情報収集は欠かせませんから」「そんなところから収集できる情報なんてあるんですか?」と詩音は出された緑茶をすすった。彼女は微笑む。「ええ、そりゃもちろん」


 千代子は続けて言う。「あとは、違う人を同一人物だと見せかけるトリックもあります。もちろんその逆もです。タイトルは言いませんが、主要な登場人物の大半が同一人物だったという小説もあります。前者の場合、一番簡単なやり方は呼び名を同じにすることですね。『たーくん』とか。後者の場合も同じように考えて呼び名を別々にすればいいのですが、その場合には説得力のある理由が必要になってくるので少々大変かもしれません」彼女の言葉を静かに聞いていた詩音はほっとしたような顔をした。「しれっとネタバレ入れてきましたね。自分はその本もう読んでたので構いませんけど」


「次に、人物の立場を誤認させるトリックについて話していきましょう。生徒と思ったら教師だった、とか、被害者と思っていたら犯人だった、とか、最弱と思っていたら実は最強だった、とかですね」詩音は言う。「最後のは違うと思いますよ」「ええ、そうなんですか? 最近書店で見た本のタイトルにあったので、なんでタイトルでネタバレしてるんだろうと思ったのですが、ああ、あれは叙述トリックじゃなかったんですね」「さっきから思いますけど、千代子さんは本当にサブカルへの理解がすごいですね。サブカル女子ってやつですか?」「いえいえ、そんな」千代子はかぶりを振った。


「あ」と詩音は時計を見て声を上げた。「これから塾に行かないといけないんです」「ああ、そうなんですね。じゃあ最後に一つ。人じゃなくて時系列を誤認させるトリックというものもあります。現在の話だと思っていたら過去の話だったとか、過去の話だと思っていたら現在の話だったとか、先に起きたと思っていた出来事が後から起きた出来事だったとか、ですね。人は書かれている順に物事が起こったと認識するので、それを逆用したトリックと言えるでしょう。一番書きやすいのは、一番最初のですね。現在の話だと思っていたら過去の話だった、というものです」「へえ、面白いですね」詩音は愛想よく笑った。「わたしも大学に行ったら小説書いてみようかな。じゃあ、また。お茶おいしかったです」詩音はスカートをひらひらとさせて事務所から出ていった。最近の女子高生のスカートは驚くほど短い。


「ああ、そういえばあれもありましたねえ」部屋に残された千代子はホワイトボードに書いた文字を消しながら独りごちた。「一人称で書かれた小説の主人公の心理描写や会話を一切なくして三人称に見せかけるっていうのもありました、ねえ、あなた?」彼女の独り言だと思っていたのだが、いきなり水を向けられて俺は狼狽した。「ああ、そういえばそんなのもあったかもしれない」俺は一切ミステリを読まないのだ。そんなことをいきなり訊かれても困る。


 そんな俺を見て千代子はしわだらけの顔をさらにしわくちゃにして笑った。「ああ、あなたはミステリを読まれませんでしたね。『ミステリを読む探偵なんて嫌だろ』ってずっと言って。そろそろ探偵なんてやめられたらどうです? 60年も続けたんですから潮時でしょう?」「いや、俺は死ぬまでやるぞ」机のわきに立てかけてある杖をつき、俺は外に出る。「ちょっと聞き込みに行ってくる」「また探し物ですか。探される方にならないように気をつけてくださいね」「俺をボケ老人あつかいするな、馬鹿」事務所の扉を開けると、冷たい風が吹き込んできた。

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